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32年前、まだ何にも汚れていない恋を【2文字】で表現した一曲。タイトルと歌詞の深さ

  • 2026.9.23
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竹内まりや-1989年12月撮影(C)SANKEI

「純愛」と聞いて思い浮かべるのは、たいてい初恋のような、まだ何にも汚れていない恋だ。相手のことしか見えず、駆け引きも損得も知らない。世の中がその二文字に託してきたのは、そういう透き通った像だと言っていい。

タイトルにその言葉を掲げ、しかも軽やかに弾むミディアムテンポで鳴るこの曲を、そんな先入観のまま聴いていた人は少なくないはずだ。明るい音色に乗って伸びていく歌声は、どこまでも屈託がない。

ところが、耳を澄ますと歌われているのはまるで別の恋だ。相手にはすでに帰る場所があり、自分はその人の一番にはなれない。大人になってから知る、答えの出ない恋である。

竹内まりや『純愛ラプソディ』(作詞・作曲:竹内まりや)ーー1994年5月10日発売

聴き終えたあとに残るのは後ろめたさではない。誰にも渡せない想いを胸の奥で抱えたまま生きていく、その一途さの方だ。だとすれば、この歌が「純愛」と名乗ったのは皮肉でも飾りでもない。透き通っているのは相手ではなく、想いそのものなのだと気づかされる。

小さな光をひらいて歌へ押し出す序奏

再生して最初に耳へ届くのは、オルゴールのような小さな音色だ。おもちゃ箱を開けたときのような、きらきらと粒立った響きが数秒だけ空気を澄ませる。この入り口が、曲全体の印象を決めている。

そこから間を置かず、リズムがゆるやかに走り出す。急がず、しかし足取りは軽い。歩幅の合う人と並んで歩くときの速さで、曲はさらりと1番へ入っていく。序奏のきらめきが背中を押し、歌が始まる頃には聴き手の体温が半度ほど上がっている。

この設計が巧みなのは、明るさが最初から全開ではないことだ。小さな光から始まり、少しずつ視界が開けていく。その高揚の曲線が「純愛」という語感をいっそう明るく見せ、聴き手を無防備なまま歌詞の前に連れていく。本人が作詞・作曲を手がけたこの曲は、後に本人のシングルとして最大の一枚になっていく。その広がりの入り口は、この数秒の輝きにあったと感じる。

実らない恋にこそ純愛の二文字が似合う

明るいメロディが運んでくるのは、誰かのものである人への恋だ。相手には別に帰る場所がある。自分はその人の隣に堂々と立つことを許されていない。歌の主人公はそれを知りながら、なお想いを手放せずにいる。

歌詞が上手いのは、その状況を嘆きの言葉で塗りつぶさないことだ。過ぎた時間を振り返る視線と、いまの胸の内が同じ画面に重なり、恋の始まりの高鳴りと、続かないと知ったあとの静けさが交互に顔を出す。聴き手は語り手と一緒に、遠ざかる背中を見送るような気持ちになる。

ここで効いてくるのがタイトルだ。世間の言う「純愛」は、実ることが前提の言葉に映る。だがこの歌の主人公には、実る未来が用意されていない。それでも想いは薄まらず、誰かに見せるためでもなく、ただそこにある。報われるかどうかで恋の純度は決まらないのだと、この曲は明るい旋律のまま言ってのける。大人の恋だからこそ、純愛と呼ぶほかなかったのだ。

そして曲は、身を引いたとも、続けるとも言い切らない。決着をつけずに余韻のまま置かれるからこそ、聴くたびに違う場所が痛む。穏やかな歌声がその痛みを覆い隠しているようで、実は一番深いところまで届けている。

旋律の動きも、この決着のなさに寄り添っている。サビで高く伸びた声は、言い切るところまで登りきらず、語尾でやわらかく着地する。前へ進みたい気持ちと、進めない現実が、ひとつの節の中で入れ替わる。答えを出さない歌だからこそ、旋律もまた最後の一歩を踏み出さずに、聴き手の胸の中へ戻ってくるように映る。

痛みを軽やかに手渡す声の届き方

1994年5月に発売されたこの曲は、約90万枚を売り上げ、竹内まりやのシングルとして最大のセールスを記録した。誰かのものである人への恋という、決して万人が胸を張って口にできる題材ではない歌が、これほど広く受け入れられた事実は重い。

理由は歌声の届き方にあると感じる。竹内まりやの歌は、感情を前に押し出すよりも、言葉を一語ずつ丁寧に手渡すように進む。深刻な題材を深刻な声で歌えば、聴き手は身構える。だがこの曲では、サビで声が気持ちよく開き、旋律は空へ向かって伸びていく。聴く側は先に体を預けてしまい、歌詞の意味に追いつくのはそのあとだ。

だから、この歌は聴く人を選ばなかった。恋の当事者でなくても、明るい歌として口ずさめる。当事者であれば、口ずさみながら自分の話だと気づく。同じ一曲がふたつの顔を持ち、どちらの顔にも嘘がない。そういう歌だけが、時代を越えて残る数字を作ると言いたくなる。

同じ序奏が切なく聴こえる日まで

学生の頃にこの曲を聴いた人の多くは、明るい歌として覚えていたはずだ。歌詞の意味を知らなくても、サビは口をついて出る。当時はそれで十分だった。

年齢を重ね、誰かを想って、けれどその想いのやり場に困った経験を一度でもすると、この歌は別の顔で戻ってくる。明るさの奥に、どうにもならなかった恋を大事に抱えている人の姿が見える。その人を責める気持ちは湧かない。むしろ、想いを捨てずに持ち続けた強さの方に目がいく。

再生してもう一度、オルゴールのような小さな音色から聴き直す。序奏の光は同じなのに、そこから走り出す歌が、あの頃より少しだけ切ない。それは曲が変わったからではなく、聴く側が大人の恋を知ったからだ。純愛という言葉の本当の意味を、この歌はずっと待っていてくれたのだと感じる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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