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苦しい夜には、頑張れという言葉のほうが重い 20年前に生まれた「同じ歩幅」で隣にいる歌

  • 2026.9.1
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kōkua。左から武部聡志、小倉博和、スガシカオ、根岸孝旨、屋敷豪太-2006年1月撮影(C)SANKEI

テレビの前で、背筋が少しだけ伸びる音がある。仕事に向き合う人々の姿を映すドキュメンタリー番組が始まるときに届いてくる、あの旋律だ。放送は2026年で20年目に入ったが、テーマ曲は差し替えられることなく、同じ歌が流れ続けている。テレビの前だけではない。朝の支度をしながらこの曲を流し、今日に向かう気持ちを少しずつ引き上げていく。そんなふうに一日の始まりをこの歌に預けてきた人も、きっといるだろう。

けれど、この歌が歌っているのは、頂点に立った者の凱歌ではない。迷いを抱えたまま、それでも歩こうとする人の歌だ。

kōkua『Progress』(作詞・作曲:スガシカオ)ーー2006年8月2日発売

始まりは、番組と同じ2006年にさかのぼる。一流の仕事人を映す番組のために作られた歌が、なぜ完成された人間の歌にならなかったのか。そこに、この曲が20年愛され続ける理由の芯がある。

一流の物語に等身大の歌を寄り添わせる

番組はNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』。各界の一線で働く人々を追うドキュメンタリーの主題歌である。番組が映すのは、その道を究めた人の顔だ。ならば主題歌も、揺るぎない決意や達成の高揚を歌うのが自然な発想にも思える。

ところが詞の主人公は、そういう人物ではない。理想の自分にはまだ届かず、うまく胸を張れない日々を抱えたまま、それでも一歩ずつ進もうとする等身大の人間だ。完成された強さではなく、迷いや挫折を抱えながらも前へ進もうとする姿を描いている。そこに、この曲が多くの人の心に寄り添う理由がある

この逆説こそが効いている。画面の中の一流たちも、最初から一流だったわけではない。積み重ねた日々の先に今日の顔がある。頂点の物語の入り口に、まだ途上にいる者の歌を置いたことで、番組と曲は互いを補い合う関係になった。観る側は仕事人の姿に憧れ、歌に自分を重ねる。その往復が、放送のたびに繰り返されてきた。

応援・前向きと聞いて思い浮かべる高らかなファンファーレとは、温度がまるで違う。声を張って鼓舞するのではなく、隣に並んで同じ歩幅で歩き出すような近さがある。だからこの歌は、調子のいい日よりむしろ、うまくいかない日に沁みる。

主題歌のためだけに集まった名うての協力

kōkuaは、この番組の主題歌を作るために結成されたバンドである。発案は音楽プロデューサーの武部聡志。スガシカオをボーカルに、ギターの小倉博和、ベースの根岸孝旨、ドラムの屋敷豪太という、第一線で腕を磨いてきた顔ぶれが集まった。バンド名はハワイ語で「協力」を意味する。看板を背負うためではなく、ひとつの番組のために名前を持った。この身軽さが、そのまま音の風通しのよさにつながっている。

制作は時間との勝負だった。番組側からの依頼は放送開始のおよそ1カ月前、12月中旬。スガシカオが約3曲を書き下ろし、そのなかから番組側が『Progress』を選んだ。全員の予定が合ったのは12月25日ただ一日で、歌はその日に録り上げられている。

急ごしらえの座組と聞けば、間に合わせの音を想像するかもしれない。だが仕上がりは逆だ。武部聡志と小倉博和による編曲は、歌の歩幅を追い越さない。音の厚みで圧倒するのではなく、旋律が一歩ずつ進んでいく速度に寄り添うように組まれていて、聴き手の呼吸まで整えてくれる。曲が進むにつれて景色が少しずつ開けていくのに、足元は最後まで揺らがない。歩く速さを変えずに視界だけが広がっていく感覚は、この編曲の設計そのものだ。寄せ集めではなく、この歌のためだけに結ばれた協力。バンド名の意味が、そのまま音になっている。

声と旋律がこれきりの盤に体温を残した

kōkua名義で発表されたシングルは、後にも先にもこの1枚だけである。2016年にアルバム『Progress』は出ているが、シングルは本作のみ。ひとつの歌のために生まれ、ひとつのシングルを残したバンドという成り立ち自体が、この曲の純度を物語っている。

その中心にあるのが、スガシカオの声だ。艶やかに磨き上げるのではなく、ざらりとした手触りを残したまま言葉を運ぶ。きれいごとに聞こえない声だからこそ、前を向こうという言葉に実感が宿る。滑らかな美声で歌われていたら、この詞はきっと立たなかった。かすれの奥に疲れと誠実さが同居していて、その声が「進もう」という意思を口にするから、聴き手は励まされるより先に、まず信じられるのだ。サビに向かって旋律がゆっくり高度を上げていく運びも、飛躍ではなく歩みの速度で、声と同じ体温を保っている。

2006年の年末には、NHK紅白歌合戦の舞台でもこの曲が歌われた。名義はkōkuaではなく、スガシカオとしての初出場である。番組のために生まれた歌が、その年を締めくくる大舞台まで届いた。年の瀬にこの歌に耳を傾けながら、華やかさよりも、1年を歩き切った自分への静かなねぎらいを受け取った人もいただろう。祝祭の夜に、祝祭ではない歌が真ん中に立つ。その光景に、この曲の届き方のすべてが表れていた。

今日を歩く人の傍らで鳴る歌

番組は2026年で放送20年目を迎え、『Progress』はいまも主題歌として流れ続けている。番組のために結成されたバンドが作った歌が、番組とともに歩き続けている。

この曲を、人生の節目に聴き直す人がいる。転職を決めた朝に、新しい土地で迎える最初の夜に、資格試験の前夜に、うまくいかなかった一日の帰り道に。門出の日、お守りのように再生ボタンを押して、自分の気持ちを立ち上げる。そんな聴かれ方がよく似合う歌だ。再生した数分のあいだ、この歌は説教もしなければ、無責任に励ましもしない。歩いてきた道のりをそのまま認めて、あと少しだけ、あと一歩だけ先へ促す。その距離感が、20年経っても古びない理由に映る。

頑張れと連呼する応援歌は、疲れた日には重い。この歌は違う。今日も歩いている、それで十分だと言ってくれる。だから明日も、もう一歩だけ進んでみようと思える。テレビから流れるたびに背筋が伸びるのは、あの旋律が私たちの現在地を肯定してくれるからだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

(文・高輪田マチ)

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