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SUPER BEAVER渋谷龍太のエッセイ連載「吹けば飛ぶよな男だが」/第60回「ドキュメンタリー」

  • 2026.6.27

ここまでどうにかこうにか生きてこられたもので、どこを切り取ってもスマートとは縁遠く、繰り返す失敗の上でバタバタと生きてきたものだから、まさか自分が、というより自分たちがドキュメンタリー映画になるなんて夢にも思わなんだ。

『吹けば飛ぶよな男だが』を読む

普段フィーチャーされることのなかった、あるいはひた隠しにしてきた時間や、表だった思想の裏側が開けっ広げにされ、適切ではないがいわゆる主人公たる人物のあれこれを垣間見ることができる、そういったものがドキュメンタリーだ。秘密裏に重ねられた努力、あえて口にしなかった本音、これがドキュメンタリー。素晴らしい。

だから一番最初にこの話をもらったとき、にべもなく断った。

もちろんありがたいと思ったし、提案して頂けることだけで十二分に光栄なことであるのは百も承知だ。ただ、やっぱり私はバンドマンでステージ至上主義でここまで生きてきた。「ステージのみが真実」というこの思想は、どれだけ努力をしてきただとか、どれだけ考えて考え抜いてきただとか、そういうものは蛇足に過ぎないというものであり、あの人はあれだけ努力をしてきたんだもんね、とか、これだけ毎日考えてきたんだもんね、とかを付加価値としてつけられてたまるかという思考からきているものなのだ。秘密裏に重ねられた努力は秘密裏である必要があり、あえて口にしなかった本音は公に口にしなくていいものなのだ。だからこそステージは非日常であり、非現実的でいられる。それが故、受け取る側の数だけフレキシブルに形を変貌させ、日常に強くコミットすることが出来るのだと私は考えている。

これまで我々の軌跡は「都会のラクダ」というSUPER BEAVERの活動を小説にまとめたもの(「都会のラクダ」はKADOKAWAより発売中。私が書きました、イエイ。宣伝でした)や、各媒体によるインタビューなどで語られてきたし、包み隠さず話してきたものも多い。しかしそれはあくまで、伝えることを念頭においた文章であり、または第三者を通してのテキストだったりする。動画で我々が語っているものもあるだろうが、それですらリアルタイムではないのだ。あの時、あの場面での思い出話というフォーマットというか。ただドキュメンタリーは生々しさが違う。ドキュメンタリーというからには使用箇所に素材としている自分たちが関与するのは違うので、理想の形には出来ない。そして、作品だからこそ本当の本当にヤバい箇所は間違いなく使用されないこともわかっている。だから倫理観の網でしっかり濾した、見せたくなかった場面を含むおおよそ九割の真実を、一つの作品として放つということなのだ。

音楽をやっている、という事実のみでいい、純粋に音楽を、ステージを楽しんでくれるだけでいい。余計な気持ちは芽生えさせたくない。この気持ちでいるからこそ、一体、どうなの、と。

ただ、自分自身もミュージックラバーであり、好きなバンドの軌跡は追っ掛けたいと思ってしまう。へエ、ここでボーカル逮捕されて活動止まったんだ。あ、でもその後バカ売れしたアルバムが出てワールドツアーになるわけだから、日本来たのはその後か。あれ、待って、そこで大喧嘩して解散寸前までいってんのに、その渦中でしれっとマネージャーと結婚してるギターって図太くね? それきっかけでまたメンバー間ガタガタになるんだもんな。そうやって聴くと最後のアルバムの一曲目のギターソロどっか投げやりだわ、そこがまたいいんだけどグフフ、みたいな。

そんなんだから、もし知りたいと思ってもらえるならそれだけでも光栄なのかもしれない、と思った。それが本質的な音楽に変われば、それはそれでいいのかも、と。

そしてこれは結果として分かったことだが、尽力して作品を作り上げてくれた数々のスタッフ、監督の存在は大きい。本当に結果がそうだったから良かったのだが、我々を追い、耳を澄ませ、動き続ける彼らの姿を見て私は、それくらいの美学など、「まアいいか」と済ませてしまってもいいかも、と思えた。自分たちの軌跡をこうして収めてもらったことは、素敵なことだったのかもしれない。

おそらく即効性のあるものとは違う。良い方にも良くない方にも、結果が出るなら絶対ジワジワと、だ。ただそれはこの作品だけがもたらす結果ではなく、それを踏まえた自分たちの歩みも大きく関与している。変わることもあれば変わらないものもあるし、変えるものもあれば変えないでいるものもある。全てが紐付き、全てが結果として出る。

これを作って良かった、と素晴らしいスタッフのみんなに思ってもらいたい。これを公開して良かったのかも、と自分で実感したい。そして何より、これを観て良かった、とあなたに思ってもらいたいです。

これだけドキュメンタリーについて語ってきましたが、私はこの作品観てません。

一番最初、バンドが変わったのか変わってないのかを観察したい、と言ってもらったあの日。あくまで自分が素材としていられるという立ち位置を確認し、ミュージックラバーである側面の自分の気持ちもしっかり鑑みて、首を縦に振ったあの日。「俺、観ないけどそれでもいい?」と言ったのだ。

こればかりはステージ至上主義の自分が許してくれないのさ、だからこの先もきっと観ません。

つまるところ、俺はいいけど、渋谷龍太がなんて言うかな、的な。はい、すみません。以上です。

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