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【インタビュー】風間サチコが“四畳半”から見通す、過去と現在

  • 2026.10.19
© SACHIKO KAZAMA, COURTESY OF THE ARTIST AND MUJIN-TO PRODUCTION. PHOTO: KEI MIYAJIMA
風間サチコ、東京都内にあるアトリエ兼住居にて。 Photo: Ryo Midorikawa

いま、版画と聞くと、何か古びたイメージがある人も多いかもしれない。それはそのはず、版画はある意味、近代を象徴するメディアであった。特に木版は安価で汎用性があり、政治、教育、近代運動と、多方面で使用されてきた。しかし、一般解よりも個別解が求められ、絶対的な特別感のあるものが高値をつけられる現代。版画界は縮小傾向にあり、大学の版画学科でさえグラフィックアートと専攻名を変えていたりする。しかし、そのなかで脚光を浴びているのが風間サチコの版画だ。

《第一次幻惑大戦》(2017) 横浜美術館蔵 © SACHIKO KAZAMA, COURTESY OF THE ARTIST AND MUJIN-TO PRODUCTION. PHOTO: KEI MIYAJIMA

彼女は、版画なのにエディションをつくらない。ときには、版木自体を版画と組み合わせて、作品のなかに閉じ込めてしまう。かつ、分業体制をとることなく、すべて一人でこなしていく。版画の常識をことごとく覆す彼女の作品は、東京都現代美術館や文化庁、タグチアートコレクションだけでなく、ニューヨーク近代美術館(MoMA)や香港のM+、オーストラリアのクイーンズランド州立美術館など、国内外で収蔵されてきた。

そんな風雲児の個展が、現在、青森県の弘前れんが倉庫美術館で開催中だ。この展覧会は1990年代の初期作から始まって、多くの過去の代表作が見られるほか、新作がめじろ押し。油彩画、漫画、壁画、インスタレーションなど、ジャンルを横断した彼女の挑戦が紹介されている。今回、数々の作品を生み出してきた“風間ランド”と呼ばれる自宅兼アトリエにお邪魔して、話を伺った。

「私、生まれてこのかた、この町を離れたことがないのよ。家具もほとんど買ったことがないしね」

1972年に生まれ、吉祥寺の武蔵野美術学園に通い、独立してアーティストになってからも彼女はずっと実家の徒歩圏内に住み続けているという。現在の家は、町の骨格を成すY字路のなかに立ち、三角の小さな庭つきの木造2階建て一軒家。1階はキッチンと水回り、そして縁側に沿って四畳半の居間と6畳のアトリエが並び、先代が残した家具の合間を縫って、玄関先から連綿と“風間コレクション”がひしめいている。戦前の絵はがき、古道具、骨董、石、人形、漫画、本、看板、過去の作品……。一見バラバラな大量のモノたちが共存する空間を、風間は「盆景」にたとえて説明する。

「盆景って知ってますか? 小さなお盆の上に石や砂や苔なんかを置いて、世界を再現する遊びです。その道具を種類ごとに引き出しにしまう小さな箪笥(たんす)があるんです。その箪笥と私の家は近いと思っていて、自分の世界をつくるパーツが、自分の家にパーツごとに収まっているような感じです」

言い換えれば、住まい兼アトリエは、風間の世界を構成する素材を収めた箪笥であり、展覧会は、そこから取り出したものを並べてつくる「盆景」なのだろう。

「風間サチコ:方丈ルームの1000里眼」の展示風景より、左は《風雲13号地》(2005) 文化庁蔵、右は《噫!怒涛の閉塞艦》(2012) 東京都現代美術館蔵。 © SACHIKO KAZAMA, COURTESY OF THE ARTIST AND MUJIN-TO PRODUCTION. PHOTO: RYO NARITA
壁の作品は左から《決闘!硫黄島 (近代五種麿参上)》(2017) 個人蔵。《ディスリンピック2680》(2018)作家蔵(A.P.)。手前の作品は、《漫画「ディスリンピック2680」》(2018)と、《マンガ[能]合浦》(2026)作家蔵。 © SACHIKO KAZAMA, COURTESY OF THE ARTIST AND MUJIN-TO PRODUCTION. PHOTO: RYO NARITA

