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コシノヒロコの原点を知る、安藤忠雄設計の邸宅を訪ねて──東京都現代美術館で個展「(UN)KNOWN HIROKO KOSHINO」開幕へ

  • 2026.4.14
Hearst Owned

美は、人生100年時代の手引き

1964年、大阪・心斎橋にオートクチュールのアトリエを構え、48年間年2回のコレクションを欠かさず続けているコシノヒロコ。東京都現代美術館で開催する個展を目前に、芦屋のご自宅にお招きいただいた。

ファッションデザイナー・コシノヒロコの自宅として竣工。現在は改装・増築を経て「KHギャラリー」と名づけられ、コシノ作品を見ることができるギャラリーとして定期的に開館。 Hearst Owned

まず最初に驚いたのは、89歳という実年齢からは想像できない、その若々しい出立ちだ。思わず、生活習慣やモーニングルーティンについて聞くと、平日はプロテインドリンクと複数のサプリメントを摂取し、ジムに通って身体を整え、都内のオフィスに出勤。たいてい、前日には翌日のトータルコーディネートを決めて、後日、スマホの絵日記アプリに自ら記録するという。

コシノのスマートフォンに表示された毎日のコーディネートのカレンダー。 Hearst Owned


現役のファッションデザイナーで、日々の装いにも余念はない。週末は新幹線で芦屋の自宅に戻り、エステで身体をほぐす。その後、自然に囲まれたアトリエで絵を描く。美しくいようと、自分を整えることは、ご自愛の最先端、人生100年時代の道標かもしれない。

「なかなか続けるのは大変だけれど、絵を描くのはずっとすごく好きなのでなるべく続けています。お母さんがヒロコは絵が上手いからって、戦争で物資が不足してるなか、食べ物の代わりにパステルをもらってきてくれました。それが私の原点で、自信にもつながっていると思います。コレクションのテーマを伝えるときに、もっとも役立つのも絵です。学校でも海外でも会社でも、絵が私を支えてきてくれました」

コシノのアトリエにて。愛用するパステルをはじめとする画材など。 Hearst Owned
同じくアトリエにて、作品たち。 Hearst Owned
WORK#2550他《3COLORS 》(2024)、各 72.8×72.8㎝、通称「スクエア」シリーズは3色限定で描かれる絵画 で、「少なさ」によって「豊かさ」を引き出す試みだ。素材は、アクリル絵具、木炭、パステル/シーチング。KHギャラリー(小篠邸)で展示風景より。 Hearst Owned

2002年から数えても、2600点を越す勢いで絵画を制作しているというエネルギッシュさ。とりわけ、「スクエア」と呼ばれるシリーズは、彼女にとってトレーニングのようなもの。72.8センチ四方のカンヴァスに、基本的にアクリル絵の具3色を用いながら、30分以内に完成させる。次から次へと、ひらめいた瞬間に手を動かす様は、時代に応じながら絶えず新しい発想を発信してきた彼女の生き様を端的に象徴するようだ。

伝統的な美意識がアイデンティティに

「むかし、ファッションといえば、お縫い子さんだったでしょ。決まった型をコピーして、量産する。でも、私は縫製が大嫌いで、服づくりを始めてからも、洋裁店を営む実家のお縫い子さんに縫ってもらってたくらい。なんで人間は丸いのに平面で考えるんだろう、とずっと疑問でした。だから文化服装学院で立体裁断に出合ったときは、目から鱗だったわ。布目の経糸(たていと)と緯糸(よこいと)の特性を理解しながら、布をねじってフォルムを残すんです。布で彫刻をやるようなものね。そうやって、自分独自のものを追求してきたんです」

アトリエにて、コシノヒロコ。 Hearst Owned

立体裁断とは、トルソーやボディ(人台)に仮布を直接当てて、ピン留めしながらデザインやシルエットを立体的に造形する手法。1950年代以降、日本人女性の洋装化が急速に進行しても、洋服は着物と同様に反物を直線的に裁断して縫い合わせる「平面構成」でつくられていた。そうした状況で、38歳のときに母親に娘2人を預けて単身渡仏し、イヴ・サン=ローランやカール・ラガーフェルドと肩を並べてオートクチュールを学んだ小池千枝が、パリから戻って、立体裁断を日本に導入する。

コシノヒロコも小池の弟子で立体裁断の第1期生。東洋人で初めてローマでコレクションを開催した際にも立体裁断で勝負したが、モデルは日本人。180センチを越す欧米人のモデルがほかのデザイナーのランウェイを闊歩するなか、コシノのモデルの背丈は155〜160センチくらいで小柄だった。

「初めてローマでコレクションをするとき、何が自分の武器かと考えたら、それは私に根づいている歌舞伎や日本の伝統の美意識だと思ったんです。おじいちゃんが私をよく歌舞伎に連れて行ってくれて、それ以来、歌舞伎の虜なんです。9歳から長唄と三味線を習っていました。特に歌舞伎の色彩感覚は、私に大きな影響を与えていると思います。これからものづくりをしていく人たちにも、子どもたちにも、歌舞伎や文楽、折り紙や着物、日本には素晴らしいものがたくさんあることをもっと知ってほしいです」

感覚を研ぎ澄まさせてくれる家

創作の源泉でもある日本の伝統的な美を感じ続けるために、コシノがこだわり抜いたのが自邸だ。設計は当時、関西で都市住宅や商業施設を手がけていた、4歳年下の安藤忠雄。大阪生まれのふたりは、友達を介して知り合い、遊び仲間でお互いのことをよく知っていた。

