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【YBAが描いた地図のゆくえ】国立新美術館で開催中の「テート 美術館-YBA & BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」をめぐって

  • 2026.4.28
photo: shin inaba

1990年代のロンドンで噴出したYBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)の表現は、英国美術の風景を大きく書き換えた。その衝撃を同時代の文化や社会の空気とともに見つめ直す「テート美術館-YBA & BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」をめぐる。同展の国立新美術館での会期は5月11日まで。その後、6月3日〜9月6日、京都市京セラ美術館へ巡回する。

サイモン・パターソン《おおぐま座》(1992)、102.7×128㎝。本記事のすべての写真は、国立新美術館の「テート美術館-YBA & BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」(2026)展示風景より。掲載作品はすべてテート美術館の所蔵作品。 Hearst Owned

サイモン・パターソンが、ロンドンの地下鉄路線図の駅名を哲学者や俳優、政治家らの名に置き換えたとき、整然とした都市のシステムは、見る者の連想が入り組むどこか私的な迷宮へと姿を変えた。与えられた秩序に別の読み方を滑り込ませること、決められたシステムのなかに自分だけの“はみ出した真実”を見つけること。1990年代のロンドンで生まれた表現の多くは、そのようにどこか同じ“衝動”を抱えていたように思える。

ダミアン・ハーストは、巨大な水槽を満たしたホルマリンに死んだサメを沈め、観客に死の物理的な沈黙を突きつけた。トレイシー・エミンは避妊具や吸い殻が散乱した自室のベッドを「私そのもの」として差し出した。サラ・ルーカスはテーブルの上に目玉焼き2つとケバブを置き、女性の身体がいかに消費的なメタファーへと還元されてきたかを、下卑たユーモアで露呈させた。

ダミアン・ハースト《後天的な回避不能》(1991)、213.4×304.8×213.4㎝。左奥の人物の作品は、ギルバート&ジョージ《裸の目》(1994)、各84.6×71.1㎝、展示サイズ253×639㎝。 Hearst Owned
ヘンリー・ボンド/リアム・ギリックによる写真とテキストで構成されたシリーズ「ドキュメント」(1990-95)の一部。 Hearst Owned

当時のロンドンは、“鉄の女”と称されたマーガレット・サッチャー政権下の急進的な市場化と新自由主義の余波のなかにあった。公共性は後景に退き、競争と自己責任が強調される社会。荒廃した倉庫街や、アシッドハウスが鳴り響くアンダーグラウンドなクラブ、エイズ危機や失業率の上昇がもたらす切迫。都市はきらびやかな消費の顔の反対側で、行き場を失った若者たちの感情を抱え込み、彼らは取り残された空間と感情を都市の肌理(きめ) ごと巻き込みながら噴出させていった。

そのようにしてYBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)と呼ばれた作家たちは、ホワイトキューブの空間を飛び出し、倉庫や空きスペースを探し、自ら展覧会を企画した──見せる場そのものを奪還しようとするその姿勢自体が、制度への“異議申し立て”であるかのように。彼らの表現はエリート主義的な美術界に中指を立て、同時に、生身の人間が抱える「汚濁」や「痛み」を隠さずさらけ出し、アート、音楽、ファッション……とさまざまなカルチャーとほとんど区別なく混ざり合っていったのは、その圧力のなかで生き延びるための方法でもあったのではないか。

サラ・ルーカス《煙草のおっぱい(理想化された喫煙者の椅子Ⅱ)》(1999)、78.7×49.5×52.7㎝ Hearst Owned
ジェイク&ディノス・チャップマン《戦争の惨禍》(1993)の細部、展示サイズ130×200×200㎝。 Hearst Owned

その喧騒から四半世紀を経て、国立新美術館でかつての衝撃の正体を問い直す展覧会「テート美術館-YBA & BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」が開かれている。YBAという名で語られてきた作家たちが席巻したムーブメントをあらためて俯瞰するものだ。

その活動を網羅的に紹介するものではあるものの、しかし視線はタイトルの「BEYOND」という言葉が示すように、90年代英国の文化的風景をより広い視野で捉え直そうとする内容であることが会場に足を踏み入れた瞬間にわかる。

作品は年代順に並ぶのではなく、「おおぐま座:都市のイメージをつなぐ」「あの瞬間(とき)を共有する:音楽、サブカルチャー、ファッション」「家という個人的空間」といったテーマを持つ6つの章で展開していく。だが、YBAを見に来たつもりの観客を最初に迎え入れるのは、フランシス・ベーコン(1909〜1992)の高さ2メートルほどある巨大な三連画である。人間と獣が組み合わされた肉体、不安と暴力がむき出しになった絵画。YBAの作家たちの多くが、ベーコンの歪んだ身体表現や実存的な暴力性から少なからぬ影響を受けてきた。そのことを展覧会は静かに示しながら始まるのだ。

