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年間200本出演の絶頂期に日本を離れた人気モデル 約10年後に選んだのは新潟での農業だった

  • 2026.8.15
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2021年3月、「イヴ・サンローラン・ボーテ表参道」1周年記念イベントでサステナビリティアンバサダーに就任したローラ(C)SANKEI

海外の大都市で暮らしていた人気モデルが、約10年後には日本へ拠点を移し、新潟で農業に挑んでいる。ずいぶん大きな方向転換に見えるが、その間には暮らし方や仕事、自分のルーツを見つめ直す長い時間があった。

ローラといえば、明るいキャラクターと華やかなファッションでテレビを席巻した存在だ。そんなローラは2015年、人気絶頂のさなかに活動拠点をロサンゼルスへ移した。そこから約10年。海外で日本文化の魅力に気づき、現在は日本で農業にも取り組んでいる。

LAへの移住は、きらびやかな海外進出だけではなく、ローラが生活と仕事を一度組み直す時間でもあった。

人気絶頂で選んだロサンゼルス

2015年当時のローラは、CM契約15本、年間出演番組200本という多忙ぶりだった。それでも安定した場所にとどまらず、日本を離れる道を選んだ。

2025年放送のフジテレビ系『トークィーンズ』では、渡米後の10年間を「自分を取り戻すための旅」だったと振り返っている。渡米当初は部屋に閉じこもり、何もできない時期もあったという。

2018年のインタビューでは、東京とLAの2都市へ活動の場を広げ、LAで過ごす時間が増えていたことを明かしている。慣れない英語を学び、現地で親しい仲間をつくりながら、仕事の選び方も変えていった。

テレビに出続ける安定より、知らない場所で自分の可能性を試すことを選んだ。その決断の裏には、順調に見えるキャリアだけでは測れない葛藤があった。

暮らしと仕事が同じ場所に

2020年、ローラはVOGUE JAPANの動画でLAの自宅を公開した。リユーサブルなキッチン用品やオーガニックフードを紹介し、自身のライフスタイルブランド「STUDIO R330」を手がける自宅オフィスも披露している。

そこに映っていたのは、ただ豪華な海外生活を楽しむ姿ではない。食べるものを選び、長く使えるものを選び、暮らしの延長で仕事をつくる姿だった。モデルやタレントとして見せる側に立ってきたローラが、自分の選択を通じて伝える側へ進んでいたのである。

LAの自宅は、休む場所であると同時に、サステナブルな暮らしを考え、形にする仕事場にもなっていた。

海外で見つけ直した日本

海外へ行ったからこそ、近くにいたときには見えなかったものもある。ローラは、アメリカで暮らしたことによって日本の素晴らしさに改めて気づき、自分の中にある日本人としての部分も意識するようになったと語っている。

関心を向けたのは、茶道や禅、日本の美しさだった。そこから「今を生きる」ことの大切さを学んだという。海外生活を日本から離れるための出来事として終わらせず、日本を別の角度から見る時間に変えていったのだ。

2026年には、約10年暮らしたLAを離れて日本へ拠点を移した。移動した先は、かつてのようにテレビ収録だけを中心にした生活ではない。

外の世界を知ったことで、日本の文化や自然を新しい目で見つめ直す。ローラの帰国は、昔の場所へそのまま戻ることではなかった。

日本へ戻り、今度は農業へ

変化の兆しは2025年1月に見えていた。ローラはその年に挑戦したいこととして農業を挙げ、日本で雑穀を一から栽培したいと話している。当時はLAを拠点にしながら、日本へ帰って取り組む計画だった。

翌2026年には、日本へ生活の拠点を移し、母のルーツがある新潟にも通いながら農業に取り組んでいる姿が報じられた。モデルとして服をまとい、カメラの前に立ってきた人物が、今は土に触れ、食べ物が育つ過程と向き合っている。

同年には、「STUDIO R330」を7月末で終了すると発表。日本の自然や伝統、職人の技、和の美しさを軸にした新しいブランドの準備も明かした。

LAでの暮らしが、そのまま農業の直接の理由になったとは言い切れない。ただ、海外でサステナブルな生活を実践し、日本文化を見つめ直した歩みと、帰国後の農業やブランド構想は、別々の話にも見えない。

人気絶頂で海を渡ったローラは、約10年かけて自分の暮らしを組み直し、日本へ戻った。次に表現しようとしているのは、服やテレビの中だけではなく、農業や食、文化まで含めた新しい生き方なのかもしれない。


※記事は執筆時点の情報です

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