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14歳で単身上京、パニック障害、恩師の急逝を乗り越えて。メジャーリーガーを支えるメンタルトレーナー・兼下真由子が体現する「全部できる」

  • 2026.5.13
メンタルトレーナーとして活躍する兼下真由子さん
メンタルトレーナーとして活躍する兼下真由子さん

 

GLAMでは、さまざまな分野で自分らしく活躍する女性たちにフォーカスし、その人生や価値観に迫るインタビュー企画をお届けしています。

今回お話を伺ったのは、メンタルトレーナーの兼下真由子さん。子役として早くから芸能活動をスタートさせ、紆余曲折を経て事業家に転身。独自の瞑想メソッドを考案し、現在はメジャーリーガーなどのトップアスリートや経営者などをサポートしています。

「全部できる」を合言葉に、メンタルトレーニングのセッションや後進育成といった仕事はもちろん、家事や子育てなどあらゆることに全力投球。分娩台でも仕事をし、産後もほとんど休まずに日常生活に戻ったといいます。

なぜそんなに命を削るように生きるのか、そのエネルギーの源は何なのか。そうした疑問が解消される、波乱万丈な半生に圧倒されるインタビューとなりました。「人生最大の苦しみだった」という挫折、影響を受けた人々との出会いや別れ、自身の生き方にもかかわる事業への想いなど、たっぷり語っていただきました。

インタビューに応じる兼下真由子さん

8歳の原体験が原点に。14歳で単身上京

被爆者の涙が、歌手を目指すきっかけに

被爆者の涙が、歌手を目指すきっかけに

小さい頃から歌うことが大好きだった兼下さん。地元の広島県で、小学生の頃からミュージカルなどに出ていました。中でも印象に残っているのが、老人ホームで歌を歌ったときのことだといいます。

「8歳のとき、広島の子ども代表として被爆者が入居する老人ホームに慰問に行き、1人ステージに立って『ひろしま平和の歌』を歌ったんです。すると私の歌を聴いた90歳ぐらいのおじいちゃんが、涙を流しながら私の手を握ってありがとう、ありがとうって言ってくださったんです。歌ってこんなに人を感動させられるんだ!と思って歌手を目指し、14歳で単身上京しました」

親を説得して叶えた単身上京

「よくご両親が許しましたね」と驚く私に、兼下さんは「許したというより、あきらめたと言った方が正しいですね。押し切りました」と笑います。当時は広島県のあらゆるオーディションを受け、全部受かって主役を演じ、県内ではやり切った感じだったそう。子どもの頃から強い意志と行動力を持っていたことがわかりますね。

「6年生のときにはハワイのイベントに1人で行きましたし、小学校高学年のときから両親にお願いしていました。両親は共働きで、まだ小さな弟も妹もいましたし、何を言っても私があきらめないので根負けして。それで東京の中学校に転校し、放課後はミュージカルの養成所に通って毎日9時間くらい歌とダンスのレッスンをしていました。最初は養成所の寮で暮らし、3年生からは一人暮らし。食事も自分で作り、学校の三者面談にも一人で対応していました。ミュージカル公演の全国ツアーもあって学校にはあまり通えませんでしたが、好きなことに打ち込んで充実していましたね」

デビュー後にパニック障害となり、第一線を退く

20歳で訪れた突然のメジャーデビュー

メジャーデビュー後、環境は大きく変化した

高校進学後もメジャーデビューをめざして地道に路上ライブなどを続け、19歳のときに日テレのオーディション番組で勝ち上がって吉本興業に所属し、20歳でメジャーデビューしました。

「大手事務所に入ったので、すぐにCDを出したり、冠番組を持たせてもらったり、私が歌う番組のエンディング曲に9社ぐらいタイアップが付いたりしました。今考えると贅沢な悩みですが、いきなり恵まれた環境になったことでプレッシャーに苦しむようになったんです」

プレッシャーが心と身体を追い詰めた

カメラの前に立つとめまいがするなど自分で自分をコントロールできなくなり、パニック障害と診断されました。しっかり者とはいえ、まだ20歳。兼下さんの責任感の強さがこのときはマイナスに働いてしまったのでしょう。「単に私が幼くて弱かっただけ。今なら何でもないこと」という言葉に悔しさがにじみます。

