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【50代からの生き方】江戸時代に学ぶ「多様な私」の育て方

  • 2026.1.30

「江戸の人々は、自分探しなどおこなわない。自分を次々とつくり出しながら、才能を分岐させていくのだ。自分を探すのではなく、創っていくのである。」
田中優子さんが共著で書かれた『江戸とアバター』(朝日新書)の一節です。

「自分探し」という言葉とともに、何者かにならねばと努力してきた私たち。就職、キャリア形成、結婚、出産、子育て……さまざまな節目を経て、いま、もう一度「これからの自分」と向き合う50代へ。
そんな私たちの生き方のヒントを、江戸時代の人びとから学べるかもしれません。
むしろ制限の多い時代に、いくつもの顔をもち、軽やかに生きた人々。
その背景にはどんなコミュニティがあったのか。
江戸文化研究家の田中優子さんに、江戸の人々に学ぶ〝多様な生き方〟について伺いました。

お話を伺ったのは・・・
イシス編集学校・学長
田中優子さん
1952年、横浜市生まれ。法政大学大学院博士課程(日本文学専攻)修了後、法政大学社会学部教授、学部長、法政大学総長を歴任。専門は日本近世文化・アジア比較文化。『江戸の想像力』(ちくま文庫)で芸術選奨文部大臣新人賞、『江戸百夢』(朝日新聞社、ちくま文庫)で芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞受賞。2005年、紫綬褒章受賞。朝日新聞書評委員、毎日新聞書評委員などを歴任。「サンデーモーニング」(TBS)のコメンテーターなども務める。江戸時代の価値観、視点、持続可能社会のシステムから、現代の問題に言及することも多い。現在は、松岡正剛氏が立ち上げたイシス編集学校の学長を務める。

制限があるからこそ、「たくさんの私」が生まれる

― ご著書『江戸とアバター』では、平賀源内をはじめ、武士でありながら発明家や戯作者など、多面的に生きた人びとが登場します。身分制度の厳しい時代にあっての自由な生き方に驚きました。

田中優子さん(以下、田中)むしろ「制限がきつかったから」なんです。武士は家制度の中でがんじがらめ。将軍や大名は一見裕福だけれど、彼らには彼らの重圧がある。中下級武士になればなおさらで、限られた収入で、家を支え、家名を守り、後継を確保しなければならなかったわけです。そんな彼らに「生きている実感」をくれるものは何か。それが狂歌や戯作といった表現だったと思うんです。狂歌を作ったり、戯作を書いたり、俳諧の座に加わったり─そうやって、ちょっとだけ家や役割の外に出ることで息をしていた。「たくさんの私」は、実は苦しさの中から生まれているんです。制限があるからこそ、ほんの少し外れることに救いを見出したんですね。

― その〝外れる場〟として、江戸時代には「連れん」と呼ばれるコミュニティがあったのですね。どんな場所だったのでしょうか?

田中身分に関係なく、同じ趣味や目的を持つ人が集まる、本当に軽やかな場だったようです。誰かが「狂歌やろうよ」と言えば、「じゃあ行く行く」と集まる。歩いて行ける距離の人たちが、湯屋帰りにふらりと寄って句を出し合う。会則も会費もなく、いやになったらやめていい(笑)。でも不思議と、そんな〝ゆるさ〟が創造を呼び起こすんです。俳諧の座では、誰かの五・七・五に、別の人が七・七をつなぐ。相手の感性を受け取り、少しだけ自分をずらして応じる。そのリズムの中で、固定された「自分」ではなく、「今ここで関わる私」が生まれてくるんです。

― 目的よりも、やりとりそのものが中心なんですね。

田中 そう。だから面白いし、続く。江戸の出版社がそのやりとりを本にしたのは後の話で、本人たちは出版なんて考えてもいなかった。自分たちが「面白がるため」にやっていたんです。現代の私たちは「成果を出す」ことを目的にしがちだけど、江戸の人たちは「楽しむ」ことの中にこそ生きる力を見つけていたんじゃないかしら。

― 「ないからできない」じゃなくて、「3人集まればそれで連になる」って思えますね。

田中 そう、それだけのことなんですよ。目的は読書でも手芸でもなんでもいい。始めてみたら、そこから別のことがスピンアウトしていくかもしれない。狂歌連から咄はなしの会が生まれ、それが落語につながっていったように。

「全身全霊」の生き方は、ほんの一時代の錯覚

― 私たちは長い間、「一つの会社で」「一つの役割で」生きるのが正しいと教えられてきました。でも今、それが崩れて迷う人も多いです。

田中 「一つの場所にいれば安心」なんていう時代の方が特殊なんですよ。それって戦後の一時期だけ。それを「人間の生き方の標準」みたいに思いこんでしまった。江戸の人々は、もともと安泰な場所なんて持っていません。だから、仕事を掛け持ちし、祭りに関わり、句会に出入りし、複数の場を行き来して生きていた。一つの世界で閉じていないから、いつでも「別の私」に出会えるんです。

「たくさんの私」に気づくと、人に優しくなれる

― 先生の「たくさんの私」という考え方、とても印象的です。

田中 私も昔は「自分を固めなきゃ」と思ってたんですよ。近代的自我って言葉がもてはやされた時代ですから。でも、そんな時に小説家の石川淳が江戸の発想法について書いたエッセイに出合った。その中で江戸の人たちは、「私はこれ」と決めつけていなかったんですね。それがすごく大きな衝撃となって、江戸文化を研究するようになったんです。

