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【ロン・ミュエクの巨大な、あるいは小さな“像”】4月29日、森美術館で大規模個展「ロン・ミュエク」が開幕

  • 2026.4.30

スケールを逸脱した細密な人体像で、見る者の精神に切り込むロン・ミュエク。2008年以来、日本では2度目となる個展が、4月29日から森美術館で開かれる。饒舌なようでいて多くを語らない人物たちが出迎える会場で、私たちは何を感じるのだろうか。

《イン・ベッド》(2005)、ミクストメディア、162×650×395㎝。カルティエ現代美術財団所蔵。2026年、森美術館での「ロン・ミュエク」展示風景。 Hearst Owned

ありえないほど大きな、あるいは小さな人物像。鑑賞者はまず、そのサイズに圧倒される。その彫像をよく見ると、毛や生々しい皮膚の質感、しわや毛穴までも再現されていることにまた驚かされる。

オーストラリア出身、現在イギリスを拠点とするアーティスト、ロン・ミュエクの作品だ。その彼の、日本では18年ぶり、2度目となる個展が森美術館で開かれる。2023年にパリのカルティエ現代美術財団で開催された展覧会が、ミラノ、ソウルを経て東京へと巡回するものだ。

《マス》(2016~2017)、合成ポリマー塗料、ファイバーグラス、サイズ可変。ビクトリア国立美術館(メルボルン)所蔵、2018年フェルトン遺贈。2026年、森美術館での「ロン・ミュエク」展示風景。 Hearst Owned

一つの彫刻を制作するのに数年かかることもあるという彼の作品は全部で50点程度しかない。今回の個展「ロン・ミュエク」には11点が並ぶ。その中心をなすのが大規模なインスタレーション《マス》だ。一つが1メートルほどもある巨大な頭蓋骨の彫刻が100点で構成されている。鑑賞者はその頭蓋骨でできた空間をさまようことになる。この作品は展示空間に応じて設置されるため、それぞれの会場で異なる形となる。頭蓋骨には毛も皮膚もなく、つるっとした質感の白い塊が虚空を見つめている。

頭蓋骨はヨーロッパでも日本でもよく描かれてきたモチーフだ。ヨーロッパ絵画ではメメント・モリ(死を想え)、あるいはヴァニタス(虚栄)を戒めるモチーフとなる。頭蓋骨が若い女性とともに描かれることもある。日本の仏教絵画「九相図」では同じく若い女性が死に、その体が朽ちて骨になるまでが表現される。美しい女性も死後にはこんな形になる、という教えだ。またミュエクはおそらく、ロンドンのナショナル・ギャラリーでハンス・ホルバインの《大使たち》を見たことがあるのだろう。画面下に描かれた奇妙な図像はある一点から見ると頭蓋骨となる。力がみなぎった堂々たる大使の足元にも死が横たわっているのだ。

「人間の頭蓋骨は鮮烈なアイコンだ。私たちは拒絶しつつも、同時に惹きつけられる」とロン・ミュエクは言う。題名の「マス」は「大量」という意味であり、またキリスト教の「ミサ」の意味も持つ。いずれにしてもこれ以上、直裁的かつ力強く生の終わりを感じさせるオブジェはないだろう。

《買い物中の女》(2013)、ミクストメディア、113×46×30㎝。タデウス・ロパック(ロンドン、パリ、ザルツブルク、ミラノ、ソウル)所蔵。2025年、韓国国立現代美術館ソウル館での「ロン・ミュエク」の展示風景より。 PHOTO: NAM KIYONG, COURTESY THE FONDATION CARTIER POUR L’ ART CONTEMPORAIN, NATIONAL MUSEUM OF MODERN AND CONTEMPORARY ART, KOREA

《買い物中の女》は《マス》とは逆に、身長1メートルあまりの小さな人物像だ。やつれた顔の女性は両手に重そうな買い物袋を提げている。その胸元には赤ん坊が顔をのぞかせる。この作品はミュエクがロンドン北部のスタジオ近くの交差点で見かけた、信号待ちをする女性から着想されたもの。日本でも目にすることができそうな光景だ。

