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【黒柳徹子】数々の経験の先に才能が開花、往年女優「山田五十鈴」の生涯とは

  • 2026.5.13
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第48回】女優 山田五十鈴さん

最近、映画や配信のドラマなんかで、時代劇がまた注目を集めているんですってね。時代劇というと、お侍さんたちの殺陣(たて)が見せ場なこともあって、男性の俳優の活躍が目立つばかりで、存在感を発揮されていた女優はそんなに多くはないと思うのですが、私が往年の時代劇で、「あの役は素晴らしかったなぁ」とパッと思い出すことのできる大女優といえば、なんといっても山田五十鈴さんです。

黒澤明監督の『蜘蛛巣城』は、シェイクスピアの『マクベス』を下敷きにした時代劇。『マクベス』といえば「夫を王にしたい!」という欲望に取り憑かれたマクベス夫人の悪女ぶりを描くことが肝になっています。山田さんは、『蜘蛛巣城』でそのマクベス夫人をモデルにした女性・浅茅を演じました。そうしたら、ロンドン映画祭で『蜘蛛巣城』が上映されたとき、『風と共に去りぬ』でスカーレット・オハラを演じたことで有名なハリウッド女優のヴィヴィアン・リーが、山田さんの狂気の演技にすごく関心を示して、パーティで会った黒澤監督に、浅茅について、質問攻めにしたそうです。テレビドラマの『必殺仕事人』シリーズで三味線の撥(ばち)を武器にした女元締めの「おりく」役がとくに有名で、「徹子の部屋」にはテレビ朝日系列の制作ということもあって、何度もご出演いただきました。

山田さんは大正6年の生まれで、お父様は関西新派の看板俳優だった山田九州男(くすお)さん。「新派」というのは、明治時代に始まった日本の演劇の一派で、伝統的な歌舞伎とは違って、当時の庶民の情緒を描く作風が特徴でしたが、山田さんが幼少時代、それまで羽振のよかったお父様が、山田さん曰く「落ち目になってしまった」そうなのです。山田さんは、数えで6歳の頃から、常磐津とか清元(※どちらも三味線の伴奏による豊後系浄瑠璃の流派)、日本舞踊、長唄などのお稽古をしていて、それまでは習い事で済んでいたのが、その5年後には清元の名取になって、かつて芸者だったお母様と一緒に、お弟子さんに三味線を教えることで、生計を支えるようになりました。それが10歳、今でいうなら小学校5年生の年なのですから、昔の人の逞しさには頭が下がります。

それからしばらくして、お父様の昔なじみにスカウトされて、山田さんは日活に入社します。当時は、時代劇専門の娘役が少なく重宝されたこともあって、一年で10本以上の映画に出演します。でも、あるときを境に突然山田さんに、仕事が来なくなってしまい、その1年後に、片岡千恵蔵プロダクションに移籍。伊丹万作監督や、稲垣浩監督との出会いによって、女優としての才能と魅力が開花するのです。

ちなみに、今年刊行された『「徹子の部屋」の50年』には、当時、なぜ仕事がなかったのかについて説明したエピソードが掲載されていて、そこでは、「私の芝居があんまりで使い物にならなかったから」と話していらっしゃいます。1986年の4月3日放送回のことですが、なぜそんな話になったかというと、芸能生活50周年を記念してニューヨークで開催された「山田五十鈴映画週間」の話題になったから。私が、「(外国人向け記者会見のとき)外国人記者は、山田さんのことを『ベルさん』とお呼びになるのを知っていたんですね?」と伺うと、「それ以上に驚いたのは、『あなたは日活の女優になってから、1年間仕事がなかったのはどういうわけですか?』と聞かれたこと」とご自分からお話しになって。撮影所の中でブラブラしながら、映画にご招待したお客様のダンスのお相手をするような仕事をしていたと。「いわばホステスとして1年過ごしましたのよ」と笑いながらおっしゃっていました。

「徹子の部屋」では、放送30周年の節目にも『「徹子の部屋」の30年 あの名場面をもう一度』と題して、本を刊行しています。その中の山田さんのページでは、芸能生活40周年について触れられていました。新作舞台の稽古について楽しそうに語っていらっしゃるので、私が、「40年もそうやっていらして、いまだに興奮してらっしゃる方を拝見すると、本当に羨ましい」と申し上げると、「ばかなんでしょうね。尽くすことができないんでしょうか。潰しがきかないのよ、芝居をやっている以上は」とおっしゃって。以来、2000年までで合計11回も出演してくださって、毎回、ユーモアたっぷりのお話を聞かせてくださいました。たくさんの艱難辛苦を経験してきた大人が持つ凄みと迫力、そこに少女のように純粋な部分が共存した、唯一無二の魅力を持った方でした。おきれいでした。

山田五十鈴さん

女優

山田五十鈴さん

1917年大阪府生まれ。13歳で日活に入社。同年、映画「剣を越えて」でデビュー。溝口健二監督『浪華悲歌(なにわえれじい)』『祇園の姉妹』(ともに36年)が高い評価を受け、トップ女優に。その他の映画の代表作に、黒澤明監督『蜘蛛巣城』(57年)『用心棒』(61年)、小津安二郎監督『東京暮色』(57年)など。テレビドラマでは、『必殺からくり人』など必殺シリーズに出演。74年の舞台『たぬき』で芸術祭大賞受賞。93年に文化功労者に選ばれ、2000年には文化勲章を受章。2012年死去(享年95)。

─ 今月の審美言 ─

ばかなんでしょうね。尽くすことができないんでしょうか。潰しがきかないのよ、芝居をやっている以上は

取材・文/菊地陽子 写真提供/時事通信フォト

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