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「主人公がどんどん変わっていくのが面白い」瀧羽麻子が初の大河小説で描く、音楽に人生を捧げた不器用な男の75年【インタビュー】

  • 2026.7.31

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ページを開いた途端、子どもの頃、大好きだった世界名作物語や偉人物語を読んだときの、わくわくする感覚が蘇ってくる。『ありえないほどうるさいオルゴール店』(幻冬舎)、『博士の長靴』(ポプラ社)をはじめ、心に沁み入る小説を数多、描いてきた瀧羽麻子さんが紡いだのは、戦後の激動期から現代まで、音楽に人生を捧げたひとりの指揮者の物語『我らが音楽に祝福あれ』(ポプラ社)。才能とは、使命とは何なのか、という命題を軸に、音楽に焦がれ、まっすぐに歩んでいく主人公の人生に込めたものを瀧羽さんにうかがった。

「ずっと大河小説を書きたいという憧れを持っていました」

――理想の音楽と現実の間で苦悩しながら音楽に人生を捧げた、ひとりの指揮者の軌跡を描いた『我らが音楽に祝福あれ』。執筆の起点はどこにあったのでしょうか。

瀧羽麻子さん(以下、瀧羽):大河小説を書きたいという憧れをずっと持っていたんです。これまで短編が好きで、どちらかといえば得意だと思ってきたのですが、そろそろ腰を据えて大河に挑戦してみよう、と。ひとりの人の長い人生を描くことを、夢として温めてきました。主人公には一生できる仕事を持ってほしいと、さまざま考えるなか、音楽の分野を選んだのですが、演奏家を描いた小説はこれまでにも名作が数多あり、そのなかであまり登場してこない指揮者という立場を選びました。

――初めての大河小説。ご執筆中にはどんな思いが現れてきましたか。

瀧羽:短編は一瞬一瞬を切り取る楽しさ、角度もいろいろ工夫できるところがあるのですが、ひとりの人物を主人公とし、その視点で長期間を書いていくと、その人自身がどんどん変わっていくところがとても面白かったですね。特に今回は、子ども時代から、かなり年配になるまでを追った話なので、時代背景はもちろん、主人公の成長とともに、いろんな人との出会いもある。その世界の広がりが、描いていて楽しかったです。

――章タイトルは〈1950年〉〈1958年〉……〈2025年〉と、とてもシンプル。主人公・相原佳和が、音楽とともに歩む75年のストーリーは潔いほどまっすぐ進んでいきますね。

瀧羽:現実世界でも、家族や友だちなど、長い付き合いのある人と話をしていると、「子どもの頃、あなたはね」みたいな話題がよく出てきますし、高校時代の友だちが、「こんなに立派なお母さんになって」という感慨を持つことがあると思うんです。それと同じで、ひとりの人の成長、人生を追っていくなか、時間の流れに沿ったほうが、その人の傍で寄り添い、変化を見守りやすいかと。視点を変えたり、時系列を組み替えたり、という小説の技法も好きなのですが、ひとりの人の人生をたどるにあたって、今回はあえてシンプルなこの構成に決めました。

音楽を描きながら、経済や政治など時代の変遷も重ねられる

――物語は1950年、お屋敷に住み込みで働く母とともに暮らす5歳の佳和が、お屋敷のお嬢さま・貴子の誘いで行った教会で、音楽の壮大さに魅了されるところから始まります。その後、中学の吹奏楽部でトランペットに出会い、進路に迷いながらも音大へと進学。しかしそこでトランペットの才能の限界を感じ、指揮者の勉強を始めることになります。そうして佳和が成長していくなか、時代は目まぐるしく変わり、そこに現れてくる社会、文化、生活の描写にも惹きつけられます。

瀧羽:昭和の時代がどんどん遠ざかるなか、この時代を書き残しておきたいなと。そこで生きていた人がいなくなってしまうと、失われていってしまうものがあると思うんです。たとえば私の祖父母は戦争を知っている世代ですが、知っている人と知らない人では、やっぱり違う。

音楽は芸術として、社会や時代性、いわゆる経済や政治とのかかわりが薄いイメージもありますが、音楽、殊にクラシックは、自分で学ぶにも、コンサートを開くにも、そして聴きにいくにもお金がかかる。それもあって、社会情勢とまったく切り離されたところで存在しているわけではない。日本がバブル経済の頃は、豪華なコンサートを開くことも観客を集めることもできたけれど、経済が萎んでしまうとゆとりが失われていく。社会の中で活動している以上、芸術といえど、社会や経済、人々の暮らしと無関係だということはあり得ない。作中にもそうした描写が出てきますが、時代の変遷を描くなか、芸術と時代の関係性も実感していました。

孤高の芸術家のようでいて他者と関わらざるをえない、指揮者という仕事の面白さ

――クラシック音楽そのもの、音楽に携わる人々の様子や気持ちが、音楽に詳しくない読者にも明快に伝わってきます。瀧羽さんご自身、音楽への造詣が深いと感じたのですが――。

瀧羽:私自身は、子どもの頃にピアノを習っていたのと、両親がクラシック音楽好きだったという程度の軽い接点しかなくて。ただ、自分の知らない世界を書いていくこと、調べていくことはとても好きです。今作の執筆にあたり、指揮者の方への取材もさせていただきました。おひとりが日本人の方で、もうおひとりは外国人の方なのですが、指揮者のお仕事について、音楽に対する姿勢や根本的な心得みたいなところも含め、お話を伺いました。それぞれにとても個性的で、指揮者の多様性に感じ入りつつ、私なりの主人公を形づくっていきました。

――指揮者の方への取材のなかで気づいたこと、物語に強く反映したところは?

