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市川團十郎さん、市川新之助さん親子が語る映画『襲名』|名跡を受け継ぐまでの3年超に密着

  • 2026.9.18
CEDRIC DIRADOURIAN

十三代目 市川團十郎白猿と八代目 市川新之助。歌舞伎界の大名跡を父が、息子がその名跡を受け継ぐまでの時間を、三池崇史監督がカメラに収めたドキュメンタリー映画『襲名』。2026年9月25日(金)より全国公開されます。

ドキュメンタリー映画『襲名』 2026年9月25日(金)全国ロードショー ©2026 K2 Pictures・3Top

市川團十郎は、江戸歌舞伎の開祖より受け継がれてきた歌舞伎界随一の大名跡です。2022年11月、十一代目市川海老蔵が「十三代目市川團十郎白猿」を襲名、その長男・堀越勸玄が「八代目市川新之助」で初舞台を踏み、大きな話題を呼びました。

もともと、2020年5月の襲名決定の発表から襲名披露公演までは1年あまりの予定でしたが、コロナ禍によって襲名披露公演は2年あまりの延期を余儀なくされ、映画の記録も3年数カ月にわたるものとなりました。

襲名とは華やかな舞台だけではありません。ひとつの名前を背負うにあたっての先人への思い、迷いや葛藤、そして自分自身と向き合う時間があります。受け継ぐものを守りながら、何を変えていくのか。

團十郎さんと新之助さん、それぞれの言葉で、襲名という大きな節目のその先にあるもの、親から子へ、そして次の時代へと続いていく時間を語っていただきました。

コロナを乗り越えて─三池監督の愛を感じる作品に

CEDRIC DIRADOURIAN

─襲名の経過を追った、大変珍しい映画です。また、コロナ禍という事態を挟んでの貴重な記録にもなりました。映画をご覧になって、改めてどんなことを感じましたか?

新之助 映画を見る前は、どのような感じなのだろうと思っていたのですが、すごく感動する場面が多々ありましたし、新之助としての初舞台での成長を感じるところもありました。この映画を見ることができてよかったと思いました。

團十郎 歌舞伎の記録の残し方はいろいろありますが、写真集やDVDなどではなく、媒体として初めて映画という形でやってみようということで始まりました。

襲名はコロナ禍で2年半延びてしまい、3年以上かかりましたが、特に倅の場合はその間で随分と変わりました。襲名が決まった当初の彼と、襲名興行の終盤の彼には、成長を感じます。

コロナの時期はいろいろなことで苦しめられましたが、記録として残すという意味では非常によかったのではないかと、客観的には思います。

『助六由縁江戸桜(通称:助六)』より。團十郎さん演じる紫の鉢巻姿の花川戸助六が新吉原・仲之町の花道から颯爽と登場する場面。 ©2026 K2 Pictures・3Top

私自身は、自分の芝居や舞台を見るのはあまり得意ではないです。日々進化しているつもりでいるけど、あのときの自分はまだ海老蔵から團十郎になったばかり。『助六』はついこの間もやりましたが、3年前といまとでは反省点が多い。自分の至らなさを強く感じました。

─映画では『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』『外郎売(ういろううり)』『勧進帳(かんじんちょう)』という歌舞伎十八番が大きな軸になっています。これは、團十郎さんのご提案ですか?

團十郎 いえ。私はもう何年も三池崇史監督とは映画、舞台でもお仕事させていただいていますが、特に映画に関しては、監督のものという認識です。舞台はある意味、役者のものですが、映画については監督がなさりたいようにしていただき、私からは何も注文しませんでした。

三池さんは、ありとあらゆる資料を調べて、歌舞伎と團十郎の家のことや、さまざまなものを血眼になって探してくれました。その結果だと思います。そこには愛を感じましたね。何も言わないで正解だったと思います。

─新之助さん、映画には4年前(当時9歳)に演じた『外郎売』の映像が出てきますが、改めてどう感じますか?

『外郎売』の見せ場を演じる新之助さん。有名な早口の台詞へと続く場面で、巧みな口上を披露した。 ©2026 K2 Pictures・3Top

新之助 いまと比べると至らないところもあるんですけど、あのときは自分なりに必死だったので、見返しても別に嫌な感じはあまりしなかったです。でも、ちょっと恥ずかしいとは思います。

─いまなら、もっとうまくできると思う部分もありますか?