ミュエクはこのほかにも母子をモチーフにした作品をつくっている。こちらも頭蓋骨同様、西洋美術史で頻出する聖母子像を連想する人もいるかもしれない。レオナルド・ダ・ヴィンチやフィリッポ・リッピの聖母子像では母が子に注ぐ慈愛に満ちたまなざしが印象的だ。ほかの作品では聖母マリアが憂いの表情を浮かべるものもある。我が子イエスがたどる磔刑と受難の運命を暗示しているのだ。しかし、《買い物中の女》では母は我が子ではなく、うつろな目つきで遠くを見つめている。コートに包まれた母の体は彼女が抱えている赤ん坊と同じぐらい頼りなげに見える。彼女はくたびれた布地で自らを守ろうとしているのかもしれない。母の強さや無償の愛といった聖性よりも日々に追われて明日のことも考えられない、この先、生き延びられるのかどうかわからないという自信のなさが漂う。

《エンジェル》(1997)、ミクストメディア、110×87×81㎝。個人蔵。2025年、韓国国立現代美術館ソウル館での「ロン・ミュエク」の展示風景より。 PHOTO: NAM KIYONG, COURTESY THE FONDATION CARTIER POUR L’ ART CONTEMPORAIN, NATIONAL MUSEUM OF MODERN AND CONTEMPORARY ART, KOREA (LEFT PAGE), COURTESY ANTHONY D’OFFAY, LONDON

《エンジェル》も高さ1メートルあまりの、ミュエク作品としては小さなものだ。スツールに腰かける天使は頬杖をつき、憂鬱そうな顔をしている。この作品の背景にはミュエクがナショナル・ギャラリーで目にした18世紀イタリアの画家、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの《ヴィーナスと時間の寓意》に登場する、時間を表す翼を持った老人のイメージがある。ティエポロ作品ではこの“時間”は不死の象徴である大鎌と、取り戻すことができない時の流れを表す砂時計を携えている。ミュエクの《エンジェル》は初期の代表作だ。日本では初めて公開されるものになる。

《マスクⅡ》(2002)、ミクストメディア、77×118×85㎝。個人蔵。2026年、森美術館での「ロン・ミュエク」展示風景。 Hearst Owned

ミュエク自身の寝顔を約4倍に拡大した《マスクII》は正面から見ると寝息さえ聞こえてくるかと思われる。台座に横たわる顔は重力で歪んでいるが、背面に回るとそこには空洞が広がる。見る者はこれが仮面なのか、仮面だとしたら顔はなぜ歪んでいるのかといった疑問にかられて混乱する。

中年の巨大な女性がベッドに横たわる《イン・ベッド》はとくに大きな事件が起きたわけでもない、ありふれた日々の情景だ。顔に手を添えた女性はぼんやりとどこかを見ている。膝を立てているのか、脚のほうのリネンが膨らみ、彼女の頭の重みで枕はへこんでいる。首元や手には細かいしわが見え、皮膚はわずかにたるんでいる。《買い物中の女》と同じく、この女性と鑑賞者の目線が交錯することはない。ミュエクがつくる人物像は私たちに何かを語りかけ、メッセージを訴えるものではないのだ。

《イン・ベッド》(2005)、ミクストメディア、162×650×395㎝。カルティエ現代美術財団所蔵。2025年、韓国国立現代美術館ソウル館で開催された「ロン・ミュエク」展示風景より。 PHOTO: NAM KIYONG, COURTESY THE FONDATION CARTIER POUR L’ ART CONTEMPORAIN, NATIONAL MUSEUM OF MODERN AND CONTEMPORARY ART, KOREA
《チキン/マン》(2019)、ミクストメディア、86×140×80㎝。クライストチャーチ・アートギャラリー/テ・プナ・オ・ワイウェトゥ(ニュージーランド)所蔵。2026年、森美術館での「ロン・ミュエク」展示風景から。 Hearst Owned
《若いカップル》(2013)、ミクストメディア、89×43×23㎝。ヤゲオ財団コレクション(台湾)所蔵。2026年、森美術館での「ロン・ミュエク」展示風景から。 Hearst Owned