個展のタイトルは「方丈ルームの1000里眼」。鴨長明が四畳半ほどの方丈庵で普遍的な問いに思索をめぐらす姿に、風間の自宅の居間から社会の愚かしさや歴史の不条理を1000里先まで見通したいという自身のスタンスを重ね合わせている。しかし実際に彼女が弘前で直面したのは、かつてシードルの醸造所だった建物。天井高が最大約8メートルにもおよぶ圧倒的なスケールの展示空間だった。

設営初日、展示壁が「スカスカ」に見えた瞬間、風間は、弘前の会場で方丈の空間と同じことをやってもダメだと悟る。アトリエの引き出しに蓄えた素材をそのまま持ち込んでも空間は埋まらないし、埋める発想自体が違う、と。そこで、展覧会を企画した同館館長の木村絵理子が提案したのが、壁画の制作だった。翌朝、風間はA4用紙1枚に2つの下絵を描き、そのまま丸一日かけて壁2面を描き上げた。

「描き始めの30分ぐらい、怖くて怖くて。高所恐怖症なので、ローリングタワーに乗りながらも、自己暗示をかけながら、なんとか。でも、この壁画を加えたことで、展覧会のテーマがわかりやすくなったと思いますし、うっかりやりたいって思いついたこと全部を挑戦させてもらって、自分の可能性がまだ残ってるという実感が湧きました」

左から《McColoniald(ハワイ的な)》《McColoniald (新大陸発見)》(2点とも2003)作家蔵。これまでに制作した作品を展示した壁面に、風間は本展のためにドローイングを描いた。 © SACHIKO KAZAMA, COURTESY OF THE ARTIST AND MUJIN-TO PRODUCTION. PHOTO: RYO NARITA

右の壁には、植民地下のメラネシアで生まれ、西洋の物資や富の到来を願った宗教的・社会的運動「カーゴカルト」をモチーフに資本主義の歴史を描き、左の壁にはワーグナーのオペラ『ローエングリン』の騎士が白鳥に引かれた船で登場するシーンと、青森の浅所(あさどころ)海岸に伝わる白鳥伝説を重ね合わせた。また、白鳥のモチーフは新作の油彩画にも取り入れて、こちらには、以前に弘前の古書店で出合った幻想小説『トリビュラ・ボノメ』とイェイツの詩「クール湖の野生の白鳥」に出てくる白鳥を重ねていった。現在では、パソコンやスマホで複数のイメージを「レイヤー」として重ねることは身近なものになった。だが、その発想は、異なる版を重ねて画面をつくる版画の原理にも通じている。

また同時に、アトリエという引き出しに収まっていた素材をスケールを拡大して翻訳し、方丈の密度を巨大な舞台の上で一気に開け放つというやり方は、精緻な下絵をいったんパーツに分解して拡大し、再統合して大きなものに仕上げるという、風間の巨大版画《ディスリンピック2680》で取られた手法も思わせる。

展示風景から、《私の方丈ルーム》(部分)(2026)。 © SACHIKO KAZAMA, COURTESY OF THE ARTIST AND MUJIN-TO PRODUCTION. PHOTO: RYO NARITA
左から《交霊術》《蓋然論者の宴会》《地震活用法に関するトリビュラ・ボノメ博士の動機》《感傷的なる女性論客》(すべて2026) 作家蔵。弘前れんが倉庫美術館での個展「風間サチコ:方丈ルームの1000里眼」の展示風景から。 © SACHIKO KAZAMA, COURTESY OF THE ARTIST AND MUJIN-TO PRODUCTION. PHOTO: RYO NARITA

“私は彫ることがもっとも好きですし、私は版画家になりたいんじゃなくて、版画という技法でひとつの作品を完成させたいんです”

風間の創作の原点は、幼少期から8年ほど通った近所の美術教室「アトリエ・ポニー」にある。絵画一家に生まれた小堀鞆雄は、もじゃもじゃの髪にトンボ眼鏡、いつもジーンズ姿というヒッピー風の先生だった。古びた日本家屋の画室で、入ると正面壁に「本日の画題」が貼ってあった。カレンダーの裏に書かれたその言葉は「新しい料理」「変な夢」など先生の思いつき。子どもたちはお題を確認すると好き勝手に座って無言で絵を描き始め、描いた絵について先生と軽く話してから帰る。絵画の指導はいっさいない美術教室だったが、「先生は子どもたちに『自由と平和』を教えたかったのだ」と、風間は振り返る。

