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【SP TADAO(SP忠男)大泉善稔さんインタビュー】楽しさを体感できるマフラーを追求。「気持ちイー!」の伝道者

  • 2026.4.6

高性能を謳うマフラーは多いが、SP忠男の造るマフラーは一味違う。なによりも大切にしているのは、ライダーが走らせて楽しいか否か、だ。データばかりに頼らず、乗り手の感性を重視した開発姿勢はいかして形作られたのか?レジェンド“忠さん”の思想を受け継ぐ現社長、大泉善稔さんに話を聞いた。

PHOTO/S.MAYUMI, SP TADAO

TEXT/K.ASAKURA

取材協力/SP忠男 TEL03-3845-2010

https://www.sptadao.co.jp/

今回ご登場いただくのは、昨年SP忠男の社長に就任した大泉善稔さん。長年にわたり同社のマフラー開発を統括してきた人物だ。

また、JMCAの中心人物の一人であり、バイクのカスタマイズをイリーガルな世界から、光の当たる場所へと引き上げることに力を尽くしてきた功労者でもある。

その大泉さん、実はかなりユニークな人生を辿ってきている。その物語を、バイクとの出会いから聞いていこう。

「いとこのお兄さんが、バイク乗りだったんです。CB750とかCB350とかに乗っていたと思います。出かける時に、バイクのタンクの上に乗せられたりしましたね。幼稚園に上がるか上がらないかの頃の話ですが」

だが、これがバイクへの目覚めであったわけではない。大泉少年がバイクにハマるのは、もう少し先の話。

「家族や親族で、バイクに乗っている人は他にはいなかったので、バイクとの初接点であったとは思います。まあそれより、野山で遊ぶのに夢中で……。川で魚を取ったりするのが好きでしたね。大きなウシガエルを捕まえた時は嬉しくて、ペットにしましたよ。寝る時まで一緒でした。家の中で放し飼いにしてましたけど、意外に逃げないものなんですよ(笑)。動物が好きだったので、ムツゴロウさんに憧れていました。動物王国いいなあ〜って」

【SP TADAO(SP忠男)大泉善稔さんインタビュー】楽しさを体感できるマフラーを追求。「気持ちイー!」の伝道者
若き日の大泉さん。バイク遊びはなんでも好きだが、基本はオフロード指向。趣味のエンデューロレースの参戦歴は長い。スライド走法が得意で、ステップを擦るまで寝かせて走っていたのだとか

新潟に生まれた大泉さん。幼稚園の時にお父さんの仕事の都合で東京に引っ越し。とはいえ、荒川のすぐ近くだったので、変わらず自然に親しんでいたそうだ。

おおらかに育っていた大泉少年だったのだが、中学に上がると人生が一変してしまう。

「地元から離れた学校に入ったんですが、そこに馴染めなくて学校に行かなくなってしまった。今で言う引きこもりですかね」

越境入学するくらいだから、勉強はできた。だが「自分の居場所は、ここではない」という気持ちを抑えられなかった。では、どこに居たのかというと、それまでと変わらずに荒川の河原。中学校には3年間、ほとんど通うことはなかった。

義務教育が終了する時期が近づき、「このままではいけない」と考えながらも河原に足を運ぶ日々。だが、その河原で人生を決めた出来事があった。

「土手でモトクロス遊びをしている人達を見て、自分もやってみたいと思ったんです。本屋さんに行って、まずバイク雑誌を買いました。ハーレーが表紙でしたね。雑誌には色々なバイクが出ていて、買えそうなバイクを見ていると、スズキのマメタン50が5.5ps。で、モトクロッサーのRM80が15.5ps。コレだ! と、免許を取れる年でもないのに注文してしまいました。資金は貯めていたお年玉とかです。バイクが届いたら、無理やり家の玄関に押し込んでね(笑)」

引きこもりの息子が、なんの相談もなくバイクを買ってきてしまった。親御さんには、相当面食らったのではないだろうか?

