1. トップ
  2. エリザベス女王とアンドルー元王子、いびつな親子関係を分析

エリザベス女王とアンドルー元王子、いびつな親子関係を分析

  • 2026.5.6
Chris Jackson / Getty Images

今年生誕100周年を迎えたエリザベス女王。イギリス史上最長在位記録を誇る女王というだけでなく、国民やマスコミからの批判やコモンウェルス内からの反発など王室にとって数々のピンチを克服してきた名リーダーと言われている。しかしその女王にも弱点が1つあった。それが次男のアンドルー元王子。常に冷静に状況を見極め、客観的な判断を下してきた女王も、アンドルーに対しては態度が甘くなりがちだと囁かれてきた。そこで今回は女王とアンドルーの関係についてクローズアップ。知られざる母子関係をレポートする。※女王の子どもたちの称号は途中で変わることから、すべて略して表記

Mirrorpix / Getty Images

女王と母親の両立にトライ

アンドルーが誕生したのは1960年2月。当時兄のチャールズは12歳、姉のアンは10歳だった。ちなみにアンドルーの弟エドワードは1964年生まれ。上の2人の子どもたちと下の2人の子どもたちの年齢は開きがある。その間にエリザベス女王も成長し、たくましくなっていた。チャールズとアンを出産したときの女王は20代前半で即位前。アンドルーとエドワードのときはすでに30代半ばで女王になっていた。伝記作家のペニー・ジュナーによると「最初の子どもたちを出産したとき、エリザベスは厳しい乳母を雇い、子ども部屋には近づかなかった」。アンドルーが生まれたときには子どもたちとより多くの時間を過ごしたいと希望。手帳に赤ちゃんと過ごす時間を書き込むほど大切にしていたという。アンドルーを入浴させなくてはならないからと、首相との毎週の会合の時間を頻繁に切り上げていたとも。

Keystone-France / Getty Images

一方で、そこまでしても女王になってからの方が多忙だったのは変わりはない。子ども時代のアンドルーやエドワードと接する時間はチャールズやアンとの時間よりも遥かに少なかったという見方もある。また子どもたちが思春期になり悩みを抱くようになっても、その相談に応えることはほとんどできなかった。女王はそのことを後年後悔していたともいわれている。

Central Press / Getty Images

過保護とも言われるほど溺愛

アンドルーは生まれたときから女王のお気に入りだった。女王はアンドルーのプライバシーを徹底して守り、過保護と評されるほど大切に育てていたという。洗礼式の写真も公開せず、公の場所で披露することもほとんどなかったため、一部のマスコミからは「ベビーに何か問題があるのではないか」という見方も浮上した。アンドルーが初めて公の場所に姿を見せたのは、生まれた翌年に行われたトゥルーピング・ザ・カラー。女王の公式誕生日を祝う日だが、アンドルーは母親の腕に抱かれて参加した。

Keystone-France / Getty Images

寵愛を武器に、息子は傲慢さの片鱗を見せるように

大人になってからのアンドルーはスタッフたちに傲慢な態度を取ることで有名。その傾向は子どもの頃から表れていたもよう。アンドルーはよくいえば活発で、悪くいえばヤンチャな乱暴者。スタッフのこともよくからかっていた。たとえば、衛兵たちは王子が前を通ったら敬礼しなくてはならない。アンドルーはそれを面白がり、衛兵の前を行ったり来たりして遊んでいたという。

ロイヤルに関する有名雑誌『マジェスティ』の編集長でジャーナリストのイングリッド・セワードによると、アンドルーはあるとき従僕をからかいすぎ、怒った従僕から顔を殴られた。アンドルーの目の周りはあざで青くなってしまったという。従僕は責任感から辞表を提出したが、女王は悪いのはアンドルーだとして、それを受け取らなかった。女王が単なる過保護なモンペではなく、冷静かつ公平に判断しようと努力していたことがわかる。

Bettmann / Getty Images

上流階級ならではの距離感

女王はアンドルーやエドワードの子育てを乳母に任せきりにしないようにしていた。それでも親子関係は特殊だった。作家のブライアン・ホーイが王室スタッフから入手した証言によると、アンドルーは女王に会いたいとスタッフに伝えるとき、「母に会いたい」ではなく「女王陛下にお会いしたい」と言っていた。またほんの短い面会でも、正装してやってきたという。