ミュエクの作品にはカップルなど、2人以上の人物像が組み合わされたものがいくつかある。彼ら/彼女らは近接し、あるいは肉体が触れ合っていても、視線が交わっていないことがある。二人の間に情感が通っているようには感じられないのだ。誰かといても一人でいるように思える、そんな絶対的な孤独が漂う。

ミュエクの育った家では操り人形などの制作を家業の一つにしていた。それを見ていた彼の経験は後にデパートのウィンドウディスプレイや広告の仕事に生かされる。しかしミュエクは、人物像をつくることができても、ストーリーを生み出すところで行き詰まったという。

森美術館では、フランスの写真家・映画監督のゴーティエ・ドゥブロンドによる、ロン・ミュエクのスタジオと制作過程を記録した写真作品の展示と、映像作品《チキン/マン》《スティル・ライフ:制作中のロン・ミュエク》の上映も。 Hearst Owned

「彼らのキャラクターや住んでいる世界を思い浮かべようとしても彼らがどんなふうに行動するのか、一緒に何をするのかが思いつかなかった」とミュエクは回想する。また彼は、作品にあいまいさ、両義性を込めることが制作の動機だとも語る。彫像にストーリーをぎっしりと詰め込み、その物語で縛りつけるつもりはないのだ。アーティストはともすれば見る者に何かを伝えたい、語りかけたいという衝動にかられるものだが、ミュエクにはそのような欲望はない。彼の作品は鑑賞者によって異なる物語を生み出し、のみ込む。

《ゴースト》(1998/2014)、ミクストメディア、202×65×99㎝。ヤゲオ財団コレクション(台湾)所蔵。2026年、森美術館での「ロン・ミュエク」展示風景から。 Hearst Owned
《枝を持つ女》(2009)、ミクストメディア、170×183×120㎝。カルティエ現代美術財団所蔵。2026年、森美術館での「ロン・ミュエク」展示風景から。 Hearst Owned

鑑賞者が彼の作品に惹きつけられ、目を離せなくなる理由は、スケールの逸脱やこうした多義性だけでなく、ミュエクの人物像が誕生や死といった人生における重要な分節点を扱っていることにもあるだろう。王子として何不自由なく暮らしていた釈迦は宮殿の4つの門から外に出たとき、老人、病人、死者、修行者と出会い、出家を決意した。仏教の教えでは「生老病死」を四苦とする。人は病に侵され、あるいは老いを自覚したときに自らを振り返って沈思する。

身近な人の生や死はその人の感情を激しく揺さぶる。ミュエクの人物像には、ひとたびこの世に生を受けた者に等しく訪れる苦しみや悲しみ、そしてその苦への諦めが漂う。誰とも目を合わせることのない巨大な、あるいは小さな人物像と出合った鑑賞者は、その諦念が水のようにたゆたう湖に身を沈めることになるのだ。

※参考文献:『RON MUECK』(カルティエ現代美術財団、2023)

RON MUECK
ロン・ミュエク:
1958年、オーストラリア生まれ。英国在住。映画・広告業界を経て、90年代半ばから彫刻の制作を始める。「センセーション:サーチ・コレクションのヤング・ブリティッシュ・アーティスト」展(1997)で注目を集め、以後、世界各国の美術館で作品を発表。総数わずか50点ほどの全作品より、初期から近作まで11点を厳選し、その活動を包括的に紹介する本展は、カルティエ現代美術財団と森美術館の共催により開催される。

会期:4/29~9/23
会場:森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)

From Harper's BAZAAR art no.5

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