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最後尾から世界GP初優勝! 平忠彦が1986年サンマリノGPで見せた伝説の追い上げ

  • 2026.8.25

全日本GP500で3連覇を達成し、1986年から世界GPへフル参戦した平忠彦。開幕戦で左足を骨折する苦難に見舞われながら、最終戦サンマリノGPではスタートに失敗し、ほぼ最後尾から猛烈な追い上げを見せて世界GP初優勝を飾った。その速さを支えたライディングには、わずか半年ほどで大きな変化があったという。イラストレーター松屋正蔵が、平忠彦のハングオフと伝説の一戦を振り返る。

※この記事は過去に掲載された内容をもとに、WEB向けに再構成しています。

半年で何が変わった? 世界に通用した平忠彦のハングオフ

この連載では初めて、日本人ライダーを取り上げます。それは平忠彦さんです。

平さんは全日本GP500で3連覇を達成し、1986年から世界GPへフル参戦しました。しかも、それまで主戦場としていたGP500ではなく、GP250クラスでの参戦でした。

1984~85年にはGP500へのスポット参戦を経験していましたから、世界GPフル参戦へ向けて十分な準備がなされていたと思います。

そして迎えた1986年。しかし、開幕戦スペインGPでいきなりアクシデントが起きます。

予選2位でフロントローを獲得したものの、決勝の押し掛けスタートがうまくいかず、後続車に追突されて左足を骨折する大ケガを負ってしまいました。

この事故がきっかけとなり、翌1987年からエンジンを掛けたままスタートするクラッチスタートへ変更されたと僕は理解しています。

初戦から大ケガを負った平さんでしたが、それでも諦めません。そしてシーズン最終戦となる第11戦サンマリノGPで、ついに世界GP初優勝を果たしました。

今回のイラストは、そのサンマリノGPでの平さんを描いたものです。

このレースを間近で見ていたチーム・ロバーツ監督のケニー・ロバーツさんは、「平は終始タイヤを滑らせ続けていた。誰よりも速かった!」と述べています。

ところが、このサンマリノGPでも平さんは押し掛けスタートに失敗。ほぼ最後尾から追い上げるレースとなりました。

トップを独走していたラバードさんが単独転倒でリタイアした頃には、それまでの2位集団へ追いつき、そこから幾度となくドッグファイトを展開。そして最後にはトップでチェッカーフラッグを受け、世界GP初優勝を成し遂げたのです。

凱旋帰国した成田空港での記者会見は昼のニュースでも放送されました。この勝利に日本中が沸いた瞬間でした。

さて、ここからは平さんのライディングについて考えてみたいと思います。

僕が知る限り、1985年の鈴鹿8耐での平さんは、まだハングオフスタイルをうまくこなしている、という印象でした。

ところが約半年後、1986年の全日本開幕戦となった鈴鹿BIG2&4では、すでに最高のバランスでマシンへ体重を預け、実に安定した速さを見せていました。

腰のオフセット量は的確で、頭は車体のセンター付近にありながら、若干イン側へ入る。僕には「これなら世界GPでも十分に通用する!」と思えるライディングフォームになっていました。

それまでの平さんは、腰をオフセットしながらも背中が立ち、頭、つまり目線を意識的に水平へ保っているようなフォームでした。それが1986年には、マシンに対する体重の掛け方そのものが、より適切な形へ変化しているように見えたのです。

1985年の鈴鹿8耐から、1986年の鈴鹿BIG2&4まで、およそ半年。

その短い期間に何があり、どのようにして世界で通用するハングオフスタイルを確立したのでしょうか。機会があれば、ぜひ平さん本人に聞いてみたいところです。

そして1986年の世界GP終了後に開催された菅生TBCビッグロードレースと、全日本ロードレース最終戦日本GPでは、平さんがエディ・ローソンさんやワイン・ガードナーさんを破りました。

世界GP初参戦の開幕戦で大ケガを負いながら復帰し、最終戦ではほぼ最後尾から追い上げて初優勝。その裏側では、ライディングフォームも世界で戦うための形へと進化していたように見えました。

あの頃の平忠彦さんの走りは、本当にカッコ良かったのです。

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