新之助 いや、分からないです。できるのか、できないのか……。でも、あの状況で『外郎売』をやるからこそ、普通より良く見えるのかなと思います。

名跡を受け継ぎ約4年。團十郎さんが考える“本当の新しさ”

CEDRIC DIRADOURIAN

─團十郎さんは名前を受け継ぐことについて、以前から「重さ」を感じていらっしゃったそうですね。襲名から4年ほど経ったいま、その名前の捉え方に変化はありますか?

團十郎 團十郎という名跡は、やはり重いです。だからといって、その重さから逃げることはできない。その呪縛を全部、自分自身で了承して昇華して生きるということだと思っています。

皆さまから見て、新しいことに挑戦してきたのが“海老蔵”の時代だったかと思いますが、團十郎という名前になると、“新しい”という意味はいままでとはイコールではない。

日本人が大事に培ってきて、いま我々が忘れ去ってしまったことを私自身が見つけ出し、感じ直して、それを古典として、なるべく変えずに体現していくのが新しいことだと考えるようになってきました。

奇を衒った面白いことが新しいとも言えない。今日新しいことは、明日にはもう古いのです。ですから、古き良きもののなかに新しいものがある、と切り替えていきたいと思っています。

─歌舞伎界における、ご自身の役割についてはどう考えていますか?

團十郎 歌舞伎界には、変わらない良さも悪さもあります。そういう場にいる團十郎としての役目があるとしたら何なのか。そこは総合的に考えています。

もちろん、自分の舞台や芝居が一番大事でしょうけど、若いときに、父や(中村)勘三郎さん、(坂東)三津五郎さんたちを見てきました。こんなにも才能豊かで、歌舞伎を愛している人たちが、体を酷使して歌舞伎を愛したがゆえに、この世を旅立つ姿を後輩として見たときに、言葉にならない悔しさがあった。

だから、私は休演日というものを提案しました。理不尽なものや、本当に改正しなくてはいけないことを実行する立場である、と認識しています。

だからといって、変えることだけが善ではない。変えないことの鈍感力を持ちつつ、鋭利な“変える”という刃物も持つ。その両方が必要だと思います。

─映画では、歌舞伎の始まりを“傾き者(かぶきもの)”をキーワードに、“パンクなストリートダンス”と紹介しています。そうしたスピリットは團十郎さんもお持ちですか?

團十郎 傾く精神は絶対失われてはいけないけど、実は九代目市川團十郎あたりで一回、制御されています。九代目は天覧歌舞伎などで歌舞伎の敷居を良くも悪くも、ぐっと上げた人物。それで歌舞伎が伝統文化として残っていると言っても過言ではないですが、では“傾くパッション”を保ち続けているかというと、そうでもない。

極端な例えになりますが、いまはYouTuberやTikTokerの方が傾いちゃっている(笑)。
われわれの場合は、傾くというものを根底にスタートしながら、文化、伝統になっています。傾くことは必要ではあるけど、現代の歌舞伎においては、情熱の置きどころはよく考えなければならないと思います。

─新之助さんは、“傾くということについてどのように考えますか?

新之助 (團十郎さんに)傾くとは?

團十郎 常軌を逸して、人とは違ったことをする。若いときのパパもね(笑)。でも、いまの時代には合わないから。傍若無人、唯我独尊、そんな感じ。

新之助 (そういう面も)あるかもしれないけど……。正直なところ、いまはよく分からないです。

時代を超えた『勧進帳』の親子共演

『勧進帳』の終盤、「延年の舞」の場面。團十郎さん演じる弁慶が舞によって別れと旅立ちを表現する。 ©2026 K2 Pictures・3Top

─映画のクライマックスに登場する『勧進帳』は、十一代目、十二代目、十三代目という團十郎が時代を越えて共演しているようにも見えます。新之助さんは、あの場面をどうご覧になりましたか?

新之助 時代の移り変わりと、團十郎が三代続いて継承されるということが重なって見える演出があって、僕はあのシーンがすごく好きでした。

團十郎 團十郎家の長い歴史のなかで、初代市川團十郎は千葉の成田近郊から江戸に出てきて、元禄で荒事を創始しました。息子の九藏さんが二代目を継承し、「江戸の氏神」と称賛されたのが、市川團十郎家のある意味でのスタートです。

意外かもしれませんが、二代目と三代目は血縁ではなかったし、ほかも実は血縁ではなかったのです。七代目から九代目は純粋な親子ではないけど血のつながりがある。

父から子へ、親子3代がつながったという点では、我々が團十郎家のなかでは一番長く続いたということになります。そして、4人目の新之助も出てきました。

映画では、祖父(十一代目)、父(十二代目)、私と3人それぞれの舞台の映像を組み合わせることによって、まるで共演しているように見えるシーンがあります。それができたということは、もう1人加わってもできるかも、と思いますね。

