1. トップ
  2. エンタメ
  3. 男を惑わす“魔性の女”から悪妻まで…危うい女性で魅せた「正統派アイドル」朝ドラも歌手業も担う「振れ幅」の芯

男を惑わす“魔性の女”から悪妻まで…危うい女性で魅せた「正統派アイドル」朝ドラも歌手業も担う「振れ幅」の芯

  • 2026.7.28
undefined
2018年2月、ミュージカル「モーツァルト!」の製作発表に出席した生田絵梨花(C)SANKEI

清楚、優等生、正統派。アイドルとしての生田絵梨花に集まってきた言葉は、だいたいこのあたりだった。2014年、乃木坂46の10枚目のシングル『何度目の青空か?』でセンターに立った姿は、その像をそのまま形にしたようなものだ。ところが俳優としての生田は、その像から一番遠い場所に何度も立っている。

2022年の映画『コンフィデンスマンJP 英雄編』で任されたのは、男を惑わす魔性の女だった。清らかな看板を負っている人ほど、危うい役に回ったときの落差は大きい。生田絵梨花のキャリアは、その落差を仕事に変えてきた歩みである。清らかな側か危うい側かに落ち着くのではなく、両方のあいだを往復し続けること自体が、この人の表現の芯にある。

清楚という看板を引き受ける

生田は2011年、乃木坂46の1期生としてグループに加わった。デビュー時から前列に立ち、2021年12月の卒業まで、10年をこのグループで過ごした。その間に定着したのが、清楚で真面目という像である。ただ、それは生まれ持った性質が映っていただけの話ではない。グループの中の立ち位置は、本人の資質と、送り手の設計と、受け手が抱く像が重なって固まっていく。清楚さは、生田が引き受けた一つの役だったのだ。役だったからこそ、後年そこから遠い場所へ移ることもできた。

もう一本、この時期に伸びていた線がある。歌だ。アイドルの歌唱として始まった声は、やがてミュージカルの舞台へ、ソロの歌手活動へと続いていく。清らかな看板と同じ場所から、別の職能が静かに育っていた。この二本目の線が、のちに危うい側へ渡る橋になる。

先に影の側へ渡ったのは舞台だった

2018年、ミュージカル『モーツァルト!』で生田はコンスタンツェを演じた。モーツァルトの妻であり、世界三大悪妻の一人と語られることもある人物である。清楚な看板を持つ人が引き受けるには、これ以上ないほど遠い役どころだ。トリプルキャストの一人として、生田は舞台に立った。翌2019年、この役と『ナターシャ・ピエール・アンド・ザ・グレート・コメット・オブ・1812』のナターシャ役への評価として、第44回菊田一夫演劇賞の演劇賞を受けている

2021年には、ミュージカル『レ・ミゼラブル』でエポニーヌに回った。2017年と2019年にコゼット役で出ており、3度目の出演での配役替えである。エポニーヌはコゼットを預かっていた宿屋の一家の娘だ。子どもの頃に恵まれていたのはこちらの側で、一家の没落を境に立場が入れ替わる。救われて淑女に育つコゼットの傍らで、エポニーヌは報われない恋を抱えたまま散る。同じ物語で救われる側を二度演じた人が、今度は救われない側に立った。渡った先で求められるのは、悲しみを大きく見せることではない。届かないと知りながら相手の幸せに手を貸す心を、歌に乗せて客席の一番後ろまで届けることだ。

舞台には逃げ場がない。撮り直しも編集もなく、客席の目の前で走り切るしかない。看板と正反対の役に挑むなら、本当は映像のほうが安全だったはずだ。生田は舞台で先に踏み込んだ。踏み込めたのは、歌があったからだろう。悪妻と語られてきた妻も、報われない恋に生きる娘も、生田にとっては歌う役である。清楚な看板を支えてきた二本目の線が独立した柱に育っていたおかげで、危うい役は無理な冒険ではなく、地続きの一歩になっている。

優等生の像があるから魔性が効く

undefined
2022年撮影、映画「コンフィデンスマン JP 英雄編」の大ヒット感謝舞台挨拶に立った生田絵梨花(C)SANKEI

映像の側にも、予兆はあった。2017年の映画『あさひなぐ』で任されたのは、主人公の前に立ちはだかる強豪校のライバルである。勝気で負けず嫌いな役どころで、清楚な像とは温度が違う。ただ、このときの生田はまだグループの看板を負っていた。その気の強さは、優等生の像の内側でぎりぎり成立する。影は覗いても、看板をはみ出してはいない。

そして2022年、映画『コンフィデンスマンJP 英雄編』。生田に渡されたのは、元マフィアの内縁の妻という魔性の役だった。グループを離れた直後に、看板の内側では収まらない役が来た。長く負ってきた看板が、そのまま役の効き目に変わっている。

映像は編集と画づくりで悪女を作れてしまう。それらしく見えるだけの魔性は、いくらでも生まれる。生田の魔性がそう見えないのは、逃げ場のない場所で先に影を通っているからだ。舞台で身体に入れたものを、カメラの前で薄めずに出している。危うい側をやり切った人は、清らかな側に戻ったときの説得力が変わる。往復とは、どちらかを捨てて別の場所へ行くことではなく、両方を同じ身体に置いたまま行き来することなのだ。

往復したまま迎えた春

2026年春、生田はNHK連続テレビ小説『風、薫る』に出演している。同じ春に、1stフルアルバム『I.K.T』を発表した。俳優としての現在地と、歌手としての現在地が、並んで走っている。清楚な看板から始まり、悪妻と語られてきた妻を任され、報われない恋に生きる娘を通り、魔性の女に行き着いた。その間ずっと、歌の線は途切れずに伸びていた。どちらか一方に振り切れば、話はもっと簡単だっただろう。生田絵梨花はそうしなかった。

朝に流れる連続ドラマの役と、影のある役。どちらも同じ人が同じ声で担っている。往復を続けてきた人にとって、清らかな側はもう出発点ではなく、行って戻ってこられる場所の一つになった。次にどちらの側に立つのかは分からない。分からないまま待てるのが、往復してきた俳優の面白さである。


※記事は執筆時点の情報です

の記事をもっとみる

注目コンテンツ