「大好きだった歌までが苦痛になり、本当に辛かったです」と兼下さんは当時を振り返ります。そのうち電車に乗ると息が苦しくなるなど日常生活にも支障が出るようになり、契約を更新せずに事務所を離れました。

芸能活動を引退してベンチャー企業の社員に

ヨガとの出会いが人生を救った

大きな挫折を経て、新たな人生へ進んだ

夢を追いかけて中学生で親元を離れ、努力の末にようやく手に入れたチャンスをものにできなかった辛さは計り知れません。そんな大きな挫折から、一体どうやって立ち直ったのでしょうか。

「パニック障害になったとき、通っていたジムのヨガレッスンを何の気なしに受けたらすごく落ち着いたんです。ヨガは心を整えてくれるものなんだと思って続けていて、それが大きな助けになりました」

自分のペースで芸能活動を続ける中、兼下さんはヘルスケア業界に転職して自分のような辛い思いをした人を救いたいと考えるようになります。資格を取ってヨガ講師の仕事も始めましたが両立は難しく、苦しい日々が続きました。

30歳を前に感じた焦り

「人を助けるどころか自分の人生もままならず、30歳という年齢が近づくにつれて焦りが生まれ始めました。周りには家庭を築いている人、出産している人もいるのに、私は中途半端なままでいいのかな、と」

兼下さんは、悩んだ末に幼少期から続けてきた芸能活動をやめることを決断。心機一転、渡米してヨガの国際資格を取り、帰国してヨガスタジオをオープンさせました。しかし直後に、芸能活動の経験とヨガの知見を見込まれて知人にヘッドハントされます。最初は断っていましたが、興味のあるヘルスケア分野の事業で、熱心に誘われたこともあり、会社は共同経営者に任せてヘルスケアアプリの開発会社に入社することに。

初めて経験した会社員生活

「通勤も初めてでしたし、パソコンに触ったこともなく、初めて経験する会社員生活は何もかもが新鮮でした。英語が飛び交う新進気鋭のベンチャー企業で、経営やマーケティング、コンテンツ制作の基本など多くを学びました。30歳まで芸能界しか知らなかった私が会社を経営できているのは、必死に働いたあの3年間のおかげです」

トップアスリートを支えたいという想い

アスリートのメンタルを支える事業へ

アプリ開発に協力するさまざまな競技のトップアスリートと仕事をする中で、兼下さんは毎回試合で実力を発揮して活躍し続けることの難しさを知ります。そして自身のパニック障害の経験も踏まえ、最終的にモノを言うのはメンタルなのだと思うようになりました。

「当時交際していた人もトップアスリートで、その努力やストイックさを目の当たりにしていました。それで、アスリートのメンタルを支えたいと考え始めました」

兼下さんのパニック障害は、コーチングやカウンセリングでは解決しませんでした。だからアスリートにも、対話やアドバイスとは違うアプローチが必要だと考えました。

「ないなら自分で作る」という決断

「メンタルを整えるには瞑想がカギになると確信していたので、そうしたアスリート向けのメソッドを探しましたが、日本にも海外にも見当たりませんでした」

ないなら自分でつくるしかないと考えた兼下さんは、学びを深めるために日本のヨガと瞑想のレジェンド的な存在だった中島正明氏に弟子入りします。中島氏の瞑想を深堀りしてアスリート向けのメソッドをつくる構想を本人に伝え、意気投合。2021年4月に共同で会社を設立しました。ところがその3カ月後、中島氏が急逝します。

突然訪れた恩師との別れ

「サービスローンチに向けてホームページや教科書を作ったりして、2人で懸命に取り組んでいた準備が整った矢先のことで、ショックでした。当初は知名度のある中島先生が表に出て私は裏方に徹する予定だったので、会社を続けるべきかどうかずいぶん悩みました」

畳む方がラクだったはずですが、中島氏の想いや入社したばかりの社員のことを考え、兼下さんは続ける道を選びました。「今思うと、事業化に向けて情熱を燃やしていた私に、この試練がさらに火を点けたように思います」と振り返ります。

