1. トップ
  2. エンタメ
  3. 「くだらない事でまた涙してる」30年前にギャル世代から絶大な支持を集めた歌とは?

「くだらない事でまた涙してる」30年前にギャル世代から絶大な支持を集めた歌とは?

  • 2026.8.23
undefined
hitomi-1999年9月撮影(C)SANKEI

デビュー30周年を記念したアコースティックライブのステージで、hitomiはこの曲を序盤に置いた。翌年春のライブでも、セットリストの中ほどに同じ曲名がある。派手な再ブームが起きているわけではない。それでも本人は、この曲を手放さずに歌い続けている。

時計の針を戻した先にあるのは、小室サウンドが街のすみずみまで鳴り響いていた、あの1996年の夏だ。

hitomi『by myself』(作詞:hitomi/作曲:小室哲哉)ーー1996年8月7日発売

熱狂の時代のど真ん中で、この曲だけがぽつんと静かな場所に立っていた。

熱狂のど真ん中でひとりを歌った

1996年は、小室哲哉の書く曲が次から次へとチャートを塗り替えていった年だ。街を歩けばダンスビートが追いかけてきて、テレビをつければ同じプロデューサーの名前が並ぶ。CDショップの棚もカラオケの履歴も、あの独特のきらびやかな音で埋め尽くされていた。日本中が同じ熱に浮かされていたあの夏に、hitomiは「自分」を生きていくという感情を正面から歌い切った。

7枚目のシングルとなるこの曲で、作詞を担ったのはhitomi本人。作曲と編曲は小室哲哉が手がけている。ヒットを量産していた同じ筆が、熱狂と真逆の静けさへ向かった。この落差にこそ、この曲の核心があるように映る。

あの夏、祭りの輪にうまく入れなかった人は、きっと少なくない。にぎやかな曲に合わせて笑いながら、心のどこかで置いていかれるような感覚を抱えていた聴き手にとって、この曲は自分の側に立ってくれる1曲だった。

みんなで踊る音楽が時代の主役だったからこそ、ひとりの部屋で聴く音楽が必要だった。祭りの喧騒の外側に置かれた椅子のような一曲が、同じ作り手の手から生まれていたという事実は、30年経ったいまのほうがずっと鮮やかに見える。

弾ける声が静けさを覚えるとき

この曲の前のhitomiといえば、『CANDY GIRL』に代表される、弾むようなポップスの声が思い浮かぶ。10代の勢いをそのまま音にしたような、屈託のない明るさだ。

ところが『by myself』では、その声がまるで違う表情を見せる。テンポを落とした曲調のなかで、声は跳ねるのではなく、ゆっくりと言葉を置いていく。同じ人の同じ声のはずなのに、見えてくる景色がまるで違う。夏の日差しの下ではなく、日が落ちたあとの部屋で鳴る声だ。弾けることをやめた瞬間に、この人の声にはこんなに深い奥行きがあったのかと気づかされる。

大人になる、という変化は、たいてい派手な音を立てない。声の表情がひとつ増えるだけだ。この曲は、hitomiというシンガーがその一段を静かに上がった瞬間の記録として聴こえてくる。振り返れば、この曲を境に、hitomiはシンガーとして新たな一面を見せ始めたように思える。

登りつめるほど孤独が澄んでいく

メロディの設計にも耳を向けたい。歌い出しは低い場所から始まり、サビへ、そして最後のサビへと、旋律の置かれる高さが少しずつ上がっていくように聴こえる。曲が進むほど声は高い場所へ登っていくのに、歌われている感情はどんどんひとりの内側へ沈んでいく。この逆向きの運動が、聴き手の胸をざわつかせる。

hitomi自身が書いた詞は、誰かにすがるのではなく、自分の足で立とうとする決意を軸にしている。寂しさを嘆く歌ではない。寂しさを認めたうえで、それでもひとりで歩くと言い切る歌だ。

誰かに書いてもらった言葉なら、こうはいかなかっただろう。この曲の詞をほかの誰かに預けなかったからこそ、決意の言葉に借り物ではない体温が宿っている。

だから声が高く登りつめる終盤で、孤独は悲鳴にならない。むしろ澄んでいく。強がりと本音のちょうど中間にある声の温度を、小室哲哉のメロディが正確にすくい上げている。

最後のサビでいちばん高い場所に声が届いた瞬間、それまで自分に言い聞かせるようだった決意が、ふっと祈りに近い響きへ変わる。この曲でいちばん鳥肌が立つのはここだ。ひとりで立つと決めた人の声が、いちばん高く、いちばん遠くまで飛んでいく。

代表曲の陰にいる本命

この曲は、翌月に発売された2ndアルバムのタイトルにもなった。アルバム名も『by myself』。つまりこの時期のhitomiにとって、この曲は1枚の作品全体を背負う顔だった。シングルの1曲としてだけでなく、「いまの自分はこういう人間だ」と差し出す名刺の役割を、このタイトルに託していたことになる。

それでも世間の記憶のなかで、hitomiの名前の隣に置かれるのは『LOVE 2000』や『CANDY GIRL』だろう。『by myself』は、その陰にひっそりと立っている。テレビの前で誰もが口ずさんだ曲ではないぶん、出会った人だけが深く持ち帰る種類の曲になった。

ところが長く聴いてきた耳ほど、この曲を本命に挙げたくなるのではないか。代表曲が「あの頃」を思い出させる歌だとすれば、この曲は「いまの自分」に寄り添ってくる歌だ。華やかな看板の裏にこういう1曲を持っているアーティストは強い。

いまも自分の声のまま立ち続ける

冒頭の現在に戻ろう。30年近い歳月を経て、hitomiはこの曲をアコースティックの編成で歌っている。飾りをそぎ落とした静かな場所では、ごまかしがきかない。声と言葉だけで曲を立たせなければならない。その裸の状態で選ばれ続けていることが、この曲の強度を何より雄弁に語っている。

若さの勢いで押し切る歌なら、とっくに歌えなくなっていたはずだ。この曲が生き残ったのは、「ひとりで立つ」という芯が、年齢を重ねるほど本人の実感に近づいていくからだと感じる。

あの夏に書いた決意の言葉を、キャリアを重ねた声でもう一度歌う。そのとき『by myself』は、過去の曲ではなく現在進行形の歌になる。熱狂の夏に生まれたいちばん静かな一曲は、いまも本人の隣で息をしている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

(文・笄坂かける)

の記事をもっとみる

注目コンテンツ