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国際A級昇格直後にNSR500へ! 伊藤真一が世界GPまで駆け上がった進化の軌跡

  • 2026.8.29

1988年、国際A級へ昇格した直後にホンダと契約し、いきなり全日本GP500でNSR500を駆ることになった伊藤真一。そこから全日本王者、そして世界GPフル参戦へと駆け上がるなかで、そのライディングフォームは大きく進化していった。イラストレーター松屋正蔵が、デビュー当時から見続けてきた伊藤真一の走りと、外足荷重を軸にした独特のフォームを振り返る。

※この記事は過去に掲載された内容をもとに、WEB向けに再構成しています。

全日本GP500から世界GPへ。伊藤真一のフォームはどう変わった?

あれは朝から雨が降る筑波サーキットでのレースで起こった事故でした。1987年だったか1988年だったか、全日本かジュニアGPで、その日最初のレースだったと記憶しています。

僕らのグループが観戦していたのは、1コーナー寄りのスタンド席最上段。かなり激しい雨のなか、レースは順調に周回を重ねていました。

中段グループを走っていた1台が最終コーナー立ち上がりで足元をすくわれ、ハイサイドを起こしました。マシンはホームストレートをライダーとわずかに距離を保ちながら滑り、僕らの目の前を右から左へ流れていきました。

マシンはうまくアウト側のグリーンで止まりました。しかし、ライダーはコース上に残る形となり、アウト側のホワイトラインより内側に止まってしまったのです。

目の前で起きた転倒に、僕らもただ驚きながら後続の動きを見ていました。中段グループでの転倒だったため、後方にはまだ多くのマシンが連なっています。

すると3台のマシンが横一列になって、最終コーナーから立ち上がってきました。

「これは避けられるのか!」

3台のうち、アウト側のライダーはグリーン寄りへ逃げ、イン側のライダーはコース内側へ。しかし、中央にいたライダーには逃げ場がありませんでした。

悲しい事故になってしまいました。

当時、1コーナースタンドにいた多くの観客が、その事故を目撃することになりました。重い話になってしまい申し訳ありません。ただ、この出来事には僕自身にとって大きな意味がありました。

この事故に遭ったK選手は、今回取り上げる伊藤真一さんのチームメイトだったのです。

この出来事を通じて僕は、レースを観るなら、もっと真摯な気持ちで、レーサーたちの覚悟まで想像しながら観なければいけないと強く感じました。

それほど僕の人生を揺るがした出来事だったからこそ、伊藤さんには不思議な縁を感じていたのです。

そして、その縁をさらに強く感じる出来事がありました。

伊藤さんの引退記念として制作された写真集に、僕のイラストを提供できることになったのです。

そんな伊藤さんですから、デビュー当時からずっと注目していました。

伊藤さんは1988年に国際A級へ昇格すると、いきなりホンダと契約し、全日本GP500へフル参戦。NSR500を駆ることになります。まさにシンデレラストーリーの始まりでした。

1990年には、それまで3連覇を果たしていたヤマハの藤原儀彦さんを破り、全日本GP500チャンピオンを獲得。

4年間の全日本時代を経て、1993~96年には世界GPのGP500クラスへフル参戦しました。

僕は伊藤さんをデビュー当時から応援していたので、ライディングフォームについてもよく観察していました。

1988年、全日本GP500でNSR500に乗り始めた頃の伊藤さんは、外足でしっかりとマシンをホールドしながらも、上半身はやや立ち気味。まだマシンへ自然に体重を預け切れていないような印象がありました。

この年に駆った1987年型NSR500は、ワイン・ガードナーさんが前年に世界チャンピオンを獲得したマシンでもあり、初めてGP500を走るうえでは非常に恵まれた環境だったと思います。

その後、4年間にわたって全日本GP500を戦った経験は、確実に伊藤さんの走りを変えていきました。

世界GPへフル参戦した1993年には、外足へ自然に体重が乗るポジションへと変化。上半身はやや深く伏せるようになりましたが、頭はマシンのセンター付近をキープし、無駄のないきれいなライディングフォームへと進化していました。

2ストローク500cc時代は、コーナー立ち上がりでのハイサイド転倒が頻繁に起きていました。

そんなマシンでチャンピオン争いをするトップライダーたちには、外足ステップへの荷重の仕方に共通点があったように思います。

リアタイヤがスリップしてアウト側へ流れた時、ライダーが外足ステップへ体重を載せることで、マシンの挙動を安定させようとしていたのです。

伊藤真一
【左:1988年 全日本GP500 NSR500】国際A級に昇格した直後に乗っていた、全日本GP500のNSR500では、上半身がやや立ち気味で、イン側のヒザは路面に向けて下方向に出され、外足のつま先は下に向いていました。【右:1993年 世界GP NSR500】世界GPのサーキットは路面が滑りやすいため、頭はセンターに寄せ、やや伏せ気味。イン側のヒザは路面にタッチすると避けれるように横に出し、外足のつま先は下に向かっていました。

そのため、多くのライダーは頭の位置をマシンのセンターからややアウト側へ移し、外足へしっかり体重を掛けていました。

外足の足首は90度ほどで固定するように見え、土踏まずをステップへ乗せて体重を預ける。そうすることで、ハイサイドのリスクを抑えているように僕には見えました。

その点、伊藤さんの外足は少し特徴的でした。

ステップには土踏まずを乗せながら、つま先が下方向へ向いていたのです。

1988年の全日本GP500時代から、1993年の世界GP参戦時まで、その外足の使い方は伊藤さんらしい特徴として残っていました。

一方で、上半身や頭の位置、マシンへの体重の預け方は、世界で戦うなかで大きく洗練されていったように見えます。

国際A級昇格直後にNSR500へ乗り、全日本王者となり、そのまま世界GP最高峰へ。

伊藤真一さんのキャリアをライディングフォームの変化から振り返ると、世界で戦うためにどのように自分の乗り方を進化させていったのか、その一端が見えてくるように思います。

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