1. トップ
  2. エンタメ
  3. 10歳差の教え子を愛した国民的女優。“教師”と“元生徒”の両側で見せた禁断ロマンス

10歳差の教え子を愛した国民的女優。“教師”と“元生徒”の両側で見せた禁断ロマンス

  • 2026.8.10
undefined
2015年9月、女性ファッション誌「ar」発刊20周年記念イベントに出席した有村架純(C)SANKEI

25歳の女性教師と、15歳の男子中学生。恋愛関係になるには、あまりにも大きな壁がある2人だ。2018年放送のTBS系ドラマ『中学聖日記』で、有村架純が演じたのは中学校教師の末永聖。婚約者がいながら、教え子の黒岩晶から真っすぐな思いを向けられ、やがて自分の感情にも抗えなくなっていく。

教師と生徒という立場に加え、年齢差は10歳。誰かを好きになる気持ちだけでは越えられない一線を、有村は揺れ動く表情で見せ続けた。

だが、有村が演じた「学生と大人の恋」は、これだけではない。『中学聖日記』では教師側に立った一方、別の作品では教え子側から、同じように出口の見えない恋へ踏み込んでいる。

教師が教え子に心を動かされる

『中学聖日記』の聖は、最初から危うい恋を求めていた人物ではない。新任教師として働き、遠距離恋愛中の婚約者との結婚も控えている。社会人としての未来は、すでに形になりつつあった。

そこへ現れたのが、担任するクラスの生徒・晶だった。大人の理屈や学校の規則より先に、自分の感情をぶつけてくる晶。その真っすぐさに戸惑いながらも、聖は次第に無関心ではいられなくなる。

もちろん、好きになったからといって許される関係ではない。聖は教師で、晶は未成年の教え子だ。周囲の目や家族の反対だけでなく、聖自身が「教師である自分」と「晶に引かれる自分」の間で引き裂かれていく。

有村は、この葛藤を大げさな激情だけで表現しなかった。晶を拒もうとする言葉とは裏腹に、視線や沈黙には迷いがにじむ。理性で線を引くたび、その線の向こうに残した感情がかえって浮かび上がるのだ。

2人の関係は、時間や環境が変わっても簡単には消えない。離れようとするほど思いが残り、再会するたびに「今度こそ」という期待とためらいが生まれる。10歳差という数字以上に重いのは、教師と教え子として出会ってしまった事実だった。

元教え子として教師を愛した

その前年、有村は反対側の立場から教師との恋を演じている。

2017年公開の映画『ナラタージュ』で演じた工藤泉は、大学生になった後、高校時代の恩師・葉山貴司と再会する。演劇部の活動を手伝ってほしいと頼まれたことをきっかけに、かつて抱いていた思いが再び動き始める。

泉にとって葉山は、苦しかった高校時代に自分を救ってくれた特別な存在だ。しかし、葉山には妻がいる。恩師への憧れ、救われた記憶、ひとりの男性を求める気持ちが重なり、泉は簡単には断ち切れない関係へ入っていく。

『中学聖日記』の聖が、教え子から向けられる感情を受け止めてしまう大人なら、『ナラタージュ』の泉は、大人が引いた曖昧な線に翻弄される元教え子だ。

立場は逆でも、どちらの恋にも共通するのは、思いが通じれば幸せになれるとは限らないこと。むしろ距離が縮まるほど、年齢や立場、すでにある人間関係の重さが鮮明になっていく。

禁断の恋を、美しいだけの物語にしない

有村は、穏やかな雰囲気の奥に、簡単には言葉にできない感情を抱えた人物を数多く演じてきた。『中学聖日記』と『ナラタージュ』では、その持ち味が特に切実な形で表れている。教師として拒まなければならない聖と、元教え子として離れなければならない泉。どちらも正しさを理解しながら、感情だけをきれいに消すことができない。

有村が見せたのは、障壁を乗り越える華やかな恋愛ではなく、越えてはいけない線の前で何度も立ち止まり、それでも相手へ手を伸ばしてしまう人間の弱さだった。

25歳の教師として15歳の教え子を愛し、別の作品では元教え子として妻のいる恩師を求める。同じ「学生と大人の恋」を両側から演じたからこそ、有村の恋愛列伝には、禁断という言葉だけでは片づけられない痛みが残る。

恋に落ちる瞬間より、その後に待つ迷いをどう見せるか。有村架純は、一線を越える恋を繰り返し演じながら、好きになることと、好きでいてよいことは違うのだと静かに問いかけてきた。


※記事は執筆時点の情報です

の記事をもっとみる

注目コンテンツ