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15年前の国民的ドラマでダメ父親「違いすぎてやべえ」「知らなかった」いまや大河の主演俳優に

  • 2026.8.29
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長谷川博己-2010年11月撮影(C)SANKEI

『家政婦のミタ』で異様だったのは、笑わない家政婦だけではない。松嶋菜々子演じる三田灯がどれほど完璧に家事をこなしても、その家の父親は頼りにならなかった。妻を亡くし、4人の子どもを前に立ち尽くす阿須田恵一。演じていたのは、のちに大河ドラマで明智光秀を背負う長谷川博己である。

日本テレビによると最終回の世帯平均視聴率は40%。日本中が阿須田家の行方を見守った2011年、長谷川は威厳あるスターとしてではなく、弱さを隠しきれない父親として多くの人の記憶に入った。

情けない父親が忘れられない

阿須田恵一は、妻を亡くした悲劇の父というだけの人物ではない。家庭を壊した原因に自身の不倫があり、残された子どもたちとも向き合えない。忽那汐里、中川大志、綾部守人、本田望結が演じる4人の子どもは、それぞれのやり方で父へ怒りをぶつけた。

長谷川は恵一を、悪人にも立派な父にも寄せなかった。うろたえ、言葉を濁し、子どもの痛みから逃げる。見ていて腹が立つのに、完全には見放せない。その煮え切らなさが、感情を表に出さない三田と好対照をつくっていた。

松嶋菜々子の無表情が作品の象徴なら、長谷川の落ち着かなさは阿須田家の体温だった。三田が動じないほど、恵一の未熟さは露わになる。二人の演技の温度差があったから、異色の家政婦という設定だけでなく、崩れた家族が立ち直る物語として見る側を引きつけた。

俳優は、強い役でこそ大きく見えるとは限らない。弱い人物を小さくまとめず、物語の中心に居続けさせるのも力量である。視聴者が見た阿須田家で、長谷川が担ったのは「この父親は変われるのか」という、もう一つの緊張だった。

子どもたちの怒りを受け止めるたび、恵一は格好悪くなる。だが、その格好悪さから逃げなかったことで、家族が再び向き合う余地が生まれた。長谷川は作品の重さを、弱い父親の側から支えていた。

三つの仕事が重なった2011年

同じ2011年、長谷川は『鈴木先生』で連続ドラマ初主演を務めた。さらに映画『セカンドバージン』では、第35回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞している。

『鈴木先生』では、自分なりの理屈を持つ教師として教室の問題に向き合う。『セカンドバージン』では大人の恋愛の渦中に立ち、『家政婦のミタ』では家族を支えられない父を演じる。初主演、映画賞、社会現象となった連続ドラマが、1年の中で重なった。

ここで面白いのは、どの役も「頼れる男」の一言では片づかないことだ。理屈、欲望、臆病さ。人物の中にある矛盾を引き受けることで、長谷川は主役になっていった。『家政婦のミタ』の恵一は、その後の華やかな主演歴の前に置かれただけの作品ではなく、この俳優の持ち味が広く知られた役だったのである。

大きく見せようとせず、人物の格好悪さへ降りていける。主演を務める前後に長谷川が示したその強みは、役の肩書きが大きくなっても変わらなかった。

父親役のあとに大河の主人公が見える

長谷川はその後、安藤サクラ主演の朝ドラ『まんぷく』で夫・立花萬平を演じ、2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では明智光秀役で主演を務めた。2024年の『アンチヒーロー』では、正義の輪郭を揺さぶる弁護士を演じている。

朝ドラの夫、大河の主人公、日曜劇場の弁護士。いずれも物語を大きく背負う役だが、まっすぐな英雄ではない。その原点を一つだけ選ぶなら、私は阿須田恵一を思い出す。家族の中心にいるのに中心になれず、自分の弱さに振り回される男。長谷川は早い時期から、人物の格好悪さを消さずに見せる俳優だった。

見返して初めて気づくこと

『家政婦のミタ』で父親役を演じていたことについてSNSでは「違いすぎてやべえ」「知らなかった」と驚く声が見られるが、それは無理もない。堂々と物語を率いる現在の姿と、子どもたちの前で右往左往する恵一は、たしかに遠く見える。

けれど、15年前の役をよく見ると、違うだけではないことにも気づく。立派さと弱さ、正しさと身勝手さを一人の中に同居させる。その難しさを引き受けてきたからこそ、長谷川博己は大きな作品の主役になった。『家政婦のミタ』を見返して出てくる「あの役、そうだったのか」という驚きは、俳優の歩みを知った今だから味わえる発見なのである。


※記事は執筆時点の情報です

(文・野方希望)

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