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長嶋りかこを魅了したアート。ロニ・ホーン「Mother, Wonder」に見る母性と揺らぎ

  • 2026.5.8
COURTESY OF THE ARTIST AND I8 GALLERY, REYKJAVIK

アイスランド南部の荒涼とした湿地を写したロニ・ホーンの写真シリーズ「Mother, Wonder」。その有機的な起伏は、母性のメタファーとしても、破壊と生成を内包する自然の力としても読み取ることができる。出産と育児という大きな転機のなかでこの作品に出合ったグラフィック・デザイナーの長嶋りかこは、そこに自身の身体感覚やジェンダーの構造への違和感、そしてアイデンティティの揺らぎを重ね合わせた。自然と人間、母性と反骨──そのあわいにある視点とは。

二つ並んだ写真はどちらも、アイスランド南部の町ランドブロットの丘。荒涼とした湿地帯をコケが覆い尽くし、そこに起伏が存在する。ロニ・ホーンが切り取ったこの風景を目にしたとき、長嶋りかこは「まるで女性の乳房のようだと感じた」 と振り返る。

「この作品に触れたのは、出産をして育児が始まった頃でした。子どもを持ったことで自身に起こった身体的な変化、そして、母という立ち位置やその役割、社会システムに見いだした疑問……日常では、仕事のリズムと新しい生活が乖離していくのを感じていたんです。そして、以前の自分がどれだけ男性によって作られた社会の構造に合わせて働いていたのかを実感して。まるで自分の軸がずれてしまったような感覚がありました」

写真のシリーズ作品「Mother, Wonder」は2010〜2012年に撮影。ロニ・ホーンが長年取り組んできた写真集プロジェクト『To Place』 の第11巻(2023年にシュタイデル社より出版)に収録されたもの。11巻すべてがアイスランドの土地とそこでの体験をモチーフにし、場所とアイデンティティとの関係性や影響に目を向けている。本シリーズは出版を経て2025年からプリント作品として再構成。上の写真は《Mother, Wonder(No. 14)》(2019/2025) 、紙にピグメントプリント、41×129㎝。 COURTESY OF THE ARTIST AND I8 GALLERY, REYKJAVIK

RONI HORN
ロニ・ホーン:
1955年、アメリカ生まれ。1975年にロードアイランド・スクール・オブ・デザインを卒業、1978年にイェール大学で彫刻の修士号を取得。アイデンティティやその不確かさをまなざすコンセプチュアルな作品が多く、写真、彫刻、ドローイング、執筆などさまざまな媒体で表現。2021年にはポーラ美術館にて日本初の個展を開催した。

「Mother, Wonder」 というこの作品の“母”という言葉が、当時の長嶋の心に響いたのかもしれない。確かに、起伏が描くフォルムや自然の営みそれ自体が、母性というメタファーを思わせる。

「その一方で、反骨心をかき立てられるような感覚もあったんです。ただ単に“母なる大地”というイメージに回収されてしまいたくない、と。ホーンがこの作品でとらえた地形は、もともと海中の火山活動によって隆起したものだそうで、それがさらに水の流れによって削られていき、今のような形になったといいます。こんなふうに、自然は生み出す力を持っているけれど、同時に破壊する力も持っている。ただ生み出すばかりじゃない」

人間もまた、相反する作用を内包している。「日々私たちは社会システムやジェンダーロール、合理性などの前で自分という存在が型にはまっていくけれど、内側にある声に耳をすませば、もっと混沌としている。その二つの間を行き来する揺らぎが、ホーンの作品と重なるように感じました。この作品を見たときに湧き上がった反骨心は、ケアや笑顔といった役割が女性に期待されてきたということに対するものだったように思います。私も、自分のアイデンティティの揺らぎを感じていた。そうやって見る者の心に揺らぎを起こすというのも、この作品の面白さではないでしょうか」

Hearst Owned

RIKAKO NAGASHIMA
長嶋りかこ:
1980年生まれ。グラフィック・デザイナー。village®代表。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン科卒業。ヴィジュアルアイデンティティデザイン、サイン計画、ブックデザインなど視覚言語を基軸としながら活動し、対象のコンセプトや思想の仲介となって視覚情報へと翻訳する。主な仕事に「東北ユースオーケストラ」、「アニッシュ・カプーアの崩壊概論」、ポーラ美術館の新VI計画、ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館「エレメントの軌跡」、「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 12122020」、ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ「Dance Floor as Study Room」、Kvadrat社のためにデザインしたカレンダー「Irreversible Scale」など。著書に『色と形のずっと手前で』(村畑出版) がある。

From Harper's BAZAAR art no.5

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