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変化の中で輝きを生むのは確固たる意思。世界を知る、知花くららさんが描く未来像【Richesse WOMEN vol.7】

  • 2026.3.31

真の豊かさとは、自分だけではなく相手のことも包み込む優しさをもつこと。連載【Richesse WOMEN】では、社会へのアクションを通じて魅力を発信している芯のある女性にフォーカスしていきます。今回は、変化するライフステージのなかで、世界での支援活動や家づくりを通して自分らしい歩みと向き合う、モデルの知花くららさんです。

CEDRIC DIRADOURIAN

Profile
知花 くらら(ちばな くらら)/モデル

沖縄県那覇市出身。2006年ミス・ユニバース世界大会で第2位に輝き、以降各メディアで活躍。2007年より国連世界食糧計画(WFP)の日本親善大使として、アフリカ各国を中心に支援現場を視察。祖父の生家を建て直したいという思いから、2019年に京都芸術大学建築学科へ社会人入学し、2022年に二級建築士を取得。二児の母として子育てをしながら、幅広い分野で活動している。

未来を見据えて、歩みを重ねる。知花くららさんが紡ぐ支援と学びのかたち

CEDRIC DIRADOURIAN

世界を巡る支援活動が、いまの活動に繋がる原動力に

十河:くららさんと初めて出会ったのは、ファッションモデルとして25ansの誌面を飾っていただいたころ。ファッションを素敵に着こなすだけでなく、そのパーソナリティにも魅力が溢れていたのを覚えています。そこから20年が経ったいまも前進し続け、ポジティブなエネルギーを放っていらっしゃいます。まさに、女性たちが“こうありたい”というロールモデルですよね。

さまざまな分野でマルチにご活躍されているくららさんですが、まずは社会貢献という側面にフォーカスしてお話を伺えたらと思います。国連の食料支援機関「国連世界食糧計画(WFP)」のアンバサダーを務めていらっしゃった時期には、度々現地を訪れたと伺いました。

知花:2007年から14年間、活動を続けてきました。タンザニア、エチオピア、ザンビア、ウガンダ、マラウイなど、アフリカの国々を視察するなかで、現地の状況は私たちの想像を超えるものでした。道路やインフラ、水、時には住まいさえ十分ではなく、病院や学校も整っていない環境で、人々が暮らしていました。

十河:そのような状況の中で、現地で感じられた食べることの大切さや、抱えている問題について、印象に残っている出来事はありますか?

知花:各国で多様なプロジェクトが行われていましたが、私が特に心を寄せていたのが“学校給食プログラム”でした。普段は学校に行かず、家では労働力として見なされている子どもたちも、学校で給食を提供すると「1食食べられるなら学校に行っておいで」と親御さんが送り出してくれるんです。

子どもたちは学校でお腹いっぱい食べて、その日はきちんと授業を受けて、友達と遊んで帰っていく。そうした姿を見るたびに、こちらも元気をもらうような思いでした。

CEDRIC DIRADOURIAN

十河:以前、WFPにメディアとして支援をさせていただいたことがあり、その際のお話でとても印象に残っていることがあります。日本も戦後間もない時期には、WFPから支援を受けていたということでした。どの国にもさまざまな出来事が起こるなかで、特に食糧をめぐる国際的な支援の重要性を強く感じました。食をきっかけに学校へ通う機会が生まれるというのは、人が生きていくうえでの衣食住、その根幹に関わるものだと感じています。

知花:教育の場は、その国の将来を担う人材が育つ場所です。すぐに成果が見えるものではなく、何十年先の未来へ向けた種まきのようなものだと感じています。その一端に関わることができたことは、私にとって誇りに思える活動でした。学校という場がきちんと機能し、その役割が果たされていくことで、その国がより良い未来へ進んでいく。その一助となればという思いで、当時は取り組んでいました。

十河:WFPでの活動は、現在までの活動や原動力につながるきっかけにもなりましたか?

