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ラッパーと女優の予想外の組み合わせを覚えているか? 30年前発売の男女デュエットの共作者はあの音楽P

  • 2026.8.23
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内田有紀-1996年5月撮影(C)SANKEI

「Bomb A Head!」の掛け声とともに記憶されるラップの人が、しっとりとしたバラードで女優と声を重ねている。マイクを握って客席を煽っていた姿を知る耳には、ずいぶん意外な光景に映るはずだ。ところが再生してみると、この取り合わせこそがこの曲の芯だと分かる。

内田有紀&m.c.A・T『EVER & EVER』(作詞:m.c.A・T・小室哲哉/作曲:富樫明生・小室哲哉)ーー1996年7月17日発売

内田有紀の6枚目のシングルにあたり、m.c.A・Tとの連名で歌われたデュエット曲。1996年の夏、それぞれ別の場所で鳴っていた二つの声が、この1曲のなかで出会っている。

混ざらない二つの声が互いを照らす

この曲の聴きどころは、何より二つの声の対比にある。内田有紀の声は、少しかすれたハスキーな質感を持つ。輪郭のやわらかい、低めの温度の声だ。対するm.c.A・Tの声は高く、まっすぐに伸びていく。

低くかすれる声と高く伸びる声が同じ旋律の上で隣り合うことで、どちらの声の輪郭もいっそうはっきりと浮かび上がる。面白いのは、男女デュエットの通例がここで静かに入れ替わっていることだ。男性が土台を支え、女性が高いところで華やぐという聴き慣れた配置ではなく、女性の声が低くかすれ、男性の声が高く抜けていく。

デュエットの定石である「寄り添い」よりも、質感の違いをそのまま見せる設計に映る。二つの声は溶け合うというより、並び立つ。だから掛け合いの瞬間ごとに、耳が二つの声のあいだを行き来することになる。

バラードという器も、この対比に効いている。テンポを落とした曲では、声の質感がむき出しになる。勢いでごまかす場所がなく、一音ごとに声そのものが試される。だからこそ、かすれと伸びという二つの個性が、飾りではなく曲の主役として前に出てくる。速い曲でこの二人が組んでいたら、ここまで声の違いは際立たなかったはずだ。

そしてこの対比は、聴く分には心地よく、歌う側に回るとなかなか手強い。低くかすれるパートと高く伸びるパートを行き来するデュエットは、カラオケで再現しようとすると簡単には収まらないはずだ。歌いやすさよりも二つの声の距離を優先した作りが、この曲を「歌うため」ではなく「聴くため」のデュエットにしている。その贅沢さを、まず味わってほしい。

跳ねる声と演じる声が持ち寄った来歴

二つの声には、それぞれの来歴がある。m.c.A・Tは90年代前半に『Bomb A Head!』で名を広げた。弾むトラックの上で言葉を畳みかけ、ラップという歌い方を広い層の耳まで運んだ人だ。彼はボーカリストとしても非常にすばらしく、伸びやかな高温と艷やかな歌声が魅力のひとつである。

一方の内田有紀は、ドラマや映画で顔を知られながら、歌手としてもシングルを重ねていた。本作は前作『幸せになりたい』から半年ぶりのシングルにあたる。撮影と歌入れを行き来する日々の密度が、この間隔から透けて見える。役を演じるときの声が誰かのための声だとすれば、歌うときの声は本人のままの声だ。

ハスキーな質感がそのまま録音に残っているこの曲には、役の衣装を脱いだあとの素の声が刻まれているように聴こえる。演じる仕事と歌う仕事を同時に走らせていた時期の声には、勢いに乗った季節にしか出ない張りが宿っているように聴こえる。

出どころのまったく違う二つの声が同じ旋律を分け合うから、このデュエットには、よくある男女の掛け合いとは違う緊張感が流れている。似た者同士の美しいハーモニーではなく、違う者同士が一つの歌のなかで折り合いをつけていく面白さだ。二つの声は競わず、かといって譲り合いもしない。互いの質感を残したまま同じ歌に収まっていく、その折り合いの跡がそのまま曲の表情になっているところに、作り物ではない体温を感じる。

連名のクレジットが季節の熱を運んでくる

クレジット欄に目をやると、この曲の座組みが見えてくる。作詞・作曲・編曲にはm.c.A・T&富樫明生と小室哲哉の名が並ぶ。1996年といえば、小室哲哉の手がけた楽曲が次々と街を塗り替えていった、小室ブーム全盛の年である。内田有紀が小室ファミリーの歌い手の一人でもあるため、この座組が生まれた。

時代のど真ん中にいた作り手たちが連名で支えたからこそ、意外な二人のデュエットが奇をてらった企画に落ちず、一つの歌としてまっすぐ立っている。声の対比という冒険を、曲の設計がきちんと受け止めているのだ。

そしてm.c.A・Tにとって、デュエットシングルは本作が初めてだった。ここには見た目以上の跳躍がある。ラップは言葉を刻み、ビートに乗せて自分の間合いで畳みかける歌い方だ。対してデュエットは、相手の声を聴き、息を合わせ、自分の間合いを半分手放す歌い方になる。

自分の間合いで攻めてきた人が、初めてのデュエットで相手に半分を預けるという、正反対の技術への一歩をこの曲で踏み出している。その思い切りを、作り手たちの座組みが後ろから押している。

埋もれたままにしておけない一曲

1996年は、年間チャートの上位常連級がひしめく年だった。あの年の音楽の記憶を語るとき、真っ先に名前が挙がる曲は他にいくつもある。この曲は、その最前列の派手さとは別の場所に置かれてきた。

けれど、二つの声の対比という核は、周りがどれだけ賑やかでも古びない。低くかすれる声と高く伸びる声が一つの旋律を分け合う数分間には、あの夏の熱と、声というものの面白さが同時に閉じ込められている。埋もれた名曲、と呼びたくなる一曲に映る。

次に聴く機会があれば、二つの声がすれ違い、また重なる瞬間だけを追いかけてみてほしい。この曲がなぜデュエットでなければならなかったのか、その答えが聴こえてくる。一人では成立しない歌が、確かにある。かすれた声だけでも、伸びる声だけでも足りない。二つそろって初めて完成する歌として、この曲は30年後の耳にも新しい。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

(文・笄坂かける)

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