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35年前、王道のバラードを裏返した甘いようで甘くない名曲 「誓えない男」の不器用な誠実さ

  • 2026.8.17
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2013年2月、東京・日本武道館で行われた米米CLUBのライブより(C)SANKEI

これは、甘い恋の歌ではない。恋よりも夢を選んでしまう自分を認め、別れを引き受ける男の歌だ。タイトルの一語を、照れ隠しと読むと入り口を間違える。「ひとすじになれない」とは、素直になれないという意味だけではない。

米米CLUB『ひとすじになれない』(作詞・作曲:米米CLUB)ーー1991年9月21日発売

10枚目のシングル『浪漫飛行』での大きなブレイクと、のちのキャリア最大のヒットとなる13枚目『君がいるだけで』の狭間に置かれた12枚目のシングルは、派手なステージで知られるバンドの本命バラードとして、1991年の秋から長く聴かれ続けた。

愛を誓う歌の隣で誓えない理由を歌った

当時、恋愛バラードの主流は「誓い」だった。あなただけを見つめる、と言い切る歌が支持を集め、まっすぐであることが愛の証明とされていた。

その空気の中でこの曲は、愛だけを見つめられない事情を正面から歌った。胸の中に恋人がいて、同じ胸の中に夢もある。二つを天秤にかけて、夢の皿からどうしても手を離せない。誓いの時代に、誓えない男の歌を置く。その選択の大胆さを、いま聴き直すほどに感じる。

しかも、歌の中の男は開き直らない。夢を選ぶことを格好よく語りもしない。ただ申し訳なさそうに、自分の性分を打ち明ける。強がりでも自己弁護でもない、うつむいたままの告白。この温度の低さが、当時の威勢のいい愛の歌たちのなかで、かえって生々しく響いた。

売れ方も、この曲の性格に合っていた。発売直後の勢いで駆け抜けるのではなく、累計60万枚を超えるロングセラーとして、じわじわと生活に染み込んでいった。ソニーのビデオカセットのCMにメンバー自身が出演し、日常の風景のそばで流れていたことも、その染み込み方を後押しした。

過剰な衣装とコミカルな振る舞いで会場を沸かせるバンドが、この曲では冗談をひとつも挟まない。その落差が、歌の中の男の不器用な誠実さと重なって聴こえる。

悪いのは自分だと先に言ってしまう声

歌詞の物語は、おそらく別れのあとから始まる。そばにいるのが当たり前になって、もっと優しくできたはずの日々を、失ってから数え直す。ありふれた後悔に見えて、この歌の主人公はそこで言い訳をしない。

転機として置かれているのは、愛だけを見つめていてほしいと求められた夜だ。うれしいはずの言葉を受け取った瞬間、心の奥にしまっていた古い傷が痛み出す。求められるほど、応えきれない自分の輪郭がはっきりしてしまう。愛の言葉を軽々しく口にできないのは、冷たさではなく、口にした言葉に責任を持とうとする不器用な誠実さゆえだ。

その傷の中身を、歌は最後まで明かさない。かつて何かを差し出して、何かを失ったのだろう、と想像させるだけにとどめている。明かさないからこそ、聴き手はそこに自分の傷を置ける。この余白の作り方に、詞の巧さを感じる。

だからサビで、男は白状する。愛ひとすじにはなれない。自分の夢を、いつまでも捨てずに生きていきたいから。そして言えない分の埋め合わせのように、悪いのは自分のほうだと引き受けて、別れを受け入れる。相手を責める言葉は、最後まで一度も出てこない。

この自責の物語を、歌声は湿らせすぎずに運んでいく。泣き落としの節回しに寄りかからず、言葉をひとつずつ手渡すように歌う。聴き終えたあとに残るのは涙の跡ではなく、頭を下げて去っていく男の背中だ。

旋律は揺れる心の側に付いている

メロディの設計も、この物語に沿っている。歌い出しは低く、独り言のような温度で進む。別れたあとの部屋で、記憶を数え直している時間の音だ。そこからサビに向かって旋律は大きく持ち上がり、抑えていた感情がひと息にあふれる。告白がいちばん高い場所に置かれる作りは、この曲の物語と正確に噛み合っている。

面白いのは、サビの頂点で鳴っているのが愛の言葉ではなく、愛だけに捧げられないという告白であることだ。ふつうのバラードなら想いの丈を叫ぶ場所で、この曲は謝罪に近い言葉を歌わせる。旋律の熱と、言葉の後ろめたさ。その食い違いが、聴くたびに胸のどこかを引っかいていく。

そしてこの食い違いこそ、タイトルを照れ隠しと誤読させてきた正体でもある。旋律だけを追えば、王道のラブバラードにしか聞こえない。歌詞に耳を澄まして初めて、これが愛の歌の形をした別れの歌だと分かる。曲の姿と詞の中身が二重になっている。

伴奏は声を追い越さない。バラードらしいメロウな起伏のなかで、音の厚みは感情の高さに合わせて静かに増減し、男の揺れる心にずっと付き添っていく。派手な仕掛けで泣かせにくるのではなく、物語の温度に音を沿わせる。その律義な設計が、この曲を何度でも聴き返せるバラードにしている。

責めない別れが年月を経て刺さる

夢か、恋か。この二択を、人生のどこかで迫られた経験のある人は多いはずだ。そしてたいていの場合、選んだ道の先で、選ばなかったほうの顔がよぎる瞬間が来る。この曲がカラオケやラジオで長く歌い継がれてきた理由は、そこにあると感じる。夢を選んで恋を手放した人にも、恋を選んで夢をたたんだ人にも、この歌はどちらの側からも歌える。

思い出になっていく相手に向かって、この歌の男は言い訳を並べない。ただ、自分の弱さと夢の重さを認めて、頭を下げる。その潔さは、慰めよりもずっと深いところで聴き手を支える。

相手を責める失恋の歌は、歌った直後にすっとする。だが自分の非を認めて詫びる歌は、時間が経ってから効いてくる。年月を重ねて、自分の下した選択の重さが分かるようになった耳にこそ、この曲は深く刺さる。

選ばなかったほうの人生に、きちんと頭を下げること。35年前のバラードが教えてくれるのは、その別れの作法だ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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