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45年前、「エア演奏」で100万枚超 常識を"飛び越えた”番組発ユニットとは?

  • 2026.8.8
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イモ欽トリオ-1981年9月撮影(C)SANKEI

「良い子、悪い子、普通の子」。テレビのバラエティ番組から生まれたその呼び分けは、当時の子どもたちのあいだで合言葉のように広まっていた。

イモ欽トリオ『ハイスクールララバイ』(作詞:松本隆/作曲:細野晴臣)ーー1981年8月5日発売

欽ちゃんこと萩本欽一の人気バラエティ番組フジテレビ系『欽ドン!良い子悪い子普通の子』の番組内ユニットが、レコードデビューを果たした。だが、この曲を生み出したのは、当時まぎれもなく時代の最前線にいた男たちだった。

企画ものの体裁で鳴らした一流の音

当時はYMOがテクノという新しい音を世界に広げていた頃だ。そのリーダーでもある細野晴臣が、YMOオマージュのコミックソング然とした企画ユニットの作曲と編曲を自ら引き受けている。この組み合わせ自体が、すでに事件だった。

聴けば分かる。跳ねるようなシンセの刻み、無機質でいて妙に耳に残るリズムの粒立ち。バラエティ番組発のお祭りソングにしては、音の作り込みが明らかに本気なのだ。笑いを取るための曲に、当時の最先端の音響を惜しみなく注ぎ込む。そのちぐはぐさこそが、この曲の最大の仕掛けだった。

とりわけ耳を奪うのは、低音の運びだ。シンセベースが一定の温度で淡々と底を支え、その上を電子音のフレーズが小気味よく跳ね回る。歌の合間に差し込まれる音の断片ひとつまで、置き場所が計算され尽くしている。ふざけた歌詞の下で、音だけは一切ふざけていない。

松本隆の詞もまた、単なる企画ものの範疇を超えていた。三人の役どころのうち、普通の子=フツオを主人公に据え、報われない片思いや冴えない高校生活を歌にする。アイドルソングが華やかな成功譚を量産していた時代に、あえて等身大の凡庸さを主役にする視点は、企画ユニットの詞としては明らかに異質だった。

素人芸がテクノポップを茶の間に運んだ

山口良一、西山浩司、長江健次。この三人は、番組の中でただ歌うだけでなく、当時話題だったテクノポップバンドの演奏スタイルをなぞる振り付けで画面に立った。

シンセサイザーを操るような手つきの動き、ドラムを叩くような振り真似。それは単なるパロディの域を超え、音楽番組の枠でテクノポップという新しい潮流をお茶の間へ橋渡しする役目も同時に担っていた。

三人とも歌の専門家ではない。それでも、細野の書いたメロディラインを、変に崩さずまっすぐになぞる歌い方を選んでいる。うまく聴かせようと欲を出さない素朴な歌唱が、かえってこの曲の“作り込まれた音”を邪魔せずに引き立てていた。技巧で塗り替えるのではなく、素の声をそのまま楽器の一つとして音の中に置く。その割り切りが、結果として曲全体のバランスを保っている。

教わらずに全国の教室で揃った動き

この曲がもうひとつ特別だったのは、聴くだけで終わらなかったことだ。イントロが鳴った瞬間に手を動かしてエア演奏を始め、サビの振りを真似る。フツオこと長江健次の「つれないな…なー!」をみんなで取り合う。そんな遊びが、当時の教室のあちこちで自然発生的に繰り返されていた。

誰かが教えたわけでもなく、テレビで見た動きをそのまま真似るだけで成立する単純さが、子どもたちのあいだで瞬く間に共有のフォーマットになっていったのだ。

一人で聴く曲ではなく、みんなで真似て初めて完成する曲。テレビの前で一度覚えた動きは、翌朝には教室という別の舞台に持ち込まれ、そこでまた誰かに伝染していく。

レコードとテレビと教室、三つの場所を行き来しながら曲の熱が育っていく循環が、この曲にはあった。曲を「聴く」のではなく「やる」。その参加のしかたを発明したことも、この一枚の功績のうちに数えていい。

アイドル全盛期に割り込んだ番組発の一枚

こうして生まれた熱は、テレビの中だけにとどまらなかった。デビューシングルにもかかわらず、この曲の売り上げは100万枚超の規模に達している。バラエティ番組の企画が、本格的なヒット曲の並ぶ場所まで一気に駆け上がったのだ。レコード店の店頭で、アイドルの新譜と肩を並べて積まれる企画ユニットの一枚。その光景自体が、当時のヒットの常識を軽く飛び越えていた。

当時のアイドルソングやニューミュージックが競い合う中に、企画ユニットの一枚が堂々と割り込んでいく。その事実だけでも、この曲がただの余興でなかったことの証明になっている。その後に続くテレビ発ユニットの動き方を占う先例のひとつにもなっている。

笑って聴いていた耳が気づく本気

大人になってから聴き直すと、この曲は意外な表情を見せる。にぎやかな電子音の奥で、メロディそのものはどこか物悲しいのだ。片思いのまま終わる高校生の胸のうちを、細野の旋律は茶化さずに、むしろ静かにすくい上げている。子どもの頃には気づかなかった哀感が、年を重ねた耳にだけ届くように仕込まれている。

だからこの曲は、懐かしさで笑ったあとに、もう一度聴きたくなる。イントロの数秒で当時の教室の空気が戻ってきて、そのすぐあとに、あの頃は聴き取れなかった切なさが追いかけてくる。遊びとして消費された一枚が、40年以上たったいまも新しい聴きどころを差し出してくる。それが、超一流が本気で作った音楽の底力というものだろう。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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