小篠邸(KHギャラリー)、外からの眺め。 photo: mari hattori
小篠邸(KHギャラリー)の内部の風景から。 Hearst Owned

「最初、安藤さんにも『ファッションをやってるのに、なんで山奥なんかに住むんだ』と言われました。でも、『古典の様式に根ざす日本独特の美意識といえば、四季に対する敏感なセンスでしょ。自然の四季がコレクションのインスピレーションになるから、自分の家でこそ常に感じていたい』とお話しすると、安藤さんは『なるほど。わかった!』と言って、思った以上に、自然や四季を感じられる家をつくってくれました」

コシノ邸(小篠邸)が最初に完成したのは1981年で、六甲山の中腹、標高約500メートルの芦屋・奥池に建つ。「東洋のジュネーヴ」と銘打って開発された、芦屋のなかでも自然豊かな場所で、敷地は家が建つ前、アカマツが茂っていた。安藤はコシノの希望どおり、自然とともに住むことを第一に、自生する木々を避けながら、建物を等高線に沿って2棟の建物を対角線上に配置した。敷地は北側の前面道路から南に向かって下がって傾斜しているので、建物のそれぞれ半分は地中に埋められ、地中の廊下を介して2棟が結ばれた。地中だからこそ、雨粒や葉っぱの落下から重力が感じられ、建物が大地に根ざしていることをより感じられる。

安藤といえば、「真言宗本福寺水御堂」(1991)や「大山崎山荘新館」(1995)、「地中美術館」(2004)など地中化のイメージが強いが、コシノ邸はその先駆的作品。外玄関から建物の入り口まで、折れ曲がり、下らせながら、身体だけでなく意識を静寂に向かせる手法も、安藤忠雄の常套句になっていく。

建物の内側に入ると、規則正しく穿たれたスリットが、2枚の壁に挟まれた狭い廊下に光を刻み、光が落ちていくほうに居室を暗示する。コシノ邸では、光や動線を空間演出のため巧みに用いている。そうした意味でも、壁と壁の隙間で十字架の光をつくる「光の教会」(1989)を筆頭に、スリットの名手として知られる安藤の原点や進化の過程を語るうえで、コシノ邸は欠かせない作品だろう。

コシノが手がけた作品と。 Hearst Owned

芸術に住まう、生きること

1979年に安藤忠雄は、「住吉の長屋」(1976)で建築学会賞作品賞を受賞し、建築界を震撼させた。寝室からトイレに行くのに傘をささなければいけない家なのである。かつ、これは歴代初めての、戸建住宅単体での受賞作。篠原一男が「住宅は芸術である」と言って日本建築界を騒がせた1960年代から20年ほど後のことだった。

安藤は度々、設計者より住んでいる人を讃えるべきだと、冗談まじりに言うが、コシノ邸においてもまたその節がある。

薪ストーブが設置された小篠邸(KHギャラリー)の内観。 Hearst Owned
小篠邸(KHギャラリー)の風景より。 Hearst Owned

「冬は外より寒くて娘たちにスキーウエアを着せたり、お母さんには『こんなダムみたいな家なんて住みたくない』と同居を断られたり。完成しても、雨漏りしたり、不完全なところも多かった。予算だって、だいぶオーバーしたけれど、お金をつくっては増改築を繰り返してきました。むしろ、家のために、コラボレーションに興味がありそうな会社に片っ端から連絡をして、『こういう家や服や、新しい美に似合うものはこういう器やカーテンですよ、一緒につくりましょう』なんて提案して、何個か会社もつくりました。私にとって、美しいこと、自然を感じられることが何より大切で、この家があったからこそ、これまでの作品や、今の私があると思います」

コシノは今、コシノ邸からほど近いところに引っ越し、現在、コシノ邸を「KHギャラリー」として時折、一般公開している。けれど、コシノ邸は住宅の時代からある種、美術館としての条件が所与されていたようにも思える。建築は背景として自然や美を見いだし、それに応えられる人間のみがその世界を享受できる。誰でもできるわけではないかもしれないけれど、いくつになっても、諦めなければ、身体も心も育っていく。時代をつくりあげてきた巨匠たちの、鍛錬を欠かさない真摯な姿が息づく現場で、背筋が伸びる思いがした。

コシノヒロコ、WORK#1078《幸せの青い鳥》(2013)。金色の山々のあいだを自由に飛翔する鳥たちの姿をとおして、コシノの創作の原点である日本文化の伝統と美意識を体現した代表的な作品。388×220㎝。布、和紙、アクリル絵具、木炭、パステル / 木製パネル。株式会社ボンマックス(東京都中央区)所蔵。 Hearst Owned
5月26日から東京都現代美術館で開催される「(UN)KNOWN HIROKO KOSHINO ―新説/真説 コシノヒロコ―」の展覧会ポスター。 Hearst Owned

HIROKO KOSHINO
コシノヒロコ
: 1937年、大阪府岸和田市生まれ。日本を代表するファッションデザイナー。母はデザイナーの小篠綾子、妹にコシノジュンコ、コシノミチコを持つ「コシノ三姉妹」の長女。文化服装学院で学び、若くしてデザインコンテストで頭角を現す。1960年代より「HIROKO KOSHINO」を展開し、前衛的で構築的なシルエットや黒を基調としたモダンなデザインで独自のスタイルを確立。日本のファッション界を牽引するとともに、ローマやパリのコレクションに参加するなど、早くから海外でも活躍し国際的な評価を得る。紫綬褒章をはじめとする数々の賞を受賞。近年はファッションの枠を超え、絵画や書、舞台衣装など多彩な表現活動にも取り組み、総合芸術家として新たな境地を切り拓いている。

5/26〜7/26、東京都現代美術館

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