王室レポーターでかつてダイアナ元妃の親友だったリチャード・ケイによると「女王もアンドルーもバッキンガム宮殿にいるのに、アンドルーは女王に会いたいという旨を手紙で伝えていた。会うときにはきちんとスーツを着てきて、手と頬にキスをしていた」。女王はアンドルーのその態度をとても喜んでいたという。ちなみにこのような親子関係は、当時の上流階級ではよく見られることだったという。

picture alliance / Getty Images

身近に置きたい一心で、進学先を選定

女王がアンドルーに対して過保護だったのは、学校選びにも現れている。アンドルーは兄のチャールズと同じように家庭教師から教育を受けた後、ウィンザー城の近くにあるヘザーダウン校に入学した。女王が自分の近くに置いておきたいと望んだからだという。その後アンドルーは、父のフィリップ王配の意向でより厳しいゴードンストウン校に転校させられる。ジャーナリストのイングリッド・セワードによるとアンドルーは後年「思いやりは女王から、義務感と規律は父から」与えられたと語っていた。

Jeff Goode / Getty Images

ゴードンストウン校は上流階級というよりも、中産階級の子息向けの学校。アンドルーの兄チャールズはここで散々いじめにあったと言われているが、アンドルーは逆に生き生きと過ごしていたもよう。下品なジョークを言っては自分でウケている男として有名だった。同じクラスのある女子は「自分で自分のジョークに笑う、お尻の大きな男」と評している。

Rob Taggart / Getty Images

甘やかされたヤンチャから、非の打ちどころのない秘蔵っ子に

女王やその母であるクイーン・マザーことエリザベス皇后に甘やかされて育ったアンドルー。お調子者で、目標のない若者になっていた。しかし学業を終え、海軍に入隊してからは様子が一転。海軍兵学校に入り、ヘリコプターのパイロットとしての訓練を受けた。その後フォークランド紛争が勃発すると、女王と当時の首相マーガレット・サッチャーを説得して従軍。パイロットとして任務についた。10週間の戦いを経て帰国したアンドルーは、国民的英雄に。ちなみに当時の彼は22歳。若きイケメン王子として、今の彼の状況からは想像もつかないような人気を獲得していた。

David Levenson / Getty Images

女王も、アンドルーが軍人として活躍したことを心から喜んでいた。アンドルーが帰国したときは港に出迎えに行ったという。アンドルーは港に集まった群衆から贈られたバラの花を口にくわえ、笑顔で母と対面した。女王のいとこであるマーガレット・ローズによると、女王はアンドリューを誇りに思い、このときに撮った写真をハンドバッグに入れて持ち歩いていたという。王室に詳しいジャーナリストのクライヴ・アーヴィングはこのころのアンドルーを「女王にとってほとんど非の打ちどころのない息子だった」と書いている。

David Levenson / Getty Images

セーラもお気に入りの義理娘に

当時のアンドルーは、のちのヘンリー王子と同じように「スペア」として注目されていた。プライベートもヘンリー王子の青年時代同様、夜遊び三昧。パーティーをハシゴし、女性たちをとっかえひっかえしてはマスコミを賑わせていた。タブロイド紙がつけたあだ名は「好色アンディ」。しかし幼い頃に知り合ったセーラ・ファーガソンと1985年に再会、真剣交際に発展し1986年に結婚する。

アンドルーはもともとダイアナ元妃と結婚するはずだったと言われる。しかしダイアナにはあまり興味を示さなかったとか。セーラはダイアナとはまったく異なるタイプ。犬と乗馬が大好きな「飾らない田舎娘」だった。女王はセーラの素朴さを「とても気に入っていた」と伝記作家のベン・ピムロットは書いている。女王はアンドルーが家にいないことを知ると、セーラが寂しくないようにと夕食に招くこともあった。これは異例のことで、ダイアナ元妃が同じような待遇を受けたことはほとんどない。ここまで愛されたセーラの存在が、女王とアンドルーの絆をさらに強くした。

Mirrorpix / Getty Images

公務にも表れる寵愛ぶり

アンドルーが女王から寵愛されていたことは、公務にも表れた。1981年頃、チャールズと結婚したばかりのダイアナ元妃に関するマスコミ報道が過熱した。女王はその状況を話し合うためにバッキンガム宮殿に記者たちを招いたが、そこにアンドルーを同伴した。また1988年、パンアメリカン航空のロンドン発ニューヨーク便がスコットランドのロッカビー村の上空で爆破されるというテロ事件が起きたときには、自分の代理としてアンドルーを現場に派遣した。

Tim Graham / Getty Images

母の愛が、息子の特権意識の温床に?

