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実業家と結ばれ「社長夫人」になった“グラビア出身女優” 初主演のアクションから妻役までの振れ幅とは

  • 2026.7.28
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2003年2月、ウェディングドレスブランド「アクア・グラッツィエ」主催のファッションショーでモデルをつとめた釈由美子(C)SANKEI

2015年10月、釈由美子が結婚した。相手は飲食店を経営する実業家である。それ以来、「社長夫人」という言葉が名前のそばに置かれるようになった。肩書きというのは不思議なもので、一度ついてしまうと、その人の全部を言い当てているように見えてくる。落ち着いた響きの四文字だ。けれど、この人が画面の中でやってきたことを見ていくと、その静かな言葉とはずいぶん温度が違う。

アクション映画で初主演を務め、連続ドラマで主役を張り、舞台の板も踏んできた。私生活で得た顔と、仕事で見せてきた顔。釈由美子には、その二つがずっと同居している。しかも仕事の中だけを取り出しても、この人の顔は一つではなかった。順番でいえば、後からついたのは「社長夫人」のほうである。

被写体から動く役へ

出発点は1997年、グラビアだった。写真の中の被写体は動かない。決められた場所に立ち、カメラのほうを向いて、そこで一枚が完成する。水着の写真集は2003年の『CHAOS』が一つの区切りになった。一方で、俳優としての仕事は逆の方向へ進んでいく。2001年の映画『修羅雪姫』で初主演。SFアクションで、体が動かなければ一秒も成立しない役だ。2003年にはテレビ朝日系のドラマ『スカイハイ』でも主演を務めている。

同じ「見られる」でも、主導権の持ち主が違う。被写体は一枚の完成度で評価され、それを作るのは撮る側だ。アクションはそうではない。自分が動いた分しか画面に残らないし、評価されるのは静止した一瞬ではなく、続いていく時間のほうになる。数年のうちに、委ねる側から差し出す側へ移っている。片方を畳んでからもう片方へ進んだのではない。二つの顔を同時に持ったまま走っていた。顔が一つでは足りないという状態は、結婚よりずっと前から始まっていたのである。

台詞と間で人物を立てる

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2006年撮影、テレビ朝日系ドラマ「七人の女弁護士」の女優・釈由美子(C)SANKEI

2006年、テレビ朝日系『7人の女弁護士』で主演を務める。演じたのは弁護士・藤堂真紀。2008年には続編でも主役に立った。弁護士は走らない。座って、聞いて、言葉を選び、間を置く。アクション作品で名を上げた俳優に、動きを封じた役の中心を任せたことになる。

なぜアクションの人に法廷ものを任せたのか。ここに、この俳優の力の在り処が見える。アクションの現場で鍛えられるのは体の速さだけではない。カメラが長いあいだ一人を映し続けても、画面が痩せないだけの持久力が要る。身構えて息を詰める数十秒も、証言を黙って聞いている数十秒も、その点では同じ負荷がかかる。作り手が買ったのは動きの派手さではなく、一人で画面を保たせる力のほうだったのだろう。

2009年には読売テレビ・日本テレビ系『LOVE GAME』でも主演し、連続ドラマの中心を担う仕事が続いた。2012年の舞台『十三人の刺客』では、高橋克典や坂口憲二らと並び、新左衛門の妻を演じた。斬り結ぶ側ではなく、送り出す側に回る役どころである。舞台は編集が助けてくれない。台詞のない時間も、出番のない時間も、その人物として続いていく。主演で画面の重心を持つことと、脇で誰かの背中を押すこと。この数年で、釈はその両方を引き受けている。体で見せる俳優から、台詞と間で人物を立てる俳優へ。動から静への幅そのものが、この人の芝居の厚みになった。

肩書きが増えても同じ居場所

結婚から10年が過ぎた。「社長夫人」という肩書きがついた後も、釈は現場から離れていない。2026年3月に公開された映画『ハローマイフレンド』に出演。市井昌秀が監督・脚本を手がけた作品で、大きな看板を背負った一本ではなく、小さな劇場から静かに広がっていくタイプの映画だ。名前で客席を埋めるための起用ではなく、中身のほうから必要とされた場所に立っている。そういう仕事が今も途切れない。役者以外でもバラエティ番組への出演や、NHK BS『実践!にっぽん百名山』での司会など、様々な現場で求められ続けている。

「社長夫人」という言葉は、確かに事実の一つだ。けれどそれは、名前の後ろに増えた呼び名でしかなく、外から見た人がつけた見出しにすぎない。肩書きは他人が増やしてくれるが、仕事のほうは自分で積むしかない。画面の中の釈由美子は、結婚の前も後も、同じように動いている。グラビアの被写体として始まり、アクションで主演を張り、法廷の言葉で人物を立て、舞台では妻を演じ、司会をこなし、映画の現場に立つ。こうして並べてみると、静かに収まっていた時期がほとんど見当たらない。二つの顔は、どちらかが本物でどちらかが仮の姿という関係ではない。両方を抱えたまま歩いてきた道のりが、そのまま釈由美子のキャリアである。


※記事は執筆時点の情報です

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