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30年前、うつむいた日の処方箋になったデビュー曲 24年後に別の声で街に戻ってきた笑顔の歌

  • 2026.7.24
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2020年にCMで『スマイル』をカバーした森七菜。写真は2019年に行われたカレンダー発売イベントより(C)SANKEI

うまく笑えない日がある。返信をためらったまま夜になり、うつむいて改札を抜け、顔を上げる理由がひとつも見つからない。そんな日に効くのは、声を張り上げた激励ではなく、隣を歩きながら軽口を叩いてくれるような歌だ。

大きな声で背中を押す応援歌なら、いくらでもある。けれど、落ち込んだ人間の隣にしゃがみ込んで、同じ目の高さで「まあ、笑ってみたら」と言ってくれる歌は、実はそう多くない。

ホフディラン『スマイル』(作詞・作曲:渡辺慎)ーー1996年7月3日発売

渡辺慎(ワタナベイビー)と小宮山雄飛による2人組、ホフディランのメジャーデビュー曲である。30年前に生まれたこの歌は、24年後、思いがけない形でもう一度街に流れることになる。

完璧じゃない声だから隣に座れる

まず耳をつかむのは歌声だ。ワタナベイビーの声は、いわゆる美声ではない。少し鼻にかかった、人なつっこくて可愛らしい声。その声がふわりと二重にぶれて聞こえてくる。緻密な多重録音の技というより、鼻歌がそのまま増えていったような重なり方だ。

輪郭がにじむぶん、歌がこちらへ寄ってくる。ヘッドホンで聴くと、耳のすぐそばで2人分の同じ声が笑っているような、妙なくすぐったさがある。

歌そのものも、もったいぶらない。前置きを長々と組み立てず、冒頭からいきなり笑顔をすすめてくる。この直球ぶりが、説教くささを免れているのが面白い。命令ではなく、おすそ分けの温度で届くからだ。

メロディも肩の力が抜けている。大きく跳ねず、するすると口ずさめる高さで進んでいく。一度聴けば、帰り道に勝手に再生が始まる類いの旋律だ。出発点の初々しさが、録音のすみずみに残っている。

磨き上げた完成度で聴き手を感心させる曲は多い。この曲は逆をいく。隙間だらけの手ざわりが、聴き手を歌の内側へ招き入れる。デビュー曲なのに、初対面の気がしない。旧知の友人のような距離の近さを感じる。

そもそも、笑顔をすすめる歌を完璧な美声で歌われたら、少し嘘くさくなる。うまく笑えない人に寄り添う歌は、歌う側も少しぶれているほうが信じられる。このにじんだ声こそが、歌詞の説得力の土台に映る。

エンディングという控えめな特等席

この曲は、フジテレビ系アニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の初代エンディングテーマとして世に出た。国民的な人気キャラクターの隣が、デビューしたばかりの2人組の最初の持ち場になった。

考えてみれば、これほど相性のいい組み合わせもない。下町の交番を舞台に、肩ひじ張らない日常が転がっていくあの物語と、のんきな声で笑顔をすすめるこの歌。どちらも、立派であることより、機嫌よく生きることを大事にしている。

アニメのエンディングは不思議な場所だ。オープニングのように大声で名乗りを上げず、本編の余韻を引き受けながら、画面の前の子どもたちを夕食の食卓へ送り出す。前に出ない持ち場だからこそ、歌は構えていない素の耳に届く。『スマイル』の声は、その時間にあつらえたようにはまっていた。

同じ年に出た1stアルバム『多摩川レコード』にも収録され、バンドの名刺代わりの一曲になっていく。巨大なヒット曲が次々に生まれていた90年代の真ん中で、この歌は派手に鳴り響く道を歩まなかった。その代わり、夕方の画面から繰り返し届く歌として、聴いた人の意識のずっと下の層に沈んでいった。派手に鳴ることと、深く残ること。この曲が手に入れたのは後者の生き方だった。

二つの世代に別の歌として届いた

2020年、この曲は帰ってきた。俳優の森七菜がカバーし、「オロナミンC」のCMで歌ったのだ。元気を届ける飲み物の看板として、笑顔をすすめるこの歌ほどふさわしい一曲もない。

テレビから流れてきた聞き覚えのあるメロディに、当時を知る世代は懐かしさで振り向いた。一方で、1996年をまだ知らない世代は、これを新しい歌として受け取った。同じメロディであっても、受け取ったタイミングによってまったく別の顔をする。リバイバルの理想形が、そこにあったように映る。

24年という時間は、流行が何周もする長さだ。それでもこの曲は古びなかった。はやりの音色に寄りかかっていなかったからだと感じる。素朴なメロディと、笑顔をすすめる歌詞の芯。時代の装飾が少ない歌は、時代が変わっても剥がれるものがない。

カバーで生き返る曲には条件がある。歌い手が変わっても骨格が揺らがないことだ。森七菜の声で歌われても、この歌の親密さは少しも損なわれなかった。書かれてから四半世紀近くを経て、最新のCMソングとして働く。懐かしの一曲という枠を超えて、メッセージが現役だから選ばれたのだと言いたくなる。

そして、カバーは入り口にもなる。CMで初めて出会った誰かが、元の歌をさかのぼって探し当てる。そこで鳴っているのは、30年前と変わらない、あの飾らないデビュー曲だ。新しい聴き手が原曲までたどり着いたとき、リバイバルは一過性の話題ではなく、曲の寿命そのものの更新になる。

作り笑いが本物になるまでの歌

この歌がすすめる笑顔は、根性論ではない。つらいときでも口角を上げていれば、作り笑いがいつか本物の笑顔に変わっていく。歌詞が描くのは、そんな小さくて実用的な魔法だ。

だから、応援歌なのに息苦しくない。頑張れと言わずに、笑ってみせてと言う。求めるハードルの低さが、この歌のやさしさの正体に映る。

1996年に夕方のテレビの前にいた誰かは、2020年のCMで足を止めた。そしていま、自分の子どもの隣で口ずさんでいるかもしれない。おまじないは、唱える人が変わるたびに新しくなる。

うまく笑えない日は、これからも来る。そのたびに、この気の抜けた歌声が、ちょうどいい温度で肩を叩く。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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