アンドルーも女王の愛に応えるかのように、女王のそばを離れなかった。1990年にはセーラと共にウィンザー城の近くにあるサニングヒルパークに住むように。ここは女王から結婚祝いとして贈られた邸宅だった。また1992年、ウィンザー城が火災に見舞われたときにはすぐに城に駆けつけ、女王のために自ら絵画や家具を運び出した。火災を知らされ、ロンドンから戻ってきた女王もその姿を見て、アンドルーのことを忠実な息子だと改めて実感していたという。

その後アンドルーとセーラの結婚生活は破綻。離婚協議中にセーラの足の指を愛人の実業家が舐めている写真が流出した。このとき父のフィリップ王配は怒り狂ったが、女王は怒りながらも2人を見放すことはなかったという。ジャーナリストのクライヴ・アーヴィングは「女王は常にアンドルーを甘やかそうとしていた。女王の判断力に関する長年の謎の1つだ」と不思議がっている。そんな女王の態度が、アンドルーの特権意識を助長し、傲慢さの一因となったと見る王室関係者も多い。

Mark Cuthbert / Getty Images

寵愛が「甘やかし」へ

2001年にアンドルーは英国貿易特使に就任する。ちなみに彼が2026年初めに逮捕されたのは、特使として得た情報をエプスタインにリークした容疑がかけられたからなのだが、当時から関係者の間でアンドルーの仕事ぶりは悪評の嵐。特使としての立場と費用を利用して海外に出かけまくり、「エアマイル・アンディ」と呼ばれるほどだった。また同行した外交官に現地で女性を斡旋するように言いつけ、外交官が「私はポン引きではない」と言うほど怒らせていたことも後日発覚した。出張は大好きでも、肝心な特使としての能力には欠けていたようで、外交官たちは陰で彼を「道化閣下」と呼んでいた。それでも女王はアンドルーが特使のポジションにいることに反対せず、注意もしなかった。

アンドルーの問題報道が公務に及び、深刻度を深めるに連れ、女王の寵愛も「甘やかし」だと見られるように。愛そのものは変わらなくても、アンドルーの行動がエスカレートしたことで、そう受け止められるようになっていく。

Matthew Lloyd / Getty Images

エプスタインとの黒い関係にも変わらぬ母子関係

女王の態度は、アンドルーとエプスタインの噂が浮上しても変わらなかった。2011年、エプスタインはプライベートジェットでイギリスを訪れるのに英国空軍基地を使い、アンドルーを訪問している。当時エプスタインはすでに未成年の女性に売春を斡旋した容疑で有罪判決を受けていた。アンドルーとエプスタインの黒い関係が噂される中、女王はアンドルーにロイヤルヴィクトリア勲章のナイト・グランド・クロスを授ける。2014年にアンドルーがIT業界の起業家を支援するイニシアチブ「Pitch@Palace」を立ち上げたときも、女王はアンドルーをサポートしていた。2年後にアンドルーはこのイニシアチブのイベントをセント・ジェームズ宮殿で開催したのだが、女王に特別ゲストとして出席してくれるよう依頼した。

WPA Pool / Getty Images

当時アンドルーはヴァージニア・ジュフリーから性的暴行で訴えられていたが、女王はアンドルーのリクエストに応じた。女王が姿を見せたおかげで、イベントは大成功を収めたという。その場にいたジャーナリストのイングリッド・セワードは女王が到着したとき、会場に集まっていた出席者たちが騒然としたと語っている。セワード曰く「女王がアンドルーをどれほど大切に思っているかを示す一例だ」。

Mark Cuthbert / Getty Images

いつも隣にアンドルーの姿が

女王の態度はその後も変わらず、2019年6月のロイヤルアスコットでも自分のエスコート役にはアンドルーを選んだ。3か月後、ドナルド・トランプ大統領がアメリカを訪れたときにも、アンドルーは大統領と対面している。11月に行われた戦没者追悼式典でもアンドルーの席はチャールズとカミラ夫人の隣。特等席に座り、高位のロイヤルとして存在感を発揮していた。

Max Mumby/Indigo / Getty Images

公務引退寸前まで、ことの重大さに目をつむる?