― 「自分探し」というより、「自分はそもそもない」と。

田中 そうなんです。「自分」という完成品は、最初からどこにもない。私たちは、この世界に生まれて、家族や本、仕事、人との関わりなどからいろんなものを受け取り、それを子どもの頃からずっと「編集」してきている。
その積み重ねが、今ここにいる「私」に見えているだけです。それを、社会や組織の側が「固めなさい」と言う。「あなたは何者として生きるのか」「夢は何か」「目標は何か」。それは、扱いやすい個体をつくるためには都合がいいかもしれない。でも、人間の実態とは違いますよね。

― 本来、全ての人が頭の中を「編集」する力を持っていると。そして、先生が務めるイシス編集学校ではその稽古をしていますね。

田中 そうです。最初のテーマ稽古のひとつがまさに「たくさんの私」なんです。イシス編集学校では「私は〜」を30個以上書いてもらう稽古をします。例えば、「私は母親」「私は仕事をしている」「私は長女である」……次々に出していくと、途中でタネが尽きてくる。そこから先は、今までの「私」の枠からはみ出さないと書けない。すると、主語より「述語」、つまり何を感じ、何をしているかのほうが大事になってくる。やってみると、「あ、こんなこと考えていたんだ」「こういう私もいたんだ」と、自分で驚く言葉が出てくる。
どこから出てきたかといえば、自分の頭の中です。つまり、ふだん「これが私」と信じているのは、たくさんある可能性のごく一部に過ぎないとわかる。それがわかると、他人にも「たくさんの私」がいると信じられるようになるんです。仕事場でも、「あの人はこういう人だ」で終わらず、「別の私も持っているはず」と、柔軟に思えるようになるんです。

つかず離れずの距離感と、「結論を出さない」技術

― コロナ禍以降、人との関わり方にぎこちなさが生まれ、「他者が何を考えているかわからない」と身構えてしまうことも増えました。

田中 江戸の人はそんなに構えないですね。道ですれ違って「今日は寒いね」から始める。長屋では井戸、風呂屋、道端、縁側などの「半分は外」の空間で、自然に言葉が交わされていました。誰も「人間関係をつくろう」と力まない。
その代わり、よく観察していたのだと思います。相手のちょっとした言葉や表情から、「この人は今こう感じているのかな」と想像してみる。特に、俳諧の連句は、その観察と想像ができなければ続かない遊び。五・七・五に対して、相手の視点にふっと乗り移って七・七をつける。その繊細な間合いが、人間関係の感覚を育てていたんですね。
私は「つかず離れず」という言葉が好きです。近づきすぎると絡まりすぎて動けなくなるし、離れすぎると関係が切れてしまう。その中間のゆらぎを保つことが、創造的な空間を生むと思うんです。

50代は「自分を編集し直す」タイミング

― みんな本当は、何者かになる以前に、それぞれ創造的なんですよね。

田中 そう。特別な作家じゃなくていい。自分の仕事や生活の中で、ちょっと別のやり方を試してみるだけでも、人は十分クリエイティブなんです。

― 先生のお話を聞いていると、50代からこそ、もう一度「自分を編集し直す」タイミングなのだと感じます。

田中 本当に、そう思います。私自身、73歳の今もまだ自分を編集していますから(笑)。「これが私」と決めてしまうと、そこで世界が狭くなる。江戸のクリエイターたちは、厳しい制限の中でも、次々と「次の私」を立ち上げていった。あちこちの連に顔を出し、役割や名前を変えながら生きていた。今の私たちも同じように、いくつもの場を行き来しながら、自分をもう一度ひらいていけばいい。家と職場だけでなく、本の会でも、ご近所の小さな集まりでも、オンラインの学び場でもいい。金銭や肩書から少し離れたところで、自分を編集し直してみる。その過程そのものが、生きることだと、私は思うんです。

江戸から学ぶ、50代からの多様な生き方のヒント

1. 「何者かにならなきゃ」をやめる。
たくさんの私がいていいし、途中で変わっていい。矛盾や揺れをそのまま抱えながら生きるのが人間

2. 小さな「連」をいくつも持つ。
読書会でも、手仕事の会でもいい。お金や評価が目的でない場に身を置く。なければ三人でも始めてみる。

3. 小さな「連」をいくつも持つ。
「今日寒いね」から始めて、相手の言葉や表情をよく見る。
江戸の長屋や縁側のような〝ほどよい距離感〟が、創造の種になる。

イシス編集学校のこと

田中先生が学長を務めるイシス編集学校はインターネット上で、頭の中を「編集」する力を学べる学校。
ここでいう「編集」とは、自分で考え、解釈し表現できる力のこと。
年齢問わず、さまざまな人が学ぶ、江戸の「連」のように、学びながらつながる場でもあります。

edit & text by
Takeda Masaki
1975 年埼玉県・川越生まれ。編集者、コピーライター。いくつかの暮らしまわりの雑誌編集部をedit & text by Takeda Masaki 経て独立。mineO-sha主宰。www.mineo-sha.com

edit & text: Masaki Takeda[mineO-sha] photograph: Shin Yamane
 
大人のおしゃれ手帖2026年1月号より抜粋
※画像・文章の無断転載はご遠慮ください

この記事を書いた人

大人のおしゃれ手帖編集部

大人のおしゃれ手帖編集部

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