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13年前、芸能活動休止→留学した美人女優。自ら寮を探した“元PR女子高生”の現在地とは

  • 2026.8.14
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2008年12月、ドラマ『トライアングル』制作発表に出席した相武紗季(C)SANKEI

高校野球のPR女子高生から芸能界に入り、俳優として主演映画を携えてロサンゼルスへ。さらに20代後半には仕事を調整し、約5か月にわたって米国で暮らした。

華やかな肩書を重ねるだけでなく、知らない土地で生活を一から組み立てるところまで踏み込んだのが、相武紗季の海外への挑戦だった。それは、外の世界を知りたいという思いを、仕事と暮らしの両方で行動に移してきた歩みだった。

高校野球のPR女子高生から俳優へ

相武紗季が芸能界へ入るきっかけは、2002年に選ばれた朝日放送の「夏の高校野球PR女子高生」だった。そこでの姿がスカウトの目に留まり、翌2003年放送のフジテレビ系ドラマ『WATER BOYS』で俳優デビューを果たす。

10代からドラマや映画、CMへと活動の場を広げた相武は、後年、デビュー後の約5年間を多忙で「記憶がないぐらい忙しかった」と振り返っている。周囲の支えを受けながら、次々と現場へ向かう日々だった。

高校生で始まった仕事は、相武を早くから多くの場所へ連れていった一方、自分の力で知らない環境に立ってみたいという思いも育てていった。

主演映画を携えロサンゼルスへ

海外との接点は、俳優として訪れた。2010年公開の映画『恋するナポリタン〜世界で一番おいしい愛され方〜』が、米ロサンゼルスで開催されたAnime Expoに出品されたのである。

上映後の舞台あいさつでは英語でスピーチし、観客とのパネルディスカッションにも参加した。現地の来場者へ自ら声をかけ、日本生まれの料理であるナポリタンを題材にした作品を紹介する場面もあった。

作品を海外へ届ける側として海を渡り、自分の言葉で観客と向き合った経験は、3年後に生活者として渡米する前章になったのかもしれない。

旅行ではなく、海外で生活したかった

2013年、相武は20代のうちに留学したいという希望を実行に移した。海外ドラマへの関心から、英語を使う仕事の可能性や海外の制作方法に触れたいと考え、約1年前から休みを相談していたという。

その動機は、旅行だけでは得られない経験を求めるものだった。日本ではマネージャーやスタッフに支えられてきたからこそ、「本当にひとりで生活できるのか」という思いもあった。約5か月の滞在は、語学を学ぶだけでなく、自分の暮らしを自分で動かすための時間でもあった。

最初の2〜3週間はホームステイで過ごし、その後は自ら寮を探した。サンフランシスコ、ニューヨーク、ボストン、さらにカナダへも足を運び、現地でできた友人と各地を巡ったという。予定通りに守られた旅ではなく、行き当たりばったりだったと本人が語るほど、行動範囲を広げていった。

一方で、街角で銃声を聞き、ボストンでは差別的な言葉をかけられたこともあった。楽しい思い出だけではない。それでも相武は、知らなかった現実に触れた衝撃を「こういう世界もあるんだ」という実感として語っている。

答えではなく「視野」を持ち帰る

2023年には日本テレビ系ドラマ『リバーサルオーケストラ』で約4年ぶりにドラマへ出演。2025年放送のテレビ東京系ドラマ『夫よ、死んでくれないか』では、安達祐実、磯山さやかとともに主演を務めた。

留学を目に見える成果だけで測らず、知らない環境へ身を置いて視野を広げた行動として見ると、相武の挑戦の輪郭がはっきりする。 高校野球のPR女子高生から始まった俳優人生の途中で、仕事から一度離れて暮らしまで変えた約5か月。その選択には、自分の世界を自分で広げようとする相武紗季の姿が表れている。


※記事は執筆時点の情報です

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