これからどんどん技術も進んでいきますから、新之助も加えて、ぜひ4人でお客さまを楽しませることも考えながら、伝統と継承を考えてほしいと思います。

私にとって、父も祖父も憧れです。父とは共演していましたけど、私が生まれる前に亡くなった祖父と映像で共演させていただけたことは感慨深いものがありました。 親族に敬語を使うのはおかしいですが、我々の世界はそうなっていますね。

─十一代目と十二代目が現実には叶えられなかった『勧進帳』での親子共演を果たしているようにも見えます。私は、團十郎さんがお父様に素敵な親孝行をされたな、と思いました。

團十郎 父が生きていれば、親孝行でしょうね。父はもっと祖父と一緒に親子の時間を過ごして、いろんなことを学びながら十二代目團十郎をつくっていくはずだったのが、父が18、19歳の時に祖父が亡くなってしまった。

教えてもらったものなんて片手で収まるぐらいの状況で、一所懸命踏ん張ってきた役者が父、十二代目市川團十郎なのです。

我々が演じた『勧進帳』の親子共演なんて、たぶん父の頭の中には全くなかったと思います。父が肉眼でこれを見ていたら本当の親孝行だったでしょうけど、一方で父が生きていたら、こういうことにはならなかったとも思います。

過酷な修行の先にある、亡き父と妻への思い

©2026 K2 Pictures・3Top

─もう一つ印象的だったのが、成田山新勝寺での修行の場面です。お父さまの御位牌と向き合う姿がありました。

團十郎 父と妻・麻央の2つの位牌ですね。成田山新勝寺の修行というのは、成田屋の歴史のなかでも、もしかすると私か七代目が一番やっているかと思います。

専門的なことを数カ月かけて学んで、その後に十八道、護摩行というものがある。普通なら何十年もかかるようなカリキュラムを、私は分けてやらせていただき、大峯山にも修行に行きました。

どうしてやるのかというと、父の影響もあるし、成田山新勝寺とのご縁もある。私自身、自分を見つめ直したい、自分を研ぎ澄まして高めたいという思いが強い若者だったので、よく行っていました。

護摩行というのは不眠不休に近いのです。8時間ぐらいのものを1日3回。3日間、4日間続けます。

寝ずにやっていると、心が折れそうになったり、いろんな邪念や睡眠欲や食欲などで自分に負けそうになったりするときも度々出てくる。

ですが、そばで父や麻央の位牌が目に入ると立ち直る。麻央の「こうあってほしい」という思い、父が見守ってくれているという感覚。そういったものが位牌を通して私に刺激を与えていたのではないでしょうか。父や麻央の位牌を見ながらでないと進めない苦難の道が、修行中にはあると思います。

─いずれは新之助さんも、その修行を?

團十郎 大変過ぎるので、やらなくてもいいと思いますよ。やりたいならやればいい。大峯山の修行は崖から落ちるような動きもします。私は幸い、運動神経がいいですけど……(新之助さんを見ながら)この人、どうなのかな(笑)。

新之助 怖いけど、でも経験はしてみたいです。でも、本当に相当つらそう……。

團十郎 いろいろあるんだよ。まず大峯山に行くのは大事だし、成田山新勝寺での修行もつらくて。朝3時ぐらいに起きて、滝に当たるんだ。

新之助 寒いなかで?

團十郎 そう。一番つらいのは数珠をもって……。人間の煩悩は108あるけど、それを数えるために数珠の珠も108個あるんだ。知ってた?

新之助 知らなかった。

團十郎 そういうものなのです。それを1万800回、そして五体投地[*1]をします。何のためにやるのかは、私も途中から分かってきました。そういうことをやるのはいいかもしれないですね。

[*1]五体投地(ごたいとうち)=額、両肘、両膝と5つの身体の部位を地面に投げ伏し、仏に敬意を表す、仏教における最も丁寧な礼拝方法。

6歳の新之助さんが舞台を背負った『外郎売』

─映画の話に戻りますが、2019年7月に襲名前の新之助さん(当時6歳)が演じた『外郎売』も収められています。

團十郎 あれはよかったです。私は襲名披露の『外郎売』よりも、こちらの映像が泣けました。私が歌舞伎座の『星合世十三團(ほしあわせじゅうさんだん)』で十三役やった月で、喉に病原菌が付いて声が出なくなって休演してしまった。

