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「笠井はいつまでがんで食っているのか」と言う人も…それでも僕が“がんの情報発信”を続ける理由【笠井信輔さんのターニングポイント#4】

  • 2026.3.20

「笠井はいつまでがんで食っているのか」と言う人も…それでも僕が“がんの情報発信”を続ける理由【笠井信輔さんのターニングポイント#4】

アナウンサーとして第一線を走り続けてきた笠井信輔さん。テレビ人生の中には、仕事や家族、そして病気との向き合い方など、いくつもの転機があります。何を感じて、どう行動してきたのか。人生を前に進めるヒントを伺いました。第4回は、今、そしてこれからのこと、86歳の母のこと。

妻から「あれだけ大変な経験をして、また元の笠井信輔に戻るつもりですか」と

——抗がん剤治療が順調に進み、入院から4カ月後の4月30日に退院。6月5日には悪性リンパ腫が完全寛解した、と診断されました。前向きに治療に取り組んだ甲斐がありましたね。

薬の効きが非常によかったんです。先生や看護師さんなど医療スタッフのみなさんの支えがあって、ここまで戻れました。

8月には約8カ月ぶりにフジテレビに行って、軽部(真一)さんと『男おばさん‼』(CS放送/3月末終了)の収録をすることもできた。25年以上ユニットを組んで映画の話をしてきた軽部さんとのトークは、やはり楽しかったですね。改めて、生身の人間と話すのは何より楽しいと実感しました。

——フリーアナウンサーとしての日常が戻ってきた、ということですね。

ただし、僕は局アナ時代から「働きすぎ」「無理しすぎ」って周囲に言われるくらい、仕事にブレーキがかけられない。泳いでいないと死んじゃうマグロみたいな性格なんです。

だから、来る仕事はできるだけ断らないし、仕事が終わったら家に帰るのではなく、映画や演劇を見る予定を入れてしまう。

復帰して仕事が増えると、妻からは「あれだけの大変な経験をして、また元の笠井信輔に戻るつもりですか」と釘を刺されました。

——それなのに、昨年の9月には、帯状疱疹で2週間の入院をしたことをブログで公表しましたね。

帯状疱疹の知識が少なくて、甘く考えていました。右目のまぶたが開かなくなったり、味覚障害が起きるほど重症化してから、妻に一刻も早くと促されて大学病院に行ったら、即入院でした。

実は、体調不良を妻に言い出せずにいたんです。妻という羅針盤を見なかったことがこうした結果を生んだということで、私としてはまた妻に頭が上がらない状況になってしまったわけです。

病気は家族で共有することが大切。心配かけまいと自分で抱えていると、さらに悪化して、かえって家族に迷惑をかけることを身をもって学びました。

——ブログには帯状疱疹ばかりでなく、がんの予後も心配するコメントもたくさん寄せられていました。SNSはもちろん、YouTube、講演会などでも、がんの情報公開や啓発活動に積極的ですね。

これまでも有名人がSNSなどでがんの告白をするケースはありました。でも、元気になるといつの間にか、がんのことに触れなくなる。それは仕事に差し障ることもあるでしょうし、元気になったことに批判やディスりが増えてくるのがSNSなんです。

でも、ぼくは報道の世界で生きているから、この経験をなかったことにして生きていくというのは違うな、と思っています。

先輩アナウンサーの中には「笠井はいつまでがんで食っているのか」と言う人もいますけれど、僕にとってはがんの情報発信はライフワークなので、止める選択肢はない。続けるしかないんです。

フリーアナウンサーになってからの僕にとって、がんは天から新たに与えられた仕事の柱。“がんの笠井”を背負っていこうと心に決めています。

——きっとそれが、ブログのタイトル「人生プラマイゼロがちょうどいい」という言葉に込められた思いそのものなんでしょうね。

僕は40代くらいまで、なんでこんなに幸せな人生なんだろうと思っていたんです。調子がよすぎた。

でも、そんな幸せな人生ばかり続くはずがないと思っていたら、やっぱりがんになった。これって、プラマイゼロなんですよ。

人生はアップダウンしながら進んでいく。調子がいいと、どこかに落とし穴がある。でも、その穴に落ちたとき、挫けちゃいけないんだと、子どもたちに話すことがあるんだけれど、どれだけ通じているかはまだわかりません。