瀧羽:とにかく音楽がめちゃくちゃ好き、というのが強く伝わってきました。それから、指揮者の特殊な立ち位置というものにも、惹きつけられました。そもそも指揮者は演奏中、ひとりだけ体の向きが違いますよね。指揮者自身が表現したい音楽はオーケストラがいないと完成しない、自分の頭のなかにある音を自分の手では奏でることができない、という立場も、とても独特だと思いました。指揮者はどこか、孤高の芸術家と思われがちですが、ひとりよがりになってはいけない。コミュニケーション能力も磨き、伝え方も工夫しなければならないところは、一般社会の仕事にも通じると思いました。オーケストラにいる大勢の表現者たちを率いていくには、音楽的な技量に加えて、人間的な素養も必要になってくるというところにも面白さを感じました。

――佳和が指揮者の道を目指すきっかけになるのは、彼を本格的な音楽の道へと導き、生涯にわたり、親しい友となる音大の先輩・戸川。溢れんばかりの才能と自信を持つあまり、彼は指揮をするオーケストラ団員との間に軋轢を生みます。本作には戸川をはじめ、後にドイツに渡ることになる佳和が師事する世界的な指揮者・ハルトマンなど、強烈な個性を持つ音楽家たちが次々と登場してくるのですが、佳和自身は、湖面の水面のように穏やか。彼のそうした人間的な素養も読み手を惹きこんでいきます。

瀧羽:佳和の造形については、音楽への愛が一番、ということを軸にしました。若い頃は自分の才能や進路について悩むことも当然ありますが、特に指揮者デビューをして以降は、あまりぐずぐず考え込まなくなっていく。偉くなりたいとか、有名になりたいというより、音楽さえやっていたら幸せという、まっすぐなタイプの人が出来上がっていきました。音楽という大きなものの前で、自然と謙虚になれる、ある種ストイックな人。若干、流されがちにも見えるかもしれませんが、よくいえば柔軟で、だからこそチャンスが来たときには逃さず波に乗っていく。彼の音楽への純粋な愛と努力に、周りの人たちも心動かされ、助けてあげたくなる。支えよう、応援しようという気持ちにさせる人だと思うんです。

才能が与えられ、自分に見つけてしまった人には、努力してそれを伸ばす使命が生じる

――佳和の音楽への純粋な愛は、執筆のなかで展開も生んでいったのですね。

瀧羽:そうですね。本当に佳和は音楽が好きでたまらない。もちろん時には挫けてしまったり、うまくできないことへの反省や悔やみがあったりしますが、それでも、長い人生で一度も指揮者を辞めたいと思っていない。それはけっこうすごいことだなと思って。ストーリーは、デビュー前までの下積みとデビュー以降、プロの指揮者としてやっていくところ、大きく2つに分かれますが、前半は音楽と自分のことでせいいっぱいだった彼が、年齢とキャリアを重ねるなか、後半ではオーケストラの経営やメンバー、後進のことも考えていく。性格柄、熱血な感じではないけれど、自分ができることは何か? と視野が広がっていく。それもやっぱり音楽が好きだから、というのが根本にあります。

――佳和が音楽の素晴らしさに気づく機会を与えてくれた、母が働いていたお屋敷の娘・貴子は、佳和の人生のなかの重要な地点で登場してきます。恋愛関係にこそなりませんが、佳和が心のなかで「不滅の恋人」と呼ぶ貴子は、彼の心の支えにもなっていきます。

瀧羽:佳和は基本、孤独な人だと思います。周りの人に恵まれてはいますが、音楽が大事すぎて、私生活まで手が回らない。家族も持たない。唯一、拠り所として登場させたのが貴子です。佳和は自身のことを否定しないけれど強く肯定もしない。貴子が彼に与える「全肯定」は彼を成長させるために大事な要素だと思って。その安心感のようなものが主人公にも、そして書いている私自身にも助けとなりました。

――幼い頃、教会で、貴子と佳和が一緒に聞いたキリスト教の教義「タラントン」の話。〈タラントンは、天から与えられた才能を表している。それを最大限に活かしなさい〉と、貴子が佳和に語るエピソードがあります。ここで語られる「才能と使命」は、本作の大きなテーマのひとつになっていますね。