知花:一番大きかったのは、世界を旅させていただいたことです。世界にはさまざまな価値観があり、肌の色も言語も本当に多様です。日々暮らしている環境だけがすべてではなく、世界はもっと広く、大きいものなのだと実感しました。「それならば、もっと自由にやればいいんだ」と、インスピレーションを与えてくれた活動でもありました。

ライフステージの変化が問いかけた自分らしい生き方

十河:WFPでの活動を通して、さまざまな支援の形や発見があったのではないかと思います。そうした活動を続けられるなかでご結婚され、現在は6歳と4歳、ふたりのお嬢さんの母でもいらっしゃいます。さらに二級建築士の資格も取得され、新しい挑戦を重ねていらっしゃいますよね。

CEDRIC DIRADOURIAN

知花:長女の妊娠がわかってから、「建築士の勉強を始めたい」と思い立ちました。お腹にいるときから社会人入学という形で建築学科に入り、最短の2年で卒業しました。その間にふたりの子どもを妊娠、出産しています。

1人目が臨月のときには作品提出の締め切りに追われていましたし、2人目の妊娠中はつわりの時期と卒業制作が重なってしまって。二級建築士の試験は国家資格なので、卒業してからもまた大変でした。乳飲み子を抱えながら試験勉強をして、いろいろなものを抱えながらの日々でした。

十河:いままさに子育てに奮闘されている方や、これからご結婚される方にとっても、大きな励みになるお話だと思います。勇気をもらえる方も多いのではないでしょうか。

知花:「建築士の試験に合格しました」とSNSで報告すると、多くのメッセージをいただきました。同じような境遇にある女性からの声も、とても多かったです。

当時はちょうど「リスキリング」という言葉が脚光を浴びた時期でもあり、結果としてそれを体現するような形になりました。ただ、当時の私の気持ちとしては、妊娠中の空いた時間を、自分の学びの時間にしたいという思いで始めたこと。とはいえ、それがプレッシャーになることもありました。体にも暮らしにも負担がかかりますし、学びを続ける覚悟と、周囲にサポートをお願いする覚悟の両方が必要でした。家族や周囲と丁寧にコミュニケーションを重ねることも、とても大切だったと感じています。

CEDRIC DIRADOURIAN

十河:周囲の理解を得ていくことも大切ですし、実際のサポートも欠かせませんね。

知花:女性は体を通してライフステージの変化を実感していくので、妊娠や出産となると、これまでと同じようにキャリアを続けるのが難しくなることもあります。そうしたことを前提に、ペースを調整しながら進めていく必要があります。だからこそ、自分が本当にやりたいことは先にきちんと見据えておくことが大切だと感じています。無理のない範囲で逆算しながら、一つひとつ進めてきました。

十河:しっかりとプランを立ててこられたということですよね。勢いだけではなく、リアリティを持って進めていらっしゃるところがとても印象的です。理想を掲げることはできても、日々の暮らしがあるなかで、それをどのように実行していくのかという点は、簡単なことではありませんよね。

エディターの仕事も最近でこそ子育てをしながら続けている方が増えましたが、実際には締め切りに追われる場面も多く、家族のサポートや協力、そしてしっかりとした計画がなければ難しい部分もあると感じています。

くららさんは社会的な活動をされながらお子さんを育て、さらに表に立つお仕事も続けていらっしゃる。そのすべてを大切にされている姿は本当に素晴らしいと思います。いまは、女性が力を発揮できる社会になってきていますから。

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知花:WFPの活動のなかで、とあるマサイの女性と出会いました。マサイの村の学校で校長先生をされている、とても聡明な方です。彼女は若い頃、学校を辞めて親の決めた相手と結婚する予定だったそうです。しかし学校を辞めたくなくて、結婚前夜に隣村にある叔母の家へ逃げたというエピソードを教えてくれました。隣村といっても、アフリカでは何百キロも遠く離れた場所です。

マサイの文化や慣習について語るというよりも、女性として自分のやりたいことや進みたい方向を自由に選択できることは、本当に豊かなことなのだと実感しました。彼女の「これがやりたい」「これを選ぶのだ」という、人生に対する確固たる強い意志を感じたんです。私は妊娠して出産というステージを迎え、「自分は何をしているときに輝いていられるのか」と問い直していた時期もありました。そんなときに、彼女の言葉や表情、生き方を何度も思い返し、自分を大切にすることの意味を改めて感じていました。

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短歌という自分を見つめ直す時間

十河:その方との出会いが、その後のくららさんの生き方やライフスタイルにも影響を与えたのでしょうね。着物や短歌にも親しまれているとのことで、和の文化を継承していくという側面もお持ちだと感じております。歌集も出版されていますが、始められたきっかけは何だったのでしょうか。

知花:20代の頃、苦しく葛藤する時期が続いていて、自由になれる場所が欲しかったんです。新しい表現方法のひとつとして、たまたま現代歌人の著作を読んだことがきっかけでした。もともと与謝野晶子が大好きだったので、「こういう表現なら自分にもできるかもしれない」と思って始めました。

