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“突っ込みハッチ”八代俊二の衝撃! モリワキから世界GPへ挑んだ日本人ライダーの記憶

  • 2026.8.23

「突っ込みハッチ」の異名を取り、1984年には全日本TT-F1初代チャンピオンを獲得。モリワキからNSR500を駆り、やがて世界GP最高峰クラスへ挑んだ八代俊二。その闘志あふれる走りは、一人の少年をロードレースの世界へ引き込むほど鮮烈だった。イラストレーター松屋正蔵が、自身を“レースヲタク”へと導いた八代俊二の走りと、その時代を振り返る。

※この記事は過去に掲載された内容をもとに、WEB向けに再構成しています。

“突っ込みハッチ”八代俊二に魅せられ、ロードレースにのめり込んだ

僕がロードレースを知ったきっかけは、モリワキレーシングです。当時テレビで放送された、宮城光さんのドキュメンタリー番組が始まりでした。

それまでも何台かバイクを乗り継いではいましたが、その番組をきっかけに、ロードレースが特別に凄いスポーツであることに気付いてしまったのです。

もともと僕は野球漫画家を目指し、中学時代から野球漫画を描いていました。しかし、ロードレースを知ってからは、もう首ったけ。それからは毎週末に放送される四輪、二輪のレース系テレビ番組をビデオに録画し、チェックするようになりました。

ちなみに、1985年シーズンから36年分の世界GP、そしてMotoGPのレースを全戦DVDやブルーレイに収録し、資料としてコレクションしています。

そんな“レースヲタク”となり、ロードレースについて調べていくうちに、一人のライダーが気になり始めました。

それが八代俊二さんだったのです。

八代さんは1984年、全日本TT-F1クラスの初代チャンピオンに輝きました。当時のモリワキレーシングが走らせていたマシンは、モリワキZERO X-7。CBX750Fの空冷エンジンを搭載していました。

他チームが水冷エンジンへ移行するなか、苦しい戦いを強いられながらも、「突っ込みハッチ」の異名どおり、毎戦見せる八代さんの強烈な走りは際立っていました。

八代さんは僕と同年代だったこともあり、白地に青と黄色を組み合わせたモリワキカラーには強く憧れました。

そして1986年、八代さんは全日本ロードレースでモリワキカラーのNSR500を駆ることになります。当然、このNSR500にも憧れました。

ちょうどこのシーズンから、全日本GP500でV3を達成した平忠彦さんが世界GPへのフル参戦を開始。その平さんを、開幕戦のBIG2&4レースで八代さんが追い回したのです。

初めてのGP500でのレースだったにもかかわらず、八代さんは激しい走りを披露。その闘志あふれる姿に感動しました。

そしてシーズン中盤には、平さんを追うかのように八代さんも世界GPへの参戦を開始。モリワキカラーのNSR500が世界GPを走ったのです。

翌1987年からはロスマンズホンダのライダーとなり、世界GPへフル参戦しました。

今回のイラストは、その当時の八代さんを描いたものです。

1987年には平さんもGP250からGP500へステップアップ。世界GPの最高峰クラスに、日本人ライダーが2人もフル参戦することになりました。

ファンからすれば、これはもう快挙。夢のような状況になってきたのでした。

ただし当時、日本で世界GPのテレビ放送が行われていたのは日本GPのみ。海外ラウンドは1カ月遅れくらいでレースビデオを購入して観るのが普通でした。全戦がテレビ放送されるようになるのは、その2年後の1989年シーズンからです。

そんな八代さんのライディングで特徴的だったのが、下半身ではしっかりと外足を利かせながら、腰は引き気味。そして上体をイン側へグイッと入れるフォームでした。

右コーナーでは、アウト側となる左手の小指が、クラッチレバーに触れながらハンドルからわずかに浮いているようにも見えました。

八代さん自身がそうだったかは分かりませんが、ブレーキングで頑張るライダーはフロントにカウンターステアが入り、アンダーステアを感じることがあるように見えます。そのため、上体をイン側へ入れ、自分の体重をフロントへ預ける傾向があるようにも感じていました。

このあたりは、いつかじっくりと八代さん本人から教えていただきたい部分でもあります。

モリワキZERO X-7で全日本TT-F1初代王者となり、NSR500へ乗り換え、ついには世界GP最高峰クラスへ――。

「突っ込みハッチ」と呼ばれた八代俊二さんの闘志あふれる走りは、僕をロードレースにのめり込ませた原点であり、今も強く記憶に残っています。

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