瀧羽:芸術に携わる人なので、才能の話はやはりはずせませんでした。才能はもともと個人的にとても興味のあるテーマで、これまでにもあちこちで書いてきました。芸術でも、スポーツでも、学問でも、才能はとことん極めていくと、人間の力の及ばないところに近づいていくように感じます。理屈や人知を超えた、大いなるものというか。いろんな考え方があると思うのですが、才能は、あるところにはあるし、ないところにはない。種のないところにどれだけ水をあげても芽は出ない。一方で、才能が与えられるものである以上、その種を自分のなかに見つけてしまった人には、努力してそれを伸ばす使命が生じるのかなと。

なぜそこまで自分が努力するのか、佳和本人もたぶんよくわかっていない。でも、糧となったのは「好き」という思い。何を糧にするかは人それぞれですが、いずれにせよ、才能があると評価されているような人は、全身全霊をかけ、自分の力を伸ばそうとしている。それが、天から授かった才能を活かす、ということになるのかもしれません。

視覚以外のものを文章で書く難しさを痛感「音楽の場面はその曲を聴きながら書いていました」

――作中には、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」や、チャイコフスキーの「悲愴」、ベートーヴェンの「田園」など、クラシック音楽の名曲が次々と出てくるのも楽しいですね。

瀧羽:いろんな方が読んでくださると思うので、イメージしやすい曲がいいかなと、ある程度は有名な曲を中心にしました。何度かコンサートにも行き、生で聴いた曲もいくつか入れています。あとは、マーラーの曲については時代と関わっている感じが強くて、そのあたりもまじえて書きました。バブル期の流行は、時代性を象徴していると思って。マーラーの楽曲は編成が大きくて、お金がかかるんです。1000人コーラスとか。経済に余裕があると、大がかりなコンサートも可能だし需要もある、そういう上向きな時代の空気とも連動するかなと。

――作中に出てくる楽曲のひとつひとつが時代性を表していくとともに、佳和がそのとき置かれている状況や心境を映していくのも物語ならではの醍醐味だと思いました。

瀧羽:佳和の指揮者としての道が開いていくきっかけとなるときに指揮をする「真夏の夜の夢」は、妖精と一緒に踊るみたいな楽しい曲。佳和らしいなと思いながら書いていました。指揮者と演奏者の考え方の違いで衝突が起きる場面に入れたチャイコフスキーのピアノコンチェルトでは、両者のせめぎ合いを描きました。その時々に、彼に必要な曲、彼の心境に添う曲を、物語のなかに組み込みました。

――オーケストラの音が聞こえてくるような、それぞれの楽曲、演奏シーンの描写が印象的でした。

瀧羽:音楽を文章で書くのは本当に難しいなと痛感しました。文字というものの限界を感じながらも、どういう風に音のイメージを伝えるか、その響きを再現できるようにと、音楽の場面は何度もその曲を聴きながら書いていました。

――さまざまな楽団で指揮をしながら、オーケストラをまとめていくようになる佳和の人生を書いていくうちに見えてきた「指揮者」とは?

瀧羽:取材で指揮者の方にお話を伺ったとき、印象的だったのが、自分を大きく見せようとしてはいけないということ。演奏者とは音楽家同士、リスペクトが必要だし、自分のためだけの音楽であってはならない。そういう意味で、佳和の性格は向いているのかなと思いますが、改めて不思議な立場だなぁと。楽団員の上に立つわけではないですが、かといって並列でもない。それが特殊だし、面白い。あと、やはり孤独だと思いました。指揮者はいろんなオーケストラを点々としていくのが基本。常任でも、ずっと楽団員の方たちと一緒にいるわけではない。集団として仕事をするにもかかわらず、距離がある。しかもひとり対大勢で……大変なお仕事です。

――その孤独に耐えられることも、きっと指揮者としての才能のひとつなのでしょうね。

瀧羽:そうですね。最終責任者として覚悟もいりますし、責任も負う。でもその分、うまくいったときには、誰にも得ることができないような歓びを抱けるのではないかと思います。

――その歓びも読者のなかに流れ込んできます。そしてストーリー後半には、驚きの展開が――。

瀧羽:シンプルな構成なので、なにかひとひねり入れたいと思いました。前から順に読んできてくださった方は、「え!?」と感じられるかもしれませんが、そこまでにもうっすらと含みをひそませているつもりなので、よかったら注意してみていただければ。

――本作を読者の皆さんにどのように楽しんでいただきたいですか。

瀧羽:楽譜の音符は誰が見ても同じですが、音楽家によって表現された結果、まったく違う演奏になっていきます。楽曲とは作曲家のものであると同時に、演奏家のものでもあると私は思います。小説も、本のなかには誰が読んでも同じ文字が並んでいますが、読む人によって受け取り方、感じ方はまったく違う。物語は読んで初めて完成するものだと思うので、自由に、楽しみながら読んでいただけたらうれしいです。

取材・文=河村道子 撮影=後藤利江

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