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15年前、史上最年少の快挙を達成した「天才子役」マレーシアへ留学→16歳で会社を設立した現在

  • 2026.8.28
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2011年3月、映画『八日目の蝉』試写会舞台挨拶に登壇した渡邉このみ(C)SANKEI

映画『八日目の蟬』で、秋山恵理菜/宮田薫の幼少期を演じた渡邉このみ。小さな体で見せたあの表情は、今も強く記憶に残っている。

あれから15年。渡邉はずっと俳優の道を歩いてきたわけではない。いったん芸能活動から離れ、海外へ渡り、16歳で会社をつくった。あの少女のその後には、想像以上に大きな転身が待っていた。

忘れられない小さな薫

『八日目の蟬』が公開されたのは2011年4月29日。渡邉は、物語の中心となる秋山恵理菜/宮田薫の幼少期を演じた。

幼い役を、ただかわいらしいだけの存在にはしない。じっと相手を見る目や、言葉になる前の感情まで伝わる表情が、重い物語を支えていた。幼い薫が笑えばほっとし、泣けば胸が苦しくなる。見る側の気持ちは、いつも小さな彼女のそばにあった。

渡邉は同作で、第35回日本アカデミー賞新人俳優賞を史上最年少で受賞した。鮮烈なデビューだったからこそ、その後も画面の中で成長していくものと思っていた人は多かったはずだ。

新人俳優賞という記録は華やかだが、先に浮かぶのは賞状よりも薫の顔だろう。子役らしい愛らしさと、簡単には言葉にできない寂しさ。その両方を覚えているから、15年後の現在まで知りたくなる。けれど、この人が選んだのは一本の道ではなかった。

いったん画面の外へ

渡邉は中学校へ入るタイミングで芸能活動から離れた。2019年にはマレーシアへ留学している。子役として注目され、賞も受けた渡邉は、いったんカメラの前を離れた。幼い頃から演じることを仕事にしてきた彼女は、マレーシアへ渡り、芸能界とは違う景色の中で時間を過ごした。

その時間は、子役時代をなかったことにするものではなかった。あとから振り返ると、演じる人という一つの肩書きに収まらない現在へ続いている。

毎年のように出演作を重ねる道からは離れた。それでも、画面の外で過ごした時間ごと、この人の歩みである。海外で暮らし、芸能界とは別の場所を知った少女は、やがて自分から仕事を始める側へ回っていく。

16歳で会社をつくる

2022年7月、渡邉は16歳でalchemi株式会社を設立し、代表取締役に就いた。『八日目の蟬』の少女を覚えている人ほど、この展開には驚くだろう。芸能活動を離れた子役が、10代で会社を率いる側に回っていた。しかも、そこで俳優の仕事と完全に別れたわけではない。

短編映画『DOR』では脚本を手がけ、友成隼也と共同監督を務め、自ら出演もした。同作はCINEMA3.0の短編映画祭で優秀作品に選ばれている。

一つの短編映画で、脚本、共同監督、出演の三つを担う。書いた物語を現場で形にし、その世界へ自分も入っていく。子役として培ったものを、演技だけに閉じ込めず、作品づくりのあちこちへ広げているのが面白い。

物語を書く。作品全体を見渡す。そして、もう一度カメラの前に立つ。子役時代は渡された役を生きた人が、今度は物語が生まれるところから関わっている。会社をつくることも、映画をつくることも、誰かが用意した場所を待つのではなく、自分で場所を生み出す仕事だ。

久しぶりの姿に声が弾む

渡邉は2025年に舞台『リア王』『歓喜の歌』へ出演。2026年には『シン・ダンレボ〜ホントのワタシ〜2026』で主人公いろはを演じた。会社を立ち上げ、映画の作り手にもなった彼女が、演じる人として舞台に立っている。

スクリーンで知られた少女が、今度は客席の目の前で物語を生きる。いったん離れたからこそ、戻ってきた姿を昔の続きだけでは語れない。作る側の視点も、会社を立ち上げた経験も抱えたまま、もう一度役を演じている。

SNSでは、成長した姿を見つけた人たちから、「懐かしすぎる!」「めっちゃ大人になった」と声が弾んだのも無理はない。『八日目の蟬』の小さな少女から15年。あの頃を思い出す懐かしさと、現在を知った驚きが一度に押し寄せる。

子役、留学、会社設立、映画制作、そして舞台。歩みだけを並べれば、ずいぶん遠くまで来たように見える。それでも、演じることは今も手放していない。

忘れられない少女は大人になり、自分が立つ場所まで自分でつくる人になっていたのだ。


※記事は執筆時点の情報です

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