1. トップ
  2. エンタメ
  3. 20年前、突じょ【モーニング娘。】を卒業して慶應大学へ。テレ東アナウンサーへ転身→CDデビューまでの歩み

20年前、突じょ【モーニング娘。】を卒業して慶應大学へ。テレ東アナウンサーへ転身→CDデビューまでの歩み

  • 2026.9.20
undefined
2011年8月、「ピラメキーノ」のDVD発売イベントで司会を務めた紺野あさ美(C)SANKEI

今から15年前の2011年9月、テレビ東京の新人アナウンサー、紺野あさ美のCDデビューが決まった。相手は同期の植田萌子。二人のユニット「もえ×こん」で、シングル『純情☆ファイター』を出すという。

元モーニング娘。の紺野にとって、歌手としてのデビューは二度目になる。ただ、古巣に戻ったわけではない。大学を卒業して入った会社で、先輩と競う番組企画を勝ち抜いた結果だった。アイドルからアナウンサーへと進んだ道が、思わぬところで歌につながった。

14歳のアイドルが大学進学を選ぶまで

紺野は1987年、北海道生まれ。2001年にモーニング娘。のオーディションに合格し、高橋愛、新垣里沙、小川麻琴とともに5期メンバーに加わった。同年10月の『Mr. Moonlight~愛のビッグバンド~』が、最初のCDデビュー作である。

大人数のグループに新人として入り、先輩たちと同じ曲を歌い、踊る。テレビの向こうにいた14歳が、10年後には放送局の新人になっているのだから、同じ人物を長く見ている楽しさがある。初めての舞台は、人生に一度きりとは限らない。

2006年、紺野は大学進学を目指してグループを卒業した。高卒認定試験を経て、慶應義塾大学へ。環境情報学部で学び、2011年に卒業してテレビ東京に入社した。名前も顔も知られている人が、新しい仕事では研修から始める。その区切りは、肩書を書き換えるだけの転身とは違っていた。

もっとも、大学生活の間に歌との縁が切れていたわけではない。2007年には芸能活動に復帰している。進学か芸能かを一度選んで終わりにせず、その時々の場所で両方に関わってきた歩みだった。

声が届かない初めての司会

2011年7月、3カ月の研修を終えた紺野は、『7スタBratch!』でアナウンサーとして番組に初登場した。同じ月には、植田と組む深夜番組『もえ×こん』も始まる。

8月には中野サンプラザのアニソンのイベントで、2人そろって初司会に挑んだ。紺野が新人アナウンサーとしてあいさつしても、歌手の登場に盛り上がる客席には、なかなか声が届かない。メイン司会のアメリカザリガニ・柳原哲也が客席に呼び掛け、仕切り直す一幕もあった。

歌う人を迎える側に回れば、同じステージでも勝手が違う。自分への声援を受けることと、別の出演者へ向いた観客の耳をこちらに向けることは、別の仕事だ。アイドル時代を知る人にも、この日の紺野は確かに新人として映ったはずである。

そこへ、9月のCDデビュー決定が続く。きっかけは、ネットで活動するクリエーターを紹介する『ドリームクリエイター』の企画。先輩アナウンサーのチームと同じ楽曲を歌い、着うたのダウンロード数で勝負した。紺野と植田の新人コンビが勝ち、11月の発売へ進んだ。

新時代での二度目のデビュー

『純情☆ファイター』には、二人の歌唱版に加え、ボーカロイドのGUMIによる版も収録された。かつてのアイドルが懐かしい曲を歌う企画ではなく、その時代のネットの音楽と、テレビ局の新人が出会った一枚だった。

二度目のデビューを前に、紺野は人生の面白さを感じていると語った。初司会で戸惑い、先輩に挑み、同期と新しい名前で歌う。過去の経験があるからといって、新人の日々が省略されるわけではない。それでも、その経験を新しい職場で使える機会がやって来た。

現在は4人の子どもの母となり、テレビ番組で子育てについても話している。アイドル、学生、アナウンサーと、呼び方が変わるたびに新しい顔を見せてきた紺野。2011年の一枚には、その人の歩みが回り道も含めてつながる面白さが残っている。


※記事は執筆時点の情報です

の記事をもっとみる

注目コンテンツ