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27年前、「アイスティー」に汗を描いた30万枚超ヒット 楽曲提供したのはあの大スターだった

  • 2026.8.16
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松本英子-2000年4月撮影

いま『Squall』というタイトルを聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、伸びやかに歌い上げる福山雅治の声かもしれない。けれど、この詞に最初に息を吹き込んだのは、まったく別の声だった。当時デビューしたばかりの新人、松本英子である。女性の一人称で綴られた恋の詞を、彼女がまず歌った。そこから、この曲の物語は始まる。

松本英子『Squall』(作詞・作曲:福山雅治)ーー1999年9月8日発売

晴れ間と雨がせめぎ合う一日の設計

タイトルの「スコール」は、南国特有の激しい夕立を指す言葉だ。晴れていた空が急に暗くなり、大粒の雨が地面を叩きつけたかと思うと、また何ごともなかったように晴れていく。福山雅治が書いたこの詞は、そんな夏の天気の気まぐれを、そのまま恋の温度の揺れに重ねている。

詞は、出会いから別れまでの一日を、時系列でたどっていく構成になっている。二番の入り口に置かれた「汗をかいたアイスティー」という一節は、その日の暑さと高揚を一瞬で呼び起こす。ポラロイド写真と並べて描かれるこのくだりは、ただの小道具ではない。氷が溶けて水滴をまとうグラスの手触りまで伝わってくるような、生々しい夏の記憶装置になっている。撮った写真がその場で仕上がっていく感触までもが、まだ終わってほしくない時間の比喩として効いている。

けれど詞は、浮かれた気分のままでは終わらない。楽しい時間のすぐあとに置かれるのは、家路につく足取りの寂しさだ。満ち足りた一日であるほど、それが終わる瞬間の落差は大きくなる。駅のホームで遠ざかる背中を見送る情景に至って、この曲がただの夏の恋愛賛歌ではなく、通り雨のように一瞬で過ぎていく幸福そのものを描いた詞だと分かってくる。晴れと雨、高揚と寂しさが交互に訪れる構成が、「スコール」という題名を隅々まで裏づけている。天気の比喩でありながら、恋の一日そのものの縮図にもなっている詞なのだ。

夏の恋を歌う曲は数多くあるが、この詞が特別なのは、大きな出来事ではなく、ささやかな時間の断片だけで一日分の感情を描き切っているところにある。

飾らぬ声が言葉の温度を守る

松本英子の歌声は、声量で押し切るタイプではない。詞の言葉ひとつひとつを、丁寧に置いていくような歌い方に映る。飾りの少ない発声だからこそ、恋する当人の照れくささや戸惑いが、脚色されずにそのまま聴き手へ届く。歌詞の主語がずっと「わたし」のまま揺れ続けるこの曲では、歌い手の性別と詞の視点が一致していることそのものが説得力になる。

楽しかった時間から寂しさへと気持ちが折れていく詞の展開を、彼女は声の強弱を大きく振るのではなく、フレーズとフレーズの間合いで伝えているように聴こえる。感情を煽って泣かせにいくのではなく、言葉が本来持っている温度をそのまま差し出す歌い方だ。作り手の視点ではなく、恋する当人の視点として歌われている。その一点が、この曲の芯を支えている。

新人としての初々しさを差し引いて聴いても、その歌い方は狙って作られた技巧というより、詞に対する誠実さの表れに近い。うまく聴かせようとする欲より先に、詞の言葉を正確に届けようとする意志が伝わってくる。歌の上手さを誇示しない歌い方こそが、『Squall』の歌声を特別なものにしている。

作者の元へその年のうちに戻った詞

書いたのは、福山雅治だ。女性の一人称という詞の形は、本人が歌うことを前提にしていなかったのだろう。作詞・作曲を手がけたこの曲を、彼はデビューしたての松本英子に託した。

『Squall』は、福山雅治が主演したフジテレビ系の月9ドラマ『パーフェクト・ラブ!』の劇中で流れる挿入歌として世に出た。主題歌としての大々的な打ち出しではなく、物語の合間に静かに差し込まれる曲として、視聴者の耳に残っていった。シングルは30万枚を超えるセールスを記録している。

そして同じ年の11月17日、福山雅治自身の声で『HEAVEN』のカップリングとしてこの曲がセルフカバーされる。詞を書いた人が、自分の詞を自分の声でもう一度歌う。同じ年のうちに、ひとつの詞が二つの声を持つことになった。

託された声へ聴き手が還っていく

『Squall』は、いまも「どちらの版で聴くか」という話題とともに語られ続けている曲だ。福山雅治本人の伸びやかな歌声で聴く『Squall』と、松本英子の声で聴く『Squall』。どちらもこの詞の正しい姿であり、優劣をつける話ではない。

それでも、詞そのものに立ち返れば、女性の一人称で綴られた恋の揺れは、女性の声で歌われるときにいちばん素直に立ち上がるように感じる。汗をかいたアイスティーの記憶も、駅のホームで遠ざかる背中も、恋する当人の視点として歌われてはじめて、聴き手自身の記憶と重なっていく。作った人の声より、託された人の声のほうが、詞にとって近い場所にあることがある。

書いた人と歌った人が違う、というだけの話ではない。詞が本来向いていた声に、まっすぐ戻っていく瞬間がある。『Squall』というタイトルの通り雨のように、一瞬で心を濡らして過ぎていくこの曲を選ぶとき、聴き手が松本英子の声へたどり着くのは、決して偶然ではないはずだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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