版画という異なる媒体へと向かったのは高校時代のことだ。萩原朔太郎や北原白秋の詩集に出合い、その挿絵を目にしたことが転機となったという。

「創作版画は彫刻刀に心象風景を託しています。自分の心の内にある叙情や感情みたいなものを、筆ではなくて、版という媒体をとおしてリリカルに描き出します。そのことにすごく感動しました。木版画は、彫刻刀で削ることで情報が凝縮されて、色やフォルムに心情を託す精度が高まります。制作工程のなかでも、私は彫ることがもっとも好きですし、私は版画家になりたいんじゃなくて、版画という技法でひとつの作品を完成させたいんです」

こう聞くと、なぜ風間が今回の個展でさまざまなジャンルに手を伸ばしていったのか腑に落ちる。これまで風間は政治や社会にかかわる主題を取り扱いながら、過去と現在をひとつの画面に重ね、普遍的な問題にモノクロで取り組んできた。

例えば、横浜美術館に収蔵されている大作《第一次幻惑大戦》は江戸時代の架空のヒーロー「妖術使い児雷也」が手下のガマを従えて「サボりガス」でサラリーマンたちを攻撃し、対するサラリーマンたちは電卓・年金手帳・銀行通帳を盾に防御する。中学生たちは時間割の上で待機し、屋上では投光器で闇の誘惑を撃退しようとしている。

一方、本展は、風間のカラフルな世界を初披露する。特に新作の油絵の手応えについて尋ねると、彼女の作品の核心が見えるような気がした。

《ありがとう、我が愛する白鳥よ!》(2026)作家蔵 © SACHIKO KAZAMA, COURTESY OF THE ARTIST AND MUJIN-TO PRODUCTION. PHOTO: KEI MIYAJIMA
《白鳥の聲が聞こえる》(2026)作家蔵 © SACHIKO KAZAMA, COURTESY OF THE ARTIST AND MUJIN-TO PRODUCTION. PHOTO: KEI MIYAJIMA

「油絵の発色のよさって、なんだかドキッとしませんか? すごく色味がきれいで。一色をのせるだけで絵全体に大きな影響をおよぼします。私は普段、白黒で表現することでその時代の“色”をなくしています。一瞬、どの時代かわからなくなるような、そういうトリックを自分が仕かけてきたことに自覚的になりましたし、今回はカンヴァスに向かう緊張をひしひしと感じながら、色をのせるたび、真剣勝負でした」

新作の油彩で向き合ったのは、一色だけで画面全体を変える、色そのものの力。版画でも複数つくらず、1枚だけに入魂する風間の真摯さが、色に託されている。また、主題を声高に告発するのではなく、「喜劇として見る」視点が活動に通底しているという。

「私は作品をつくるとき、自分が生きている社会への違和感を大事にしていますが、そこには、時代や、フィクションとノンフィクションを超えた問題が潜んでいます。そしてそこに、笑いの要素を組み込むことも大事だと思っています」

荒唐無稽な「戦争画」は、時代の「変さ」を笑いと緊張感のなかに凝縮し、笑えるのに、笑えない。滑稽なのに、痛い。“引き出し型”のアトリエで積み重ねてきた収集と思索、そして、版というメディアの重ね合わせの技法で生み出されてきたこの絶妙な視座と距離感は、社会に対してどう向き合えばいいかわからない時代の空気と深く響き合う。風間への注目は、この時代を生き抜くための「視点の提案」として機能しているのかもしれない。

SACHIKO KAZAMA
風間サチコ: 1972年、東京都生まれ。武蔵野美術学園版画研究科修了。黒一色の木版画を中心に、多様なモチーフを重ね、日本社会の矛盾や違和感をユーモアと鋭い批評性で描く。主な個展に「Magic Mountain」(東京都現代美術館、2021)など。シドニー・ビエンナーレ、横浜トリエンナーレ、光州ビエンナーレにも参加。

~11/15、弘前れんが倉庫美術館
風間サチコの東北初の個展。大型の木版画に加え、弘前で出合った幻想小説や青森の風景、数千羽の白鳥の羽音によって敵軍が退いたという浅所海岸の伝説などに着想した新作の油彩画を初公開する。歴史や文学、土地の記憶を重ね、日常に潜む違和感をユーモアと批評性で照らし出す。《ディスリンピック2680》など代表作も一堂に。

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