マーク・ウォリンジャー《半兄弟の競走馬(イグジットトゥノーウェアとマキャベリアン)》、2枚組、各230×150×3.5㎝ Hearst Owned
ジェレミー・デラー《世界の歴史》(1997-2004)、サイズ可変。 Hearst Owned
ジム・ランビー《スカは死んでいない》(2001)、36×36×72㎝。 Hearst Owned
自転車の作品は、エリザベス・ライト《B.S.A.社製のレーサータイプ自転車「ツアー・オブ・ブリテン」を135%のサイズに拡大したもの》(1996-97)、124×236×55㎝。絵画作品はマイケル・クレイグ=マーティン《知ること》(1996)、244.2×366.5㎝。 Hearst Owned
キャシー・ド・モンショー《消す》(1989)、31×8.8×9㎝。 Hearst Owned

その後に続く空間では、先ほど触れたハースト、ルーカス、エミンを筆頭にジェイク&ディノス・チャップマンやレイチェル・ホワイトリードといったYBAを象徴する作家たちに加え、ルベイナ・ヒミド、コーネリア・パーカー、アニッシュ・カプーアなど、YBAよりもやや上の世代の作家が並置される。そこで少しずつ、「YBA」という言葉の輪郭がほどけていく。ひとつのムーブメントとして語られてきたものが、実は英国社会のなかに長く流れてきた複数の衝動の交差点にすぎなかったのではないか……と、展示をめぐるうちにYBAが指し示してきたものが別の姿を帯びてくるのだ。

そして章と章のあいだには、暗い空間が「スポットライト」として挟み込まれている。そのなかで上映される一つ、トレイシー・エミンの《なぜ私はダンサーにならなかったのか》(1995)は彼女の初期の映像作品だ。ティーンエイジの体験をもとに、彼女を侮辱した男性たちへ向けて制作された自伝的な側面を持つ作品で、ディスコ・ミュージックのヒット曲「ユー・メイク・ミー・フィール(マイティ・リアル)」に合わせて、ざらついた映像のなかで踊り続けるエミンの姿は解放と屈辱のあいだを揺れ動いている。また、マーク・レッキーの《フィオルッチは私をハードコアにした》(1999)が再現するクラブの熱気は、暗く閉じられた空間で体験することで、見る者の身体を90年代のロンドンへと強く引き寄せる。低音の振動と光がちらつき、当時のアンダーグラウンドの熱気が、記録としてではなく、現在の感覚として立ち上がってくる。いま、こうしたノイズに満ちた表現はむしろリアルで、鑑賞者はいつのまにかただの傍観者ではいられなくなってしまう。

旗の作品はクリス・オフィリ《ユニオン・ブラック》(2003)。右手の絵画作品はルベイナ・ヒミド《二人の間で私の心はバランスをとる》(1991)、121.8×152.4×2.7㎝。 Hearst Owned

もうひとつ触れておきたいのが、クリス・オフィリの旗の作品《ユニオン・ブラック》である。英国のユニオン・フラッグの青・白・赤を、パン・アフリカ色の黒・緑・赤へと置き換えたこの作品は、ブラック・ブリティッシュのアイデンティティと植民地支配の歴史をめぐる批評として知られ、通常はテート・ブリテンの建物の屋外に掲げられる。今回はそれが室内展示としてほかの作品と並ぶことで、これまでとはまた異なる作品同士の対話が生まれてくるようだ。国家のシンボルである旗が、英国社会の内部に潜む複数の歴史を静かに示す装置として感じられてくるだろう。

コーネリア・パーカー《コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ》(1991)、約400×500×500㎝。 Hearst Owned

こうして見ていくと、この展覧会はYBAを回顧するためのものというより、その言葉の内部に折り重なっていた階級、人種、性愛、都市文化といった複雑な声を、もう一度ほどいてみせる試みのように思える。

90年代の英国は、社会的緊張と文化的な爆発が同時に進んだ時代だった。分断や不安が可視化されるいま、その時代の作品は奇妙なほど生々しく響き、過去を懐かしむためではなく現在を測るために見る展覧会なのだと思い直す。そして、それこそが図らずともYBAの作家たちが求めてきたかたちでもあるのかもしれない。

サイモン・パターソンが地下鉄の路線図を書き換えたように、歴史の見取り図もまた書き換えられる。与えられた地図をなぞるだけでは見えてこない線がある。その線を自分の手で引いてみろ──そんな声が、会場のどこかから聞こえてくる。

〜5/11、国立新美術館(東京)。6/3〜9/6、京都市京セラ美術館へ巡回。1980年代後半から2000年代初頭にかけて制作された英国の現代美術に焦点を当て、YBAを軸に、絵画、彫刻、写真、映像、インスタレーションなど多様な手法による約60作家・約100点の作品を紹介。出品作の大半はテート美術館のコレクションから来日する。

From Harper's BAZAAR art no.5

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