1. トップ
  2. エンタメ
  3. 甲子園では控え、月収は12万円台。コンビ解散→2年で辞める覚悟から大成功を納めた「ピン芸人」

甲子園では控え、月収は12万円台。コンビ解散→2年で辞める覚悟から大成功を納めた「ピン芸人」

  • 2026.7.31
undefined
2018年1月、「よしもと47シュフラン2018」の試食選考会に出席したとにかく明るい安村(C)SANKEI

パンツ一枚の姿で全裸に見えるポーズを決め、「安心してください、はいてますよ」と笑顔で言い切る。

お笑い芸人・とにかく明るい安村を一躍有名にしたネタだ。どんな状況でも深刻そうな顔を見せず、名前の通り、とにかく明るく振る舞う。その姿からは、生まれつき悩みとは無縁だった人物のようにも見える。

しかし、実際の歩みは順調とは言い難い。

甲子園では控え選手。芸人になってからも仕事が減り、子どもが生まれた頃の月収は12万~13万円程度だった。コンビ解散後には、ピン芸人を続けられるのも2年ほどだろうと考えていたという。それでも安村は、明るさを手放さなかった。

背番号13の控え選手として甲子園へ

安村は北海道旭川市出身。高校では、野球の強豪校として知られる旭川実業高校の野球部に所属した。1999年夏、旭川実業は北北海道大会を勝ち抜き、甲子園へ出場。高校3年生だった安村も、背番号13の控え野手としてベンチ入りを果たした。

ただし、主力選手として打席に立ったわけではない。安村が甲子園のグラウンドへ出たのは、伝令としてマウンドへ向かった3回ほどだったという。伝令は、試合中に監督の指示を選手へ伝える役割だ。しかし、安村が呼ばれたのは、ピンチの場面で時間を置き、選手たちを落ち着かせることが目的だった。具体的に何を伝えるか、指示されないこともあった。

そこで安村は、マウンドに集まった仲間へ「今日の夜メシ、ハンバーグらしいぞ」といった、試合とは関係のない話をしていたという。緊張が張り詰める甲子園のマウンドで、夕食の話をする。一見するとふざけているようだが、相手を少し笑わせ、固くなった空気を緩めることも、控え選手にできる仕事だった。

試合に出られなくても、明るく過ごした3年間

強豪校の野球部では、全員が試合に出られるわけではない。厳しい練習に耐えても、ベンチに入れない選手がいる。ベンチ入りしても、最後まで出番がない選手もいる。努力した量と与えられる機会が、必ずしも釣り合う世界ではない。安村もまた、主役として甲子園に立った選手ではなかった。

それでも本人は、高校時代について、体も心も最も苦しかった一方で、「しんどい中にも楽しさを見つける生き方」の根本になったと振り返っている。出番が少ないなら、声を出す。伝令を任されたら、仲間を笑わせる。自分が試合を決めることはできなくても、その場の空気を少し明るくすることはできる。

後に芸名へ入ることになる「明るさ」は、単なる性格ではなかったのかもしれない。思い通りにならない状況でも、自分の居場所を失わないための力だった。

子どもが生まれても月収は12万~13万円台

高校卒業後、安村はお笑いの道へ進み、幼なじみとお笑いコンビ・アームストロングを結成した。若手時代にはテレビ番組へ出演し、周囲の芸人から実力を評価されることもあった。しかし、順調に売れ続けたわけではない。同期や近い世代の芸人が次々と注目される一方、自分たちの仕事は少しずつ減っていった。

第1子が生後11カ月だった頃には、月収が12万~13万円ほどだった。家族を養わなければならない。しかし、来年になれば状況が変わると思える年齢でもなくなっていた。安村は、芸人を辞めてガソリンスタンドで働くことまで考えた。

甲子園のベンチでは、出番を待ち続ければよかった。しかし、芸人の世界では、待っていても次の仕事が来る保証はない。明るく振る舞う裏側で、生活そのものへの不安が膨らんでいた。

コンビ解散の場で、わざと明るい名前を名乗った

2014年、アームストロングは解散した。長く応援してきたファンへ解散を伝えたライブでは、客席からすすり泣く声が聞こえ、会場は重い空気に包まれたという。そこで安村は、必要以上に明るく振る舞いながら、これからは「とにかく明るい安村」という名前で活動すると発表した。

周囲がすぐに笑ってくれたわけではない。本人も、ピン芸人として活動できるのは2年ほどだろうと考えていた。それでも、暗い別れの場で、あえて「明るい」という言葉を自分の名前に入れた。高校野球でピンチのマウンドへ向かい、夕食の話で仲間を和ませたときと同じように、深刻な空気の中で自分にできることを選んだのである。

やがて安村は、全裸に見えるポーズを使ったネタを生み出す。2015年には『R-1ぐらんぷり』の決勝へ進出。「安心してください、はいてますよ」のフレーズは広く知られるようになり、その年の新語・流行語大賞トップテンに選ばれた。

2年で辞めると思っていたピン芸人は、わずか1年ほどで時代を代表する人気者になった。

甲子園で控えだった男が、世界の「TONY」に

ブームには波がある。一度大きく売れた後、テレビへの出演が減った時期もあった。それでも安村は、裸に見えるポーズをやめなかった。

2023年には英国の人気オーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』へ出演。「安心してください、はいてますよ」を英語の「Don’t worry, I’m wearing」に変え、現地の観客を熱狂させた。この熱狂にはちょっと理由がある。英語的には、「I’m wearing」で終わると「僕がはいてるのは・・・?」とまるで問いかけるように聴こえるのだ。そこに合わせて自然と「Pants!」という声があがった。

ネタが続くと、コール&レスポンスのように、安村が「Don’t worry, I’m wearing・・・」と問いかけるような感じになり、会場中から「Pants!」という声が返ってくるようになった。日本で生まれた一度きりの流行語だと思われていたフレーズが、言葉も文化も違う英国で再び笑いを生んだ。安村は「TONY」と呼ばれ、日本人として初めて同番組の決勝へ進出した。

2026年には昼のバラエティー番組で曜日レギュラーを務めるなど、日本での活動も続いている。海外の舞台やイベントへ招かれ、裸芸は今や国境を越える持ちネタになった。

甲子園では控えだった。芸人としての月収は12万円台まで落ち、ピンでは2年も続かないと思っていた。それでも、与えられた場所で明るく振る舞い、その場にいる人を笑わせることだけはやめなかった。とにかく明るい安村にとって、明るさとは苦労を知らない人の性格ではない。

思い通りにならない時間を生き抜き、次の出番が来るまで自分の居場所を守るために、高校野球の控え選手だった頃から磨いてきた力なのである。


※記事は執筆時点の情報です

の記事をもっとみる

注目コンテンツ