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芸人を憑依させる「イケメンアイドル」タトゥー入りの男、ヤンキー高校生…役を更新していく俳優とは

  • 2026.7.21
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※ChatGPTにて作成(イメージ)

「俺より俺」。自分を演じた俳優のことを、南海キャンディーズの山里亮太はそう表現した。指の開き方の数センチにまでこだわっていた、という証言つきである。その前年には、錦鯉の長谷川雅紀が、やはり自分を演じた俳優との共通点の多さに驚き、「兄弟じゃないよね!?」と口にしたと報じられている。実在の芸人ふたりにここまで言わせた俳優が、SixTONESの森本慎太郎だ。

モノマネの巧拙という話ではない。画面の中では、森本慎太郎というすでに知られた顔よりも先に、山里亮太が、長谷川雅紀が残る。その残り方の中身を見ていきたい。

憑依から始まりもうひとりの人格が生まれるまで

2023年の日本テレビ系『だが、情熱はある』で森本が演じたのは、大学時代から南海キャンディーズ結成、2004年のM-1、コロナ禍の「たりないふたり」無観客ライブまでを生きる山里亮太である。森本本人は自らと山里を比べて「何もかもが違う人間」と語っている。自分は努力をしない人間で、山里は努力の天才。つまり「真逆」だと。

真逆の人間に近づくために選んだ道は、徹底して具体的だった。役作りは読み合わせやリハーサルと並行して「モノマネ」から始め、取り入れる要素や語尾を調整していく。山里本人が台本を読んだ音声に加え、著書、ラジオ、テレビ、YouTubeまで参照し、話し方、イントネーション、声、早口、表情、指の開き方、間、相方との関係にいたる細部を詰めた。

山里本人にも直接質問し、当時の心理まで確認している。山里を視聴者にいったん嫌な人物だと感じさせ、その落差から現在へつなぐ。この作業の果てを、森本は「第二の人格ができた感じ」と表現した。そして森本の演技を見て山里が残したのが、冒頭の「俺より俺」だった。

入口の違うふたつの実在の役

その前年、2022年に日本テレビ系『ZIP!』内で放映されたドラマ『泳げ!ニシキゴイ』で森本が演じたのは、錦鯉・長谷川雅紀の成人期だった。昭和から平成、令和へまたがる長い下積みとM-1優勝までの半生を扱う作品で、森本は長谷川の豊かな表情や目の開き方などを研究したと整理されている。そして長谷川本人は、森本との共通点の多さに驚き、「兄弟じゃないよね!?」と発言したと報じられた。

並べてみると、ふたつの役は入口からして違う。山里については森本自身が「真逆」と言い切り、長谷川についてはモデルの側が共通点の多さに驚いた。遠い人間を膨大な参照で組み上げた役と、近さを本人に指摘された役。それでもどちらの場合も、演じられた本人から「俺より俺」「兄弟じゃないよね!?」という具体的な反応が返ってきた。実在の人間を演じたこのふたつの仕事では、その手応えがモデル本人の言葉として記録に残っている。

役のはまり方が次の監督を呼んだ

山里役は、次の仕事を直接連れてきた。藤井道人監督がそのはまり方を見て、映画『正体』に森本を起用したのである。2024年のこの映画で森本が演じた野々村和也は、借金を抱えて工事現場で働く日雇い労働者。金髪に日焼け、タトゥー入りという外見の男だ。森本と藤井監督は試行錯誤を重ね、猫背や重心を落とした歩き方を含めて、姿勢と歩き方そのものから人物を設計していった。

藤井監督は森本を「新しい才能との出会い」と表現し、この役を「人間らしい、本当にいい芝居」と評した。興味深いのは、森本本人もまた、この試行錯誤によって知らなかった新しい自分を見せてもらったと語っていることだ。監督にとって新しく、本人にとってさえ新しい。山里役を見て声をかけた監督の前に現れたのは、山里役の反復ではなく、また別の人物だった。

同じ不良役から別々の人物が立ち上がる

森本の演技力の高さは実在の人物の役に限らない。2022年の『ナンバMG5』で演じた大丸大助は、現代のヤンキー高校生である。豪快だが情に厚く、争いを好まない人物で、森本は原作を「教科書」にしながらコピーにはせず、自分らしさを加えて作った。翌2023年の映画『Gメン』の梅田真大も高校生のヤンキーだが、こちらは「見た目も中身も昭和」。ヒゲ、サングラス、老け顔、大声、威勢のよい名乗り、古風な恋愛観、直線的なアクション。人物がまるごと様式で組み上がっている。

同じ不良役でも、片方は原作を土台に自分を足して作り、片方は昭和感を束ねて立たせる。山里役の精密な再現とも、野々村の姿勢から作る設計とも重ならない。ひとつの方法に名前をつけて済ませることが、少なくともこの並びではできないのだ。

掴みかけた輪郭を次の役が書き換える

こうして5つの役を並べてみて気づくのは、ひとつの輪郭に収めにくいということだ。真逆の人間を膨大な参照で組み上げたかと思えば、共通点の多さでモデル本人を驚かせ、姿勢と歩き方から日雇いの男を立ち上げ、様式で昭和のヤンキーを組む。この並びの中では、先の役で掴んだつもりの印象が、後の役でまた更新される。

本人の言葉に戻るなら、森本は山里と自分を比べて、自分は努力をしない人間だと語った。その自己認識と、山里役で指の開き方の数センチを詰め、野々村役で歩き方をいちから設計した具体的な作業との間には、見過ごせない距離がある。その距離の奥に何が控えているのか、ここまでの役を追い終えたいまも、説明し切れる言葉が見つからない。


※記事は執筆時点の情報です

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