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34年前、グランプリに輝いた「国民的美少女」地方へ移住→馬のいる暮らしを送る「美人女優」の現在

  • 2026.8.30
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1997年9月、20才の誕生パーティーでの佐藤藍子(C)SANKEI

1990年代後半から2000年代前半、佐藤藍子はテレビのどこにいても不思議ではない人だった。連続ドラマの主演を務め、朝ドラに出演し、バラエティ番組では長く司会を担当した。はっきりした声と、くしゃっと崩れる笑顔。画面の空気を明るくする親しみやすさがあった。

その佐藤がいま、千葉で馬のいる暮らしを送り、日本中央競馬会の運営審議会委員を務めている。芸能人の意外な転身として眺めるより、テレビで持ち場を任され続けた人が、別の場所でも時間をかけて信頼を得た歩みとして読むと、この現在はもっと面白い。

テレビをつければ会えた人

佐藤は1992年、第6回全日本国民的美少女コンテストでグランプリを受賞。翌1993年の『ツィンズ教師』で俳優デビューした。1996年の『イタズラなKiss』、1997年の『研修医なな子』では主演を務めている。

2001年には『女子アナ!』で主演し、同年6月から『ちゅらさん』に出演。ドラマで活躍を続ける一方、フジテレビ系バラエティ番組『奇跡体験!アンビリバボー』では1998年から2007年まで司会を務めた。

当時の佐藤を思い出すとき、一つの代表作だけを挙げにくいのは、この幅のためだろう。役を演じる人でもあり、驚きの映像に声を上げる司会者でもある。毎週同じ場所にいて、番組を進める。その積み重ねによって、佐藤はスターであると同時に、テレビのこちら側に近い存在になった。

主演作のタイトルを忘れていても、『アンビリバボー』で驚き、笑っていた顔は覚えている。作品の役柄より本人の表情が長く残ることもある。佐藤は、視聴者と同じ温度で番組を楽しめること自体が魅力になる、テレビ向きの人だった。

馬が仕事ではなく日常になった

2007年、佐藤は千葉県の乗馬クラブでインストラクターをしていた男性と結婚。夫の実家である乗馬クラブのある香取市へ移住し、佐藤も手伝うようになった。

ここで馬は、朝起きればそばにいて、家族の仕事にもつながる日常になった。東京のスタジオから千葉の乗馬クラブへ。風景は大きく変わったが、佐藤はそこで「元人気女優」という特別席に座ったわけではない。新しい土地の暮らしに入り、クラブを支える側へ回った。

移住は芸能活動の否定でも、田舎暮らしを飾るための演出でもない。夫の家族が続けてきた場所へ入り、自分にできる役割を担う。佐藤の現在を支えているのは、そうした生活者としての地に足のついた選択である。

暮らしから公の役目へ

馬との関わりは家の中だけにとどまらない。佐藤は日本馬術連盟の「日本馬術応援団」として活動し、2021年9月には日本中央競馬会運営審議会の委員に任命され、現在も継続している。

審議会委員という肩書きだけを見ると、テレビの中の佐藤藍子とは意外に遠く感じる。だが、長い番組で司会を任され、異なる立場の人や出来事を視聴者へつないできた人だと考えると、まったく別の顔とも言い切れない。

「大好きだった」の続きにあるもの

SNSには、当時の佐藤を「素朴で飾り気のない笑顔が好きでした」と懐かしむ投稿があった。その笑顔は、テレビから消えたのではなく、馬のいる暮らしへと場所を移していた。

千葉で乗馬クラブを手伝い、馬術を応援し、JRAの委員も担う。25年前に親しんだ佐藤藍子は、いまも馬と人をつなぐ場所で、自分らしい役目を果たしている。


※記事は執筆時点の情報です

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