CEDRIC DIRADOURIAN

短歌は、自分を俯瞰して見つめるとてもよい手立てになるんです。少し冷静になれたりもして。例えば目の前の風景を見ている、そのときの自分の心を詠むのですが、五・七・五・七・七の言葉探しで一首できると、「自分はこんなふうに感じているんだ」と気づくことがあります。「実は少し苦しいのかもしれない」と、自分を客観的に見つめることができるんです。

十河:ただ短歌をつくるだけではなく、そこからご自身の新たな発見へと繋がっていく。その気づきからも、くららさんの感度の高さが伺えます。そこからさらに感性や考えが広がっていくのでしょうね。

知花:そもそもは、国連の活動を広めたいという思いもありました。一首の詩という形にすると、いろいろな方に伝わりやすいので。短歌は私にとって、とてもよいきっかけを与えてくれたものでもありますし、自分を救ってくれた存在でもあります。

祖父の故郷の景色を、島とともに未来へ繋ぐ

十河:国連での活動と短歌というのは、一見繋がらないようにも思えますが、実はそうした相互作用があったのですね。現在は子育てをされながら、引き続きさまざまな活動にも取り組まれていると思います。これからの目標や、挑戦してみたいことはありますか。

知花:まさにいま、実現に向けて動いているところなのですが、祖父が生まれ育った沖縄の慶留間島という小さな島があり、祖父の土地と生家を譲り受けたんです。それを一度再建し、島の人たちにも雇用を生み出せるような形で、「島ごとホテル」というテーマの一棟貸しヴィラをつくりたいと計画しています。

慶良間諸島は現在、インバウンドの需要もあり、外からのお客様も多く訪れています。一方で、島の景色や海中の環境など、豊かな自然を丁寧に守っていく必要もあります。島の人口も、このままでは減少していく一方です。島の方々の願いとしては、外から人が訪れ、島の賑わいを取り戻していくこと。その島本来の景色を未来につなげていく一端を、建築というかたちで支えられたらと思っています。いまは座間味村の村長さんに相談したり、資金調達に奔走しています。

十河:もう具体的な段階にまで進んでいるのですね。現在ではさまざまな出来事が資金調達によって実現する時代ですし、社会をより良くするための投資という考え方も広がっていますよね。

CEDRIC DIRADOURIAN

知花:建築は大きな資金が必要になる分野なので、小さな事業を立ち上げるのとはまた違った難しさがあります。おっしゃる通りで、今回のプロジェクトは島の人たちと一緒に経済活動を生み出していくことが主眼なんです。いまは雇用が少なく、島の産業もほとんどないような状態で。島の区長さんともお話ししながら、島の新しいブランディングの一つになればと考えています。人と人をつないでいきながら、きちんと対面し、島の方々とも一人ひとりお話しして関係を築いていく。丁寧なコミュニケーションの大切さを実感しています。

十河:建物だけでなく、その周囲のインフラや環境まで整えていくとなると、本当に一つの社会をつくるような取り組みですよね。くららさんは「社会をより良く」という思いに根ざして活動されていて、とても意義深いことだと感じます。日本の女性たちにとってのロールモデルとして、一歩一歩着実に歩んでいらっしゃいますね。こうして夢のお話を伺うと、私たちも「頑張ろう」という気持ちになります。お嬢さんたちがすくすくと成長されるなかで、母として歩まれている姿にも励まされます。

知花:時間のスパンで考えると、将来は子どもたちが受け継ぐこともあるかもしれませんね。かっこいいものをつくりたいと思っていますので、楽しみにしていただけたら嬉しいです。

CEDRIC DIRADOURIAN

MODEL:KURARA CHIBANA(TEN CARAT )
FACILITATOR:HIROMI SOGO
PHOTOGRAPH:CEDRIC DIRADOURIAN
VIDEOGRAPHER:KAZUNE YAHIKOZAWA(PARADRIFT INC.), RYO HAYAKAWA
VIDEO EDITOR:ERIKA RODRICKS
VIDEO PRODUCER:YUKI SATO
HAIR&MAKEUP:YUKIE SHIGEMI, TOMOMI SHIBUSAWA(BEAUTY DIRECTION)
TEXT :NANA SUZUKI
EDITOR:AYANO ISHIHARA
LOCATION:BELLUSTAR TOKYO, A Pan Pacific Hotel

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