「怒られたという記憶はありませんね。引きこもっていても、学校に行けと強制されもしませんでした。心配はされていると感じて、申し訳なくは思っていましたが……」

器の大きいご両親であるが、心配でないはずがない。普通とは違った道を歩んでいても、大泉さんが子供なりに葛藤を抱えていることを察し、見守ってくれていたのだろう。バイクを手に入れたことも、息子が何かを始めようとしていると、ポジティブに受け止めてくれたのかもしれない。

もっとも、ご両親の心配をよそに、大泉さんは手に入れたばかりのバイクに夢中だった。

「RMは公道では乗れないし、そもそも免許がない。河原まで押して行って、取説を見ながらエンジンをかけました。音が大きくて、驚きましたねえ。取説を読んでもわからないことが多かった。『N』ってなんだ? というレベル。もちろん、ニュートラルのことですけど、周りに教えてくれる人なんかいませんでしたから。自分なりに、なんとなく基本操作を掴んでバイクに跨った。クラッチを握って、ギアを1速に入れて、スロットルを開いて。クラッチを離した瞬間、バイクはどこかに飛んでいってしまいました(笑)」

だが、発進時はスロットルをゆっくり開けるものだと、すぐに理解したというから素晴らしい洞察力。2回目の挑戦で、発進には成功。

「でも、排気音がカン高くなった瞬間に、ウイリーしたバイクに引きずられちゃってね。自分はウルトラマンが飛んでる時みたいな姿勢になっちゃって(笑)。グラウンドを二面突っ切った先で転んで、やっと止まった。その日は怖くなって家に帰りましたよ。『こんなもん買っちゃってどうしよう?』と、頭を抱えました」

80ccとはいえ立派な競技車両、しかもピーキーな2ストロークエンジン。全くバイクを知らない少年には、荷が重かった。だが、練習を重ねるうちに、だんだんと走れるようになり、土手でモトクロス遊びをしていた人達と一緒に走るようにもなった。やがて、モトクロスライダーへの憧れが膨らんでいったのだ。

そして同時期に、人生を決めたもう一つの大きな出会いがあったのだ。

「最初に買ったバイク雑誌に、忠さんが出ていてね。ヘルメットに目玉が描いてあって、面白いオジサンがいるなあって」

“忠さん”とは、もちろんSP忠男の現会長、鈴木忠男さんのこと。本誌読者であれば、原田哲也さんや中野真矢さんを育てた名伯楽という印象が強いかもしれないが、自身は全日本モトクロスチャンピオン経験者。当時、既に現役を引退しSP忠男を営んでいた。

現状に悩み、将来を考え始めていた大泉さんは、忠さんに手紙を書いた。

「『モトクロスライダーになりたいので、SP忠男に入れてください』と書いて送ったんですが返事がない。仕方ないので、もう一度手紙を書いたら面接してくれました。まだ中学生の年齢だったので『16歳になったら来い』と言われました」

16歳になり、晴れてSP忠男に入社。最初はメカニック見習いだ。

「初日からモンキーのボアアップをやらされて……。未経験だからできるわけがない(笑)」

忠さんとの最初の出会いも、順調なものではなかったそうだ。

「ほぼしゃべらない、ただただ顔のコワいおじさん(笑)。でも、自分が仕事のやり方がわからずに困っていると、いつのまにか作業を進めていたりする。自社マフラーのエキパイの塗装に手こずっていたら、黙って隣で塗り出したりね」

大泉さんが忠さんについて語る時、誉めそやす言葉は出てこない。けれど、その表情は必ず笑顔だ。

「休みの日は、一緒にモトクロスをしにいくこともありました。やっぱり桁違いに速いんですよ。仕事が忙しくて、モトクロスのレースに出るどころではなかったんですが……」

チャンピオンの走りを身近に見られて、仕事も充実していた。だが、大泉さんは会社に不満もあった。

「当時、ホンダのMB50が大人気で、SP忠男でもチャンバーを造って、良く売れていた。でも、音こそレーシーでしたが、速くはなかった。自分は、カスタムパーツは性能が上がらなきゃいけないと考えていたんです。上の人間に、性能が上がる製品を造ろうと訴えたら、『じゃあ、オマエがやれ』と言われまして」

まだ10代だった大泉さんは、マフラーの開発担当に任命されてしまったのだ。

「排気系の性能を出すには、容量の確保が重要なんです。で、高性能なマフラーが出来たら、なんだか全体的に長い。会社で披露したら『カッコ悪い』と言われ、目の前で金ノコで切られたこともありました(笑)」

その頃から40年以上、大泉さんはSP忠男マフラー開発のキーマンとして活躍し、数々の名作を生み出してきた。そのひとつが、ZZR1100用スーパーコンバットだ。

名作カワサキZZR1100用スーパーコンバットのカタログの一部。集合管全盛の時代に、いち早く2本出しサイレンサーを採用しているところにも注目。ピークパワーを追求するにはエキゾーストパイプとサイレンサーに大容量が必要だった
名作カワサキZZR1100用スーパーコンバットのカタログの一部。集合管全盛の時代に、いち早く2本出しサイレンサーを採用しているところにも注目。ピークパワーを追求するにはエキゾーストパイプとサイレンサーに大容量が必要だった