悔しさをエネルギーに変えて事業にまい進

20歳の挫折が今も原動力

自身の経験をもとに独自メソッドを構築

兼下さんがパニック障害に苦しんでいるとき、大きな助けとなったヨガ。その要素でもある瞑想や呼吸法を活かした独自メソッドは、どういった考え方なのでしょうか。

「WINメディテーション(R)のWINは勝利のWIN。アスリートの目的は勝つことですから。アスリートじゃない方々にとっては自己実現を叶えるもの、なりたい自分になるための瞑想メソッドです。行動は思考に引っ張られるので、失敗をイメージすると本当に失敗してしまいます。逆に、なりたい自分を想像すれば理想の自分になれるというわけです。脳の仕組みを活かした考え方で、この脳の働きについては明確なエビデンスがあります」

勝利の「WIN」を冠した名称に、兼下さんのひたむきな生き方が感じられますよね。どんな思いで事業に取り組まれているのでしょうか。

「根底にあるのは、20歳のときに経験した悔しさ。あのときステージ上でいいパフォーマンスをできていたらもっと高みに行けたのに、という気持ち。人生って1回きりで、どんなに戻ってやり直したいと願っても絶対に戻れません。私のように悔しい思いをする人を減らしたくて事業をやっています」

8歳の頃から変わらない「人を喜ばせたい」気持ち

厳しい世界でメンタルを崩した経験があるからこそ、トップアスリートや経営者など孤独に戦う人々に寄り添えるのでしょう。そして、自身が確立した瞑想メソッドによって救われた人の笑顔や感謝の言葉をモチベーションとしています。

「原点は、8歳のときに私の歌を聴いて泣いてくれたおじいちゃん。あんな風に人を喜ばせたいという気持ちがずっとあって。毎日行うセッションでも、効果を得られた喜びから多くの人が涙するんですよ。単純に、人の役に立てるのはうれしいですね」

被爆3世として受け継いだ価値観

さらに、幼少期から学んできた平和学習の影響も大きいと話します。兼下さんは広島県出身。祖父母4人が被爆者で、両親も被爆手帳を所持する被爆3世です。

「戦争では、生きたくても生きられなかった人がたくさんいました。生きているなら、今日やれることがあるなら全力でやる。そういう感覚は物心ついたときからあります」

結婚も、出産も、仕事も「全部できる」を体現

「全部できる」を自ら体現する理由

仕事も育児も全力で向き合う兼下真由子さん

兼下さんは、毎日精力的にメンタルトレーニングのセッションや後進育成に取り組みながら、妻や母として家事や育児にも奮闘しています。結婚や出産を経て、考え方や価値観は変わったのでしょうか。

「結婚・出産する前から、女性としても、事業家としても、母としても“全部できる”というマインドでした。WINメディテーションで“なりたい自分になる”と伝えてきたので、私自身がやって見せるのが一番です。出産したからキャリアがスローダウンするとか、ホルモンバランスが乱れて体調が悪くなるとか、思いません。思わないので、年子の2人を産んで産後1年が経った今もキャリアを重ねていますし、体調も以前と変わりません」

出産はキャリアの終わりじゃない

そう言い切るからこそ、言葉を事実にしていけるのでしょう。講師養成講座で学んだ卒業生にも、子育てをしながらバリバリ働いている女性がたくさんいるそうです。

「出産はキャリアの終わりじゃない。何かを得たからといって別の何かをあきらめなくてもいい。私自身がそう示して、たくさんの人に希望を持ってもらいたいです」

WINメディテーションを世界中に広めることをめざしている兼下さん。「ハリウッド俳優など欧米のVIPにも実践してもらいたいですし、並行して母子をサポートする活動も続けていきたいです」と意欲を見せます。

理想の自分を、まず想像してみる

最後に働く女性たちへのメッセージをお願いすると、温かく力強い言葉が返ってきました。

「妄想や空想でいいので、まず理想の自分を想像してみてください。現実を直視するとできないことや難しいことに意識が行ってしまうので、いったん現実は無視してOK。現状という枠の外にある理想を大事にしてみてください。誰でも、どんな環境でも、なりたい自分になって、自分らしく生きることができますから

 

 

 

プロフィール

メンタルトレーナーとして活躍する兼下真由子さん

名前:兼下真由子
職業:メンタルトレーナー
出身地:広島県福山市

1986年生まれ。芸能界で活躍後、会社員を経てメンタルトレーナーに転身。メジャーリーガーなどのトップアスリートをはじめ、経営者や母子など幅広くサポートしている。株式会社WINメディテーションジャパン代表取締役。

取材協力:BLACK TERRACE

 

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