86歳の母のお目当ては映画『国宝』

——笠井さんがフリーになって2年後の2021年、妻の茅原ますみさんもテレビ東京を退職してフリーになられましたね。

50代を過ぎると“終活”とか“断捨離”とか、人生の終わりに向かって整理しよう、片づけようと考え始める、というのが最近の流行りですよね。

でも、妻を見ていると、年齢を重ねるごとに積極的に外に向けて活動して、人とのつながりを持とうとしている。それによって、エネルギーを得ているという感じがあります。

出かけて、いろんな人と話をして、交流を持ってというのが、いまの彼女の生きがいになっているんです。

男と違って、女性というのは年齢を重ねていくごとに交流の場を広げられるんだなと、妻だけでなく、母を見ていてもそう思います。

ただ、理想を言えば、モノは減らして、人とのつながりは増やす、ということですかね。

——笠井さんのお母さまも活動的で、お元気なんですね。

いま86歳なんですけれど、地域の人たちと積極的に交流しているんです。

ついこの間も、僕が司会を務めた「第99回キネマ旬報ベスト・テン」の授賞式に、地元の友だち9人を引き連れて来たんです。

皆さんのお目当ては映画『国宝』。ステージに上がる主演男優賞の吉沢亮と日本映画監督賞の李相日監督が見たいから、って入場待ちの列に並んで見てました。

——86歳でイケメンの推し活とは、チャーミングですね。

しかも、うちの母はオンラインを使いこなす“デジタルばあちゃん”でもあるんです。

5年前のコロナ騒動のころ、僕が母の家に行くと、家の中で化粧をしているんですよ。「なんで化粧?」と聞いたら、「今日はオンライン同窓会なのよ」と言うわけです。

それまで年に1回、早稲田の同窓会をやっていたけれど、コロナで会えなくなって、オンラインで集まろうとなって、うちの息子があれこれ教えたらしいんです。最初は3人で始めたのに、いつの間にか人数が15人に増えていて、驚きました。

——80代になっても、デジタルを勉強しようというと思うのは、やはり人とつながる楽しさがあるからなんでしょうね。

ところが、人数が増えると、みんなが勝手にしゃべり出して収拾がつかなくなる。会合を仕切る司会者が必要なんです。

その司会を母がやっているのを見て、あまりの上手さに驚きました。「はい、あなた」「ちょっと待って」「次はあなた」って見事に仕切っている。

その様子を見て、さすがアナウンサーの母だな、僕を育てた母だな、って思いましたよ(笑)。

——何だかお母さまとおしゃべりしてみたくなりました。

笠井信輔さん Profile

かさいしんすけ●フリーアナウンサー
1963年、東京都生まれ。早稲田大学を卒業後、アナウンサーとしてフジテレビに入社。「とくダネ!」など、おもに情報番組で活躍。2019年10月、フリーアナウンサーに転身。直後、ステージ4の悪性リンパ腫に罹患していることが発覚。12月より入院。ブログで闘病の様子を綴った。2020年6月に完全寛解し、その後仕事に復帰。著書に『僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た』(産経新聞出版)(新潮文庫)、『生きる力~引き算の縁と足し算の縁~』(KADOKAWA)など。

笠井信輔さんのターニングポイント④
僕は40代くらいまで、なんでこんなに幸せな人生なんだろうと思っていたんです。人生はアップダウンしながら進んでいく。調子がいいと、どこかに落とし穴がある。でも、その穴に落ちたとき、挫けちゃいけないんだ——と。

撮影/橋本哲

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