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歌謡曲の湿度か、都会派の乾きか? 40年目に生まれた"泣きの成分"が運ぶ「車内の未練」

  • 2026.8.9
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池田聡-2004年9月撮影(C)SANKEI

赤信号で車が止まる。バックミラーに映る後続車のヘッドライトが、夜の路面に長く伸びている。ふと視線を上げた助手席側の窓の外を、見覚えのある人影が通り過ぎていく。声をかける間もなく、信号はもう変わっている。そんな一瞬の情景から、この曲は始まる。

池田聡『モノクローム・ヴィーナス』(作詞:松本一起/作曲:佐藤健)ーー1986年8月5日発売

デビューしたばかりの新人が、いきなり都会の夜を切り取る歌を持ってきた。派手な高揚でも湿った未練の垂れ流しでもなく、車という乗り物のなかで完結する小さな未練の物語。その温度がこの曲の核だ。

力を抜いた瞬間に宿る泣きの成分

池田聡の声には、地声の芯を保ったまま音域だけがすっと持ち上がっていく独特の泣きがある。力任せに張り上げるのではなく、サビの高いところでふっと息が抜けるような瞬間があり、そこに切なさが宿る。歌謡曲の湿度と、当時の洗練されたポップスの乾いた質感を、同じ喉のなかで同居させているような歌い方だ。

その声を受け止めているのが、編曲を手がけた清水信之の仕事だ。清水はこの時期、都会的なポップスやシティポップ寄りの作品を数多く手がけていたアレンジャーで、この曲でも過剰に音を敷き詰めない。歌が伸びるところでは伴奏がすっと引き、言葉が詰まるところでは音数が増える。声を主役に据えたまま、周囲の音が呼吸を合わせてくるような作りになっている。

歌謡曲然としたメロディでありながら、伴奏の手触りはどこか都会的で乾いている。この境目のような佇まいこそが、いまこの曲を聴き直したときにいちばん耳を引く部分だ。派手なアレンジで押し切るのではなく、声の抑揚そのものを聴かせるための余白を編曲側が用意している。デビュー曲でここまで歌と演奏の呼吸が合っている例は、意外と多くない。

サビに入る直前、声がわずかにかげりを帯びる瞬間がある。そこから一気に音域が持ち上がり、また静かに着地する。この上下運動のなかに、未練を抱えたまま前を向こうとする人物の心の揺れがそのまま乗っている。技巧的な仕掛けというより、声そのものが感情の起伏を語っているような歌い方だ。

謡曲的な情の濃さと、当時最先端だった都会派サウンドの涼しさ。本来なら相性の悪いはずのこの二つを、清水信之は対立させずに一枚の絵のなかへ収めている。デビューしたばかりの新人が、初めての一曲でこれほど完成された声とアレンジの均衡を手にしていたことは、いま聴き返すとむしろ驚きに近い。

密室だった車の中でひとり物思う時間

1986年という年は、まだ携帯電話もショルダーホンの時代で、カーナビも一般的ではない。車の中は今よりもずっと閉じた空間で、外の世界と切り離された数十分の移動時間そのものが、ひとりで物思いにふける貴重な時間になっていた。ラジオやカセットから流れる音楽だけが、その孤独な移動時間の伴走者だった。

作詞を手がけた松本一起は、特別な事件を描くのではなく、誰もが経験しうる小さなすれ違いの一瞬を、車という日常の道具のなかに封じ込めた。歌詞に出てくるのは大きな決断でも劇的な再会でもない。ただ、忘れかけていた誰かの姿が、ふとした瞬間に視界の端をよぎるだけだ。

その小さな揺らぎを支えているのが、作曲の佐藤健によるメロディの設計だ。Aメロでは低めの音域に独り言のように言葉が置かれ、サビで感情が音程ごと持ち上がる。

抑えて、抑えて、最後に少しだけあふれる。この起伏は、大きな声で泣くことを自分に許せない大人の未練の形そのものだ。派手な事件も特別な舞台も要らない。閉じた車内で数十秒だけ立ち上がる記憶を、曲の構造ごと受け止めている。

色褪せないまま歌われ続ける理由

この曲は発売からちょうど40年を迎える。池田聡は現在も現役の歌い手として活動を続けており、この節目に合わせて記念アルバムとツアーが進行している。

新人がいきなり世に送り出した一曲が、40年後の今も色褪せずに歌われている。声の質感も、編曲の呼吸も、当時と変わらない手触りのまま届く。信号待ちの一瞬に浮かんだ面影を歌ったこの曲は、聴くたびに、あの頃の車内の静けさへ連れ戻してくれる。時代が変わっても、ふと誰かを思い出す一瞬だけは、変わらずそこにある。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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