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世界が熱狂する「日本の竹」。飯塚琅玕斎、横田峰斎ら名匠が切り拓いたアートとしての竹工藝

  • 2026.5.4

大正期のパリ万博で注目を浴びた飯塚琅玕斎らの名匠たちの技によって、開花した竹工藝。

世界的に高く評価されている魅力について竹蒐集家・斎藤正光氏に話を伺った。


アートの文脈で竹工藝の美を広めていく

飯塚琅玕斎は格式を表す「真・行・草(しん・ぎょう・そう」に例えて発表。この花籠は「真」の作品。

竹は古来より日本人の暮らしに寄り添う素材だ。竹刀、弓矢、提灯や凧、団扇の骨、箸、竿竹、さらに竹炭という燃料にもなり、そして細いひごにして編むことで籠になる。繊維の強さ、反りに対する粘り、エナメル質の表皮は耐水性を備えるなど、他の素材にはない特徴を持つ。

江戸末期、文人の嗜みであった煎茶道で竹が重宝された。素封家は、「籠師」と呼ばれる職人に花籠などを作らせた。やがて籠師は銘を入れるようになり、雑器を作る職人とは一線を画すようになる。求められたのは唐物と呼ばれた中国伝来品のコピーだったが、それに反発するように、独自の創造性を発揮し、芸術の域に高める作り手が現れるようになる。

江殿巧一斎(1881~1951年)の珍しい竹製のバッグ。竹のしなやかさと深い色合いが、和服にもドレスにも似合うデザイン。

花を生けずとも存在そのものに価値を持たせたのは、大正から昭和にかけて活躍した飯塚琅玕斎だ。籠師の家に生まれた琅玕斎は、家業として作ってきた唐物の花籠から脱却するような大胆な作品を公募展で発表するようになり、日本の竹工藝の流れを変えた竹藝家だ。1933~36年まで日本に滞在した建築家のブルーノ・タウトは琅玕斎の作品を“モダン”と、評した。少し遅れて現れた横田峰斎は、デザイン指導のために1940年に日本に招かれた建築家であり、デザイナーのシャルロット・ペリアンが製作協力を仰ぎ、のちにヨーロッパに招聘した人物だ。いずれも確かな技術があっての名品を残しているが、世界水準のセンスを持つ彼らの存在を知る人は少ない。

琅玕斎、峰斎などを含む1000点もの蒐集品を有する日本を代表する竹工藝のコレクターである斎藤正光氏はその魅力に気づいたひとり。竹工藝の美しさと見方について伺った。

音楽ビジネスをプロモートしていた斎藤氏は40年ほど前、飯塚琅玕斎の作品に出合い、衝撃を受ける。調べれば地元の栃木は竹藝家を多く輩出する地域。こんなに素晴らしいものなのに、世の中にはこの価値を理解する人が少ない。ならば、とプロモーターの視点で、竹籠の魅力の発信を仕掛けるようになった。

「元々は現代アートが好きで、この未評価な竹工藝をアートの文脈に乗せたら面白くなる、と思って集めるようになった」という。

何点か集めるうち、惹かれるものの多くが琅玕斎の作品であることに気づく。最初は目を引くフォルムから入ったが、次第に技術や素材に目を向けるようになる。そのかたちをつくるためには竹という独特で、扱いが難しい素材との「折り合いの付け方」があるという。弓のように曲がるが、折りたたむほどの力を入れると折れてしまう。「竹は曲げられる範囲が決まっているので、静かな緊張感がある。また、竹はどうにかして直線を作ろうとしても、揺らぎが出てくる」と斎藤氏は語る。その言葉を踏まえて作品を見ると、素材にあらがうことなく、寄り添いながら、かたちづくる、確たる技術に基づいていることが分かり、さらなる面白みを感じるようになる。

蒼峰斎の籠。作家の詳細は不明だが、厳選された晒竹を使い高い技術でさらりと作った趣のある作品。やわらかなしなりを感じさせる日本の美意識の“揺らぎ”が込められている。

琅玕斎は自らの作品を「真・行・草」に分けて語っていた。書道の楷書、行書、草書から来た言葉で、格式を重んじるものを「真」、少し崩すがしっかりとした形を成しわかりやすいものを「行」。そして「草」。早く簡単に作ることができると思われがちだが、実は「草」が一番難しいと語っている。揺らぐ素材と対峙しながら、民具をモチーフにした作品も自らの文脈で数多く作った。

柳宗悦は古道具屋界隈で「ゲテモノ」と呼ばれていた日用雑器を市場で見つけそれらを「民藝(民衆的工藝)」と名付けて、価値を授けた。民具は、使われることが仕事で、使い込まれて美しくなっていく。そして柳はそのことを「用即美」と語った。

