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人気絶頂期・23歳で“新人王”と電撃婚→引退した“誰もが振り返る美女”。「まだ続けたかった」も卒業したワケ

  • 2026.9.3
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仲根かすみ-2002年11月撮影(C)SANKEI

仲根かすみを「元グラビアアイドル」の一言で片づけると、2000年代前半に彼女を取り巻いていた熱気が抜け落ちてしまう。

雑誌を開けばグラビアがあり、映像作品が出ればイベントに人が集まる。写真集、カレンダー、トレーディングカード。さらにNHKの語学番組、バラエティー、ドラマ、映画へと活動は広がった。いまのようにSNSで本人の日常へいつでも触れられる時代ではない。だから新しい一冊、新しい一本、本人に会える一日が、ファンにとって大きな出来事になった。

仲根かすみの人気は、単に露出が多かったという話ではない。新作を待つ時間があり、発売日に足を運ぶ人がいて、次はどんな表情を見せるのかという期待が途切れなかった。その「次」が何度も用意されたところに、当時の勢いがある。

16本の映像作品と、会場を埋めた人の列

2003年1月発売のDVDは、2000年12月の作品から数えて16本目だった。当時の記事が「約2年間で16本」と驚きをもって伝えたほどのペースである。

一つの映像作品には、企画があり、海外を含むロケがあり、発売記念イベントがある。それが終わるころには、もう次の作品が待っている。仲根かすみの2000年代前半は、季節が変わるたびに新しい姿が店頭へ並ぶような密度だった。

人気の大きさは、実際に集まった人数にも表れている。2002年9月、20歳を記念した写真集イベントでは、東京ドームホテルの企画に読者120人を招待し、握手会は500人限定で行われた。2004年9月のカレンダー発売記念握手会には約600人。2002年のDVD『ハタチの想い』のイベントも「満員御礼」と報じられている。

フォロワー数ではなく、本人に会うため街へ出た人の列で人気が見えた時代である。商品を買うだけなら店頭で終わる。それでも何百人もの人が、短い言葉を交わし、手を握るために会場へ向かった。仲根かすみは、誌面で眺める人であると同時に、わざわざ会いに行きたくなるアイドルだった。

完成された美しさと、飾らない素顔のあいだ

彼女の魅力を語るとき、まず目を引くのは、すっきりとした顔立ちと均整の取れたスタイルだろう。水着姿には健康的な明るさがあり、一方で表情を抑えた写真には大人びた静けさがあった。2004年の写真集は、出版社から「トップアイドル街道驀進(ばくしん)中」と紹介され、ニューヨークで撮り下ろされている。南の島の陽光だけでなく、都会の風景にも収まる。グラビアの中で演じられる振り幅が広かった。

しかし、当時の取材記事を読むと、その完成された印象とは違う顔が現れる。集めているものを聞かれれば、カエルのグッズやチョコエッグ、プチ盆栽の話をする。タイでムエタイの踊りをまねているところを、こっそり撮られたと笑う。

美しさが遠いままなら、憧れで終わる。仲根かすみには、整った容姿の奥から、少しおかしな趣味や無防備な笑い方がこぼれてきた。写真では凛としているのに、話し始めると気取らない。その落差が、憧れを親しみに変えていた。

映像作品が重ねられた意味も、そこにある。静止画だけではわからない声、しぐさ、照れ、笑い。ファンが見たかったのはスタイルの良さだけではなく、その外見から不意にこぼれる人柄だったのだろう。

グラビアからNHK、そして映画の中心へ

人気は、グラビアの外にも彼女を運んだ。2002年4月から、仲根はNHK教育『フランス語会話』のレギュラーに起用された。出演決定をイベントで報告した際には、「ずっと伝えたくて仕方なかった」と喜び、「一緒にフランス語をマスターしましょう」とファンに呼びかけている。

写真の中で完成された姿を見せる仕事とは違い、語学番組では毎週、知らない言葉を学ぶ過程そのものが映る。正解だけでなく迷う姿も見せる仕事だ。そこで求められるのは、見た目の華やかさだけではない。視聴者と同じ場所から学び始められる親しみやすさである。

同年12月には、映画『八月の幻』で初主演を務めた。尾道を舞台に、亡くなった女性の幻影をめぐる切ない物語。もともと仲根のイメージビデオ『もういちど逢いたい』から生まれた企画が、一本の劇映画へと育ち、彼女は物語の中心に立った。

写真集の一ページから、毎週のテレビへ。短い映像作品から、観客が暗い劇場で見つめる映画へ。仲根かすみの人気は、同じ魅力を繰り返し売るだけではなく、その魅力を別の器へ移し替えていく力を持っていた。

水着卒業の翌日、婚姻届を出した

その歩みが大きく切り替わったのは、2005年12月である。わずか2カ月前、仲根はカレンダーの発売記念イベントで、水着グラビアを「しばらく卒業する気はありません」と話していた。ところが12月9日、写真集『SHIZUKU 雫』の発売記念握手会で、同作を最後に水着を卒業すると発表した。本人はグラビアが好きで、まだ続けたかったとも語っている。

そして翌10日、仲根は福岡ソフトバンクホークスの和田毅と婚姻届を提出した。11日には二人で結婚会見に臨んでいる。

出会いは2004年7月。共通の知人の紹介だった。東京を拠点に活動する人気タレントと、福岡を拠点に戦うプロ野球選手。二人は離れた土地で交際を続け、やがて和田がプロポーズした。

当時23歳の仲根に対し、和田は24歳。プロ1年目の2003年に14勝を挙げ、新人王を獲得した若き主力投手だった。会見で和田は、仲根と一緒にいると心が安らぐと語り、結婚を決めた理由を「ずっと一緒でも楽しいかなと思った」と説明した。仲根も、交際を始めたときから、この人とずっと一緒にいられたらと思っていたと話している。

写真集、握手会、水着卒業、婚姻届、結婚会見。それらが数日のうちに続いた。仲根は当分の間、芸能活動を休止するとされた。つい先日まで次のグラビアを語り、ファンと握手していた人が、突然、別の人生へ歩き出したのである。

人気の絶頂とは、「次」を信じさせることだった

仲根かすみの結婚が強い驚きを残したのは、人気者と野球選手の結婚だったからだけではない。誰もが彼女の「次」を当然のように想像していた時期だったからだ。

次のDVDが出る。次の写真集が出る。次のイベントで会える。NHKの次には映画があり、その先には女優としての新しい仕事もあるかもしれない。約600人が並んだ会場には、それぞれの期待があった。

人気とは、過去の作品数だけで決まるものではない。この人なら、まだ見たことのない姿を見せてくれる。そう信じる人の多さが、人気の熱をつくる。仲根かすみは、まさにその期待が膨らんでいる最中に結婚し、表舞台から距離を置いた。

だから、彼女の名前には独特の余韻が残った。何かをやり切って静かに去ったというより、物語の続きがいくつも考えられるところでページが閉じた。端正な美しさ、話せばこぼれる素朴さ、毎週テレビに現れる親しみ、何百人ものファンを呼ぶ吸引力。そのすべてを持った23歳が、自分で選んだ未来へ進んだ。

仲根かすみは、ただ一時代のグラビアを飾った人ではない。次の作品を待たせ、会場まで人を歩かせ、去ったあとには「もっと見たかった」という空白まで残した。その空白の大きさこそ、当時の人気がどれほど圧倒的だったのかを、いまに伝えている。


※記事は執筆時点の情報です

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