その1週間後、アンドルーのインタビューが放送される。アンドルーはここでエプスタインとの関係について説明した。世間の批判を抑えることが目的で、彼はインタビューが「成功した」と思っていた。しかし結果は正反対。アンドルーが言い訳に終始、エプスタインの被害者たちに対する思いやりの言葉をまったく口にしなかったことから彼も王室も大炎上。アンドルーは公務を引退することになる。その直前まで女王がアンドルーを信頼し、公の場所に出していたことは、女王のアンドルーに対する目がいかに甘くなっていたかの表れだと見られた。また、愛ゆえに目をつむっていたのではないかと見る王室ウォッチャーもいる。

Vantage News/AFLO

それでも息子に寄り添う

このインタビューの後、アンドルーは公務と軍務から身を引く。というよりも、王室によって引退させられる。しかしこれを女王がついにアンドルーに厳しく接するようになった証だと見る王室ウォッチャーは少なかったよう。その多くは、チャールズが王室の将来のために下した判断だと見ていた。なぜならその後も女王の態度が変わらなかったから。

アンドルーの公務引退が発表された直後、ウィンザー城で女王とアンドルーがボディーガードを伴って乗馬をしているシーンをパパラッチがキャッチした。ジャーナリストのイングリッド・セワードはこれを女王の意思表示だと語る。セワード曰く「マスコミがどこから写真を撮っているか、女王はよく知っている」。つまり撮られることを承知で、女王はアンドルーと乗馬に出かけたというわけ。しかもこの日は雨だった。女王はそこまでして、自分がアンドルーの味方であることを示したがっている。マスコミはそう解釈した。

WPA Pool / Getty Images

2021年4月、コロナ禍中に行われたフィリップ王配の葬儀でも印象的なシーンがあった。ソーシャルディスタンスの時代ゆえ、葬儀には限られた人だけが列席。女王が1人でぽつんと座る写真がニュースに大きく掲載されたが、近くにはアンドルーが控えていた。翌年3月に行われたフィリップ王配の追悼礼拝でも、女王をエスコートしていたのはアンドルーだった(写真下)。

WPA Pool / Getty Images

アンドルーは性的暴行疑惑への批判が高まったことから、2022年1月に軍の名誉職と慈善団体のパトロン職をすべて女王に返上する。「ロイヤルハイネス」の敬称も以降は使われないことになった。

この8か月後に女王は亡くなる。最後の最後に女王が厳しい態度をとったと見るロイヤルウォッチャーもいる。しかしそれ以上に、チャールズやその子どもであるウィリアムが女王に強く勧めた結果であると見る専門家が多い。雑誌『タウン&カントリー』の記事によると、王子はパトロン職を返上後もパパラッチの目を避けつつウィンザー城に出かけ、女王に会っていた。女王もアンドルーとの訪問を受け入れていた。

Max Mumby/Indigo / Getty Images

ロイヤルファミリーという組織のトップとして、ときに凄腕の政治家たちも驚かせるようなタフさを発揮してきた女王。アンドルーとの関係はそんな女王のもう1つの顔、厳しくしたくてもしきれない母親としての一面を強く映し出されている。

Mark Cuthbert / Getty Images

アンドルー元王子と元妻セーラ、失脚までのスキャンダル遍歴をプレイバック

アンドルー元王子スキャンダルについて何を語った? ウィリアム皇太子ほか、英国ロイヤルたちの発言を総整理

アンドルー元王子絡みでバッシング。ベアトリス王女の夫エドアルド・マペッリ・モッツィとは何者?

元記事で読む
の記事をもっとみる