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ホラー小説家・背筋が読む、釣り文芸の古典『幻談』

  • 2026.8.10

最高の娯楽にして、ある者には生の実感を得る行為に、そして時に怪異との接点にもなり得る釣りは、その多面性ゆえに数々の小説で描かれてきた。ここでは自らも釣り人だった作家による古典を、作家・背筋さんが読み解く。

photo: yu inohara / text & edit: Emi Fukushima

「幻談」中面 幸田露伴/著
BRUTUS

静かに海に糸を垂らすことで自然の未知や怪異に触れる

『幻談』幸田露伴

近代文学の礎を築いた小説家の幸田露伴もまた、釣りが趣味。彼が晩年にしたためた「幻談」では、その豊富な知識に基づく釣りの講釈が差し込まれつつ、ある江戸の侍が海釣りの際に出くわした不気味な出来事が物語的に綴られていく。釣りのモチーフとホラー要素が巧みに融合した本作を読んだのは、近年のホラーブームを牽引する背筋さんだ。

「幻談」幸田露伴/著
幸田露伴/著。1938年発表。江戸時代、釣りを嗜(たしな)むある侍は、海釣りの帰りに遠くの水面に釣り竿を見つける。その作りの良さに惹かれて手を伸ばすと、水面下で、でっぷり太った男の溺死体がしっかりと握り締めて離さないでいた。『幻談・観画談 他三篇』に収録。岩波文庫/品切れ。

海をはじめとする水辺は、ホラーでは時折取り入れられるテーマの一つ。私自身も著書『近畿地方のある場所について』の中で、ダム湖での怪異を描きました。ただシチュエーションはかなり限られていて、水面から何かが浮かび上がってくるか、水から引き揚げられた何かと対面するかのほぼいずれか。その時に水上や水辺にいることが自然な釣りは、舞台装置として有用です。

「幻談」で語られるのも、海面からぼうっと立ち上る竿とそれを握り締める溺死体を、海釣り帰りの侍が見つける顛末。作中で「お客さん」と呼ばれる溺死体の男を「でっぷり肥(ふと)った」と表す描写が、なんとも言えない不気味さを醸します。侍の男は竿を掴(つか)んで取ろうとする中、溺死体はがんとして竿を離さない。そのことばかりが執拗に書かれることからも、異様な執念が際立ちますね。

この怪談に差し当たり、挟まれるのは釣りの手法や作法にまつわる仔細な講釈です。それがあまりの熱量を帯びていることから、本作全体を怪談として捉えるのか、不気味な小噺が添えられた釣りの随筆と捉えるかは難しいところ。解釈に余白はありますが、いずれにせよ露伴が釣りについて書きたかったのは明らかでしょう。

しかし、そこで面白いのが本作の冒頭。「今お話し致そうというのは海の話ですが、先に山の話を一度申して置きます」と記し、アルプス・マッターホルンの踏破を目指す一行が出くわした不思議な出来事の話から始まるんです。最初に関係のないことから語り始めることで、かえって本題が効いてくるというテクニックはあるものの、海の話を書くためになぜ山から語り始めるのか。そのことが気になりました。

「幻談」中面 幸田露伴/著
BRUTUS

征服できない自然への不安が人ならざるものを顕現させる

8人の一行は登頂に成功しますが、下山の過程でその半数が滑落して命を落とします。放心状態で街に下りた残りの4人は、遠くの空中に十字架の像を見る、というのが前半の筋書きです。これを後半の海釣りの話と照らし合わせると、両者は対比構造になっているようにも感じました。

主体的に登る動的な登山と、待ちを基本とする静的な釣り。仲間の手という、本来掴みたかったものを掴めなかった話と、竿という掴まなくていいものを掴んでしまった話。遙かなる目線の先に怪異が顕現する前半に対し、後半では沈みゆく目線の先に現れる……あらゆる面で対になっているんです。もしかすると本作は、かなり緻密な構造の上に立ち上がっているのかもとも思わされました。

一方で、双方に通底するのは自然への畏怖です。動的にであれ静的にであれ、人は自然を征服しようとする。けれども自然が絶対にコントロールできない対象であるのが本作の前提で、そこから湧き立つ不安感の表れとして、得体の知れない何かや人ならざるものと邂逅する場面を描いたのではないかなと。

これらはあくまでも私の予想にすぎませんが、対比的な2つの話によって一貫したテーマがかえって輪郭を帯びて感じられました。自然はどこまで行っても理解できない側面を持つもの。その未知の一端に触れるため、人は海に釣り糸を垂らすのかもしれません。


profile

背筋(ホラー小説家)

せすじ/小説投稿サイト「カクヨム」で連載していた「近畿地方のある場所について」がSNSで話題を呼び、2023年の単行本化を機に作家デビュー。そのほかの著書に『穢れた聖地巡礼について』(KADOKAWA)などがある。

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