そのときに、いまでは考えられないですけど、彼が自分で「一人でやるよ」「頑張るよ」と言って、舞台に立った。私は入院していて歌舞伎座の状態を把握できなかった3日間、この子がすごく頑張った。

本能的に危機を感じている生物の動きをしている姿を映像で見て、「ああ、無理させたな」と涙が止まらなかった。(新之助さんを見ながら)いまなら「やる」と言わなそう。

新之助 無理でしょ。

團十郎 ほら(笑)。あのときだからできたんのでしょうね。

─襲名から約4年。新しいお名前と向き合うなかで、これからの目標も見えてきましたか?

CEDRIC DIRADOURIAN

新之助 2、3年前は本当に新之助という名前に慣れなかったですけど、最近慣れてきました。

目標としては、やはり名跡を継いだことで、さらに歌舞伎十八番にも挑戦させていただきたいと思う機会が、昔より増えた気がします。

團十郎 團十郎として何をするべきなのかを考えると、歌舞伎を日本の文化として残していくことも大事ですし、その点では『襲名』というドキュメンタリー映画が、今回ヴェネチア国際映画祭に正式出品されたことにも意味があります。

日本人は、争わないなかで豊かに暮らす技術を持っている民族であると思っています。争いのない世界を創っていく一つの提案を、日本人からできるようでありたい。歌舞伎もそういう文化の一つとして、諸外国で受け入れてくださるようなアプローチを、もう一度模索し始めようかと思う、昨今の團十郎です。

【インタビューを終えて】

幼い頃は祖父母と、その後は両親と一緒に、私は歌舞伎を楽しみながら育ってきました。そんな私にとって、実際に劇場で目にしてきた成田屋の親子同時襲名をもう一度振り返ることができたのが、映画『襲名』でした。

取材で印象に残ったのは、何よりも親子二人の自然な距離感です。

写真撮影時は少し緊張した様子も見せていた新之助さんですが、お父さまと並ぶと、表情豊かになります。2人のやりとりは飾り気のない自然体。自由にのびのびと話す新之助さんを見ていると、普段からこんなふうに会話をしているのだろうな、と想像してしまいます。

舞台では堂々とした存在感を放つ一方、取材中の受け答えには13歳の少年らしさがにじむ新之助さん。かつて、「一人でやる」と歌舞伎座の大舞台に立った無邪気な勇気の持ち主は、経験を重ねたいまは「無理でしょ」と笑う。その変化もまた、成長なのだと思います。

そんなご子息を大らかに繊細に見守る團十郎さん。「映画は監督のもの」と、三池崇史監督に委ねたというお話からも、相手を信頼して任せる度量の大きさを感じました。

「古き良きもののなかに新しいものがある」という團十郎さんの言葉も印象に残っています。團十郎という名前を背負いながら、何を守り、何を変えていくのか。その模索は、いまも続いています。

『勧進帳』の場面について話しながら、「父が生きていればね」と口にする團十郎さんを前に、軽々しく言葉を重ねることができませんでした。ですが、その思いはきっとお父さまにも届いているのではないか。僭越ながら、そんなふうに感じています。

私事で恐縮ですが、90歳を過ぎた母は体力的に劇場での鑑賞が難しくなり、2022年の襲名披露公演以来、観劇から遠ざかっています。長く一緒に歌舞伎を観てきた母と、今度はこの映画を通して成田屋の襲名を振り返ることができる。その機会をいただけたことを、心からありがたく思います。

受け継がれていくものを見つめることは、自分が誰から何を受け取ってきたのかを振り返ることでもあるのかもしれません。

いちかわだんじゅうろう◯1977年生まれ。七代目市川新之助、十一代目市川海老蔵を経て2022年11月・12月、十三代目市川團十郎白猿を襲名。屋号は成田屋。2026年10月より南座『市川團十郎特別公演』に出演する。

いちかわしんのすけ〇2013年、十一代目市川海老蔵(十三代目市川團十郎白猿)の長男として生まれる。2015年『江戸花成田面影』で初お目見得。2022年11月『外郎売』『助六由縁江戸桜』、12月『毛抜』で八代目市川新之助としての初舞台を踏む。

▶市川團十郎さん、市川新之助さんギャラリー

撮影=セドリック・ディラドリアン スタイリスト=大久保篤志 ヘア&メイク=松本順(辻事務所) 取材・文=冨永由紀 編集=井本茜(婦人画報編集部)

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