1. トップ
  2. エピソード
  3. 「よく堂々とできるものだ」揺れる座席でメイクを続けた女性。だが、隣の乗客の一言で漏らした本音

「よく堂々とできるものだ」揺れる座席でメイクを続けた女性。だが、隣の乗客の一言で漏らした本音

  • 2026.8.2

向かいの席に座った人

乗り換えの駅で人がまとまって降りて、目の前の席がひとつ空きました。

腰を下ろして顔を上げると、斜め向かいに20代くらいの女性が座っていたのです。

膝の上にポーチを広げて、小さな鏡を立てていました。

唇を直すだけかと思ったのですが、そうではありませんでした。

下地を伸ばし、頬に色をのせ、細い筆まで取り出します。車内はまだ立っている人がいる混み具合でした。

電車が継ぎ目を越えるたびに、体が左右へ振られます。それでも彼女の手元は狂いません。

筆の先がまぶたの際をなぞって、揺れた瞬間には手首だけがふわりと浮き、また戻りました。

(よく堂々とできるものだ)

すごい神経だな、と思っている自分がいました。

隣から届いた声

彼女の隣には、年配の女性が座っていました。

その人が膝の荷物を抱え直したとき、若い女性の手が止まりました。

見られている、と感じたのだと思います。

先に口を開いたのは、若い女性のほうでした。

「5分で終わるんで、大丈夫です」

少し尖った、身構えた言い方です。

年配の女性はまばたきをしてから、ゆっくり答えました。

「揺れるから、目のところは気をつけてね」

責める調子はどこにもありません。孫にでも言うような、ただの心配の声でした。

若い女性が顔を上げます。用意していた言葉が、そのまま宙に浮いたような顔でした。

「……はい」

「刺さったら痛いのよ、あれ」

「ありがとうございます」

彼女は筆をケースに戻し、鏡を閉じて、ポーチのファスナーを引きました。

あとは膝の上で手を重ねたまま、窓のほうを向いています。

降りぎわに漏れた本音

三つ目の駅で、彼女が立ち上がりました。扉のほうへ二歩進んで、そこで足を止めます。

それから年配の女性のところまで戻って、腰を少しかがめました。

「1時間後に面接なんです」

声は落としていましたが、はっきり聞こえました。

「夜勤明けで、家に帰る時間がなくて」

年配の女性は、うなずいただけでした。

「頑張ってね」

説教も、慰めもありません。それだけです。

若い女性は頭を下げて、扉が開くと同時に降りていきました。

ホームを歩く背中が、窓の外を流れていきます。歩き方に迷いはありませんでした。

私はさっきまで自分が何を考えていたかを、順に思い出していました。

あの手つきを見て、慣れているのだと決めつけたのです。

慣れの理由までは、一度も考えませんでした。

年配の女性はまた荷物を抱え直して、静かに前を向いています。

電車は次の駅へ向かって走り続けていました。

※GLAMが独自に実施したアンケートで集めた、40代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています

※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。

元記事で読む
の記事をもっとみる

注目コンテンツ