一方、琅玕斎、峰斎などは花を生けずとも美しい。緻密で計算し尽くされた編みで重厚感を表現したり、軽やかな透け感で生まれる影までも考えられていたり。しなりによる優美な曲線が光る名作にも心を動かされる。粉を使い古色を施す竹工藝独特の「さび(寂)」の技法なども用いられ、彼らが作るものは「存在こそが用」。民具の写しにすらアート性を与えた技量に感嘆するばかりだ。

二代田辺竹雲斎(1910~2000年)によるおしぼり入れ。日用品を作ることは珍しいが、溢れる品格は隠せない。

新風を巻き起こすものは、発表されたときこそ人の目を引くが、見慣れてくればいっときのもの。「あの時代に流行った様式」と、やがて古臭く見えてくるのが常だ。だが、琅玕斎や峰斎など、斎藤氏が蒐集する作品群は、今でも、圧倒的な技量とセンスで人を惹きつける。

「竹は世界に誇るべきもの」という絶対的な自信を持つ斎藤氏のプロモーションは海外にも及んだ。アメリカや欧州で数多くの展示会に協力しファンを増やし、彼の作品の一部は美術館に収蔵され、竹の伝道師としての面目躍如を果たした。

海外でも人気がある八子鳳堂(やこほうどう)のオブジェ。竹と遊んでいるかのようだが、バランスの取り方はさすが。

日本人には身近な素材ゆえ、その価値を見落としがちな「竹」という素材は、欧米には生育せず、エキゾチックな魅力を放つ存在として捉えられている。その結果、この素材に惹き込まれる人が増えているという。「コレクターとして、競争相手が増えると、作品が手に入りにくくなるし、値段が上がるから好ましくないけれど、竹の魅力を伝えるという目的は見事に成功している」と、自らの動きに手応えを感じている斎藤氏。竹工藝を介して、海外に多くの友人もでき、交流はワールドワイドだ。

日本人の生活に寄り添った工藝が19世紀後半から20世紀初頭にかけて、フランスを中心にブームを巻き起こした“ジャポニスム”。それから約1世紀。竹工藝が世界の人たちの注目を浴びていることを誇りに思う。竹という「静かな緊張感がある素材」が、海外で認められて、我々日本人が、改めてその魅力を知ることになる。まさにジャポニスムの再来のように感じる。竹は我々の生活にも取り込める工藝であることを最後に付け加えておく。

お話を伺った方
斎藤正光(さいとう・まさみつ)氏

栃木県生まれ。竹蒐集家。コレクションの一部は、和光B1「アーツアンドカルチャー」で展示販売されており、2026年6月にザ・コンランショップ 代官山店、秋には銀座一穂堂などで企画展が開催される予定。

名匠による民具から“作品”への革命

◆飯塚琅玕斎(いいづか・ろうかんさい)

飯塚琅玕斎は格式を表す「真・行・草(しん・ぎょう・そう」に例えて発表。この花籠は「真」の作品。

1890~1958年。栃木の竹工藝家・飯塚鳳齋の7男として生まれる。琅玕とは「美しい竹」の意味。江戸期から続く唐物の模倣からの脱却を孤高に目指したという。

1925年(大正14年)のパリ万国博覧会で銅賞を受賞。その後も日本の竹工藝家に多大な影響を与えている。

琅玕斎が手がけた「草」の籠。格としてはカジュアルだが、計算して作られたような絶妙な揺らぎが表現されている。
「行」の花籃。銘「柳雨」。胡麻竹を使い、その胡麻粒のある肌を雨に見立てている。風景を想起させる情緒的な銘の作品。
作家の証でありプライドである銘が「真」の花籠に刻まれている。さらに箱がついていると価値が高まる。
花籃。銘「早瀬」。持ち手の側面に存在感がある。元は華道家が所有していたもの。

◆横田峰斎(よこた・ほうさい)

〈右〉花籃「松風」。ひごの数が少ないがバランスとセンスと存在感は抜群の作品。 〈左〉ピッチャーのような「片手付花籃」。茶筅のように1本の竹の先を裂き、編みあげている。

1899~1975年。デザイナーであり建築家だったシャルロット・ペリアンの招きで渡欧した竹藝家。

その作品はペリアンとの仕事で吸収したエッセンスが存分に生かされており、独創的な編組技法による表情、モダンさを感じる曲線美が相まった存在感を放つ。通なコレクターの間で注目されている作品。

文=日野明子
写真=佐藤 亘

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