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悲しい歌なのに体が先に動いてしまう理由とは? 夏の恋の終わりを踊りながら走り抜けたダンスナンバー

  • 2026.9.16
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2026年2月、「2026年も日本中を元気にさせるぞ!」大発表会より。会見に臨んだ田原俊彦(C)SANKEI

残暑がまだ引かない夕方、テレビの歌番組から短調のメロディが走り出して、20歳の田原俊彦が画面いっぱいに踊っていた。

1981年の9月、たのきんトリオの熱が高かった頃の話だ。歌っているのは夏の恋の終わり。なのに、聴いているこっちの肩と足が先に動いてしまう。前作『キミに決定!』からわずか2ヶ月ほどで届いた6枚目のシングルは、そんな不思議な一曲だった。

田原俊彦『悲しみ2ヤング』(作詞・作曲:網倉一也)ーー1981年9月2日発売

悲しい歌を、悲しい顔で歌わない。この曲のいちばんの魅力は、たぶんそこにある。

失恋を沈ませずに走らせる短調のビート

歌詞の舞台は夏の恋のあっけない幕切れだ。歌い出しの「こんなはずじゃなかったよね」という一節が、この歌の温度をほぼ言い当てている。恨み言でも未練でもなく、肩をすくめるような口ぶり。すぐに始まってすぐに終わる恋を、引きずらずに見送る若さの軽さが、言葉の端々にある。恋の終わりを季節の終わりと重ねてしまうのも、この曲が9月に届いた理由として腑に落ちる。

ところが曲は、リズムが前へ前へと急ぐ。しんみりした言葉をあえて走るビートに乗せてしまうことで、悲しみが立ち止まる暇をなくしている。タイトルの「2ヤング」は、悲しむにはまだ若すぎる、という宣言にも聞こえる。だから聴き手は泣くより先に体を揺らす。失恋の歌なのに踊れる。この取り合わせの妙が『悲しみ2ヤング』の背骨だ。

その構造をいちばん体現しているのが、田原本人の歌い方だった。声を張って泣きにいかず、リズムの上に言葉をぽんぽんと置いていく。振りを付けて踊りながら歌うことを前提に作られたのだろう。だからこそ、丁寧さより勢いが正解になる。

詞と曲と編曲が着せた踊る歌い手の型

作詞・作曲は網倉一也。田原にとっては、2年後の『ピエロ』へと続くタッグの初期の一曲がこれだ。網倉が用意したのは、悲しみを沈ませない、口ずさんだ瞬間に足が動く旋律だった。言葉を詰め込みすぎず、サビでぱっとひらく音の運びは、踊りながらでも息が続くように出来ている。短調なのに暗く聴こえないのは、旋律が下に落ちきる前に必ず次の一歩を踏み出すからだ。

そこに編曲の船山基紀が、当時の歌謡界を支えた売れっ子アレンジャーらしい仕事で推進力と艶を重ねた。歌謡曲の華やかさを保ったまま、ビートを前に出して体が反応する音にしてしまう手つきが、この曲を踊るアイドルの歌として完成させている。ただし主役はあくまで田原だ。作家と編曲家が整えた型に、20歳の彼が体ごと飛び込んで、自分の歌にしてしまった。

たのきんトリオの中でも、田原俊彦は「踊る」で立つ人だった。この曲で固まった踊りながら歌う田原の像は、そのあとの彼の曲を聴くときの、ファンにとっての基準になった。サビで腕が上がり、足が横に流れる。あの動きとセットで覚えている人は多いはずだ。

チョコレートの画面から毎日届いた同じ顔

この曲には、歌番組のほかにもうひとつの入り口があった。江崎グリコ「アーモンドチョコレート」のCMだ。本人が出演し、この曲が流れる。歌番組で踊る田原を見て、CMに切り替わればまた同じ曲と同じ顔が出てくる。翌日の教室の話題も、きのうの歌番組とあのCMだった。1981年の秋、テレビの前にいた人なら、この歌を一度も聴かずに1日を終えるほうが難しかった。

前作からわずか2ヶ月ほどで新曲を出せたこと自体、その年の田原の勢いを物語っている。たのきんの熱は、髪型を真似する男の子から、レコード店に走る女の子まで、街の空気ごと動かしていた。そのなかで『悲しみ2ヤング』を口ずさむことが、そのまま「私はトシちゃん派」の宣言だったのだ。

初秋の歌が大晦日の舞台へ届くまで

9月の初めに走り出した夏の終わりの歌は、その年の大晦日、第32回NHK紅白歌合戦の舞台で歌われた。前年に続く2年連続の出場で、田原が歌ったのがこの曲だった。夏の恋の幕切れを歌った曲が、一年の幕切れを飾る。季節をまたいで、曲がひとりで歩いていった感じがする。恋の終わりを泣かずに踊って見送る、その姿勢そのものが、この歌を古びさせない。誰にでも一度はある夏の失敗を、笑って振り返れる歌がここにある。

紅白の舞台でも、田原が悲しい顔で歌う姿は想像できない。踊って、走って、笑って歌い切る。そのたたずまいに、失恋を軽やかに見送ってしまう若さと、その若さを丸ごと肯定してくれるこの曲の強さを感じる。悲しい歌なのに体が動く。いま聴き直しても、まずそこに掴まれる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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