「ZZR1100は、ノーマルマフラーの性能が素晴らしくて、ノーマルを上回る社外マフラーが出来ないと言われていたんです。じゃあ、ウチがやってやろうと。マフラーの性能は、エキゾーストパイプの設計で多くが決まります。パイプの太さや長さ、レイアウトを変えたり、本当に色々なことを試しました。そこで得たノウハウは財産ですね」

ZZR1100用スーパーコンバットは、絶賛をもって迎えられた。極限までパワーを追求し、最高速アタックで多くの記録を樹立。SP忠男は速いマフラーを造る、と大きな話題となった。

だが程なく、マフラーはパワーだけではいけないと気付かされる出来事があった。

「2000年前後のことです。イベントに自信作のマフラーを装着した試乗車を持ち込み、同じバイクのオーナーに乗ってもらいました。自信満々で感想を求めたら『全然違いがわからない』と言われたんです。ショックでしたね。とにかく全開域でのパワーを重視してマフラーを開発していたのですが、ストリートを走る多くのライダーは、そこまで回して走っていなかったんです」

当時ビッグバイクの性能は、既に公道で使い切れる範疇を超えていた。大泉さんは開発コンセプトを、別方向に大きく舵を切ることになる。

現在の看板マフラー「POWER BOX」のXSR900 GP用は膨張室の存在感が強い。膨張室の容量や位置を調整し、排気脈動を緻密にコントロール。低回転域からの力強いトルク特性と、全域の繋がりの良さ、開けやすさが魅力
現在の看板マフラー「POWER BOX」のXSR900 GP用は膨張室の存在感が強い。膨張室の容量や位置を調整し、排気脈動を緻密にコントロール。低回転域からの力強いトルク特性と、全域の繋がりの良さ、開けやすさが魅力

「トップエンドのパワーは捨てても、低中速のトルクを引き上げる。それなら、日常使用域でパワーを楽しめる。マフラーを換える楽しさを、ちゃんと味わってもらえるんです」

そうして生まれた新コンセプトのマフラー、スーパーコンバット・ピュアスポーツは多くのライダーから支持された。現在のSP忠男を代表するマフラーといえるパワーボックスも、大泉さんが先頭に立ち開発したもの。こちらも、誰もが性能アップを楽しめるマフラーになっている。

こうした“楽しさ”を重視したマフラー造りを象徴するキャッチフレーズが、SP忠男にはある。それが“気持ちイー!”だ。

SP忠男の関係者が集まれば、輪の中心はやはり忠さんと大泉さんだ。二人の絆は特別。大泉さんの口からは、忠さんの面白エピソードばかりが飛び出すのだが、親愛の情の裏返しなのだろう
SP忠男の関係者が集まれば、輪の中心はやはり忠さんと大泉さんだ。二人の絆は特別。大泉さんの口からは、忠さんの面白エピソードばかりが飛び出すのだが、親愛の情の裏返しなのだろう

「モトクロスの現役時代、コーナーからコース幅ギリギリを全開ドリフトで立ち上がるのが忠さんの走り方でした。観客を楽しませるためにやっていたのかと聞いたら、『ハァ? そう走った方が気持ちイーだろうが』と返ってきた。我々の目指すところはソコだとピンときました」

大泉さんが大切にしているのは、データではなく走らせての感触。

「エキサイトメントは大切。ですが、安心して開けられる信頼感も重要です。誰が乗っても楽しい“気持ちイー!”マフラーを造り続けたい」

SP忠男はパーツメーカーだけではなく、ショップも展開。写真の「SP忠男 上野本店」ではマフラーの販売・取り付けはもちろん、メンテナンスやカスタマイズにも対応。中でも得意としているのはリプレイスタイヤ。取り扱うタイヤはスタッフがテスト済みで知識は豊富、装着タイヤについての相談も安心だ
SP忠男はパーツメーカーだけではなく、ショップも展開。写真の「SP忠男 上野本店」ではマフラーの販売・取り付けはもちろん、メンテナンスやカスタマイズにも対応。中でも得意としているのはリプレイスタイヤ。取り扱うタイヤはスタッフがテスト済みで知識は豊富、装着タイヤについての相談も安心だ
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