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25年前の元ミスセブンティーン。看護師へ転身も…“モデル”として再スタートした現在

  • 2026.8.30
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2010年3月、初のフォトブック「モデル徳澤直子のモテル道。」の発売記念イベントを行った徳澤直子(C)SANKEI

雑誌『Seventeen』を開けば、同じ世代の少し先を歩く女の子たちがいた。2001年の「ミスセブンティーン」に選ばれた徳澤直子も、その一人だった。同年の選出者には木村カエラらがいる。

徳澤はやがて『CanCam』の専属モデルとなり、誌面を離れたあとには看護と助産を学んだ。総合病院で働き、2025年には再びモデルの仕事へ。華やかな誌面と白衣を、意外な二つの人生として並べるだけでは、この人の面白さを取り逃がす。

読者と一緒に次の雑誌へ進んだ

徳澤は「ミスセブンティーン」をきっかけに『Seventeen』でデビューし、2004年に『CanCam』へ登場。その後、専属モデルとなった。

ティーン誌から赤文字系ファッション誌へ。読者が制服を脱ぎ、大学や仕事へ向かう時期に、徳澤もまた次の誌面へ移っていった。モデルの人気は表紙の回数だけでは測れない。読者が年齢を重ねても、同じ人の服や髪形を見たいと思う。その伴走感が、当時のファッション誌にはあった。

徳澤は2009年9月号で『CanCam』の表紙を飾り、2010年には「ポスト・エビちゃん」と期待された。押しも押されもせぬ看板モデルの後を託す言葉が向けられたことに、当時の立ち位置が表れている。

卒業企画の裏で始まった勉強

2011年1月発売の3月号で、徳澤は『CanCam』を卒業した。直前号にはモデルとしての軌跡が載り、卒業号にも特別企画が組まれた。長く誌面を支えた人を、雑誌が二号にわたって送り出したのである。

一方、その華やかな撮影現場で、徳澤は英語などの勉強をしていた。メイクや着替えの合間に本を開く。後の経歴を知ってから思い返すと、この小さな姿こそが重要に見える。

モデルの仕事は、用意された服を着て立てば終わるものではない。撮影の待ち時間まで含め、不規則な現場で集中を保つ必要がある。その場所を勉強の時間にも変えていたことに、華やかな誌面だけからは見えなかった徳澤の気質がのぞく。

モデルを辞めたから急に別の人生を探したのではない。表紙を飾り、次世代を担う存在として期待されていた頃から、自分の中では次の準備が始まっていた。雑誌のこちら側にいた読者には見えなかった時間が、のちに看護と助産の道へつながっていく。

白衣は思いつきではなかった

長女の出産後、徳澤は受験勉強を始め、2013年に聖路加看護大学へ入学した。2017年3月に卒業し、妊娠中に看護師国家試験を受験し合格。同年4月には大学院へ進み、出産による休学を挟みながら3年で修了した。

2020年3月に聖路加国際大学大学院を修了し、翌4月から総合病院で看護師・助産師として勤務。2022年秋まで現場に立った。

受験、4年間の大学、国家試験、大学院、病院勤務。こうして並べると、白衣姿だけを切り取って「意外な転身」と呼ぶのが軽く感じられる。モデル時代から温めた学び直しを、資格と実務まで運んだ長い時間がある。人の目に触れやすい結果より、見えない準備のほうに徳澤らしさが出ている。

しかも、その道は出産や休学を挟みながら続いた。一直線ではなくても、止めなければ次の場所へ着ける。徳澤の経歴から受け取れるのは、肩書きの華やかさより、時間の使い方への静かな強さである。

再びカメラの前に立つ意味

2024年に所属事務所を離れて独立し、徳澤は2025年にモデルとして再始動した。現在はモデル業と並行して、ウェルネスに関わる活動にも取り組んでいる。

これは昔の場所へ戻ったというだけの話ではない。若い読者の憧れだった頃とは違い、看護と助産を学び、医療現場で働いた時間を持つ人が、もう一度服をまとってカメラの前に立っている。同じモデルという仕事でも、写る人の厚みは以前と同じではない。

SNSには「セブンティーンで一番好きだった」「モデル再開してくれて嬉しい」という投稿があった。前者には25年前の読者の記憶があり、後者には現在の徳澤との再会がある。二つの言葉の間にある年月を知ると、再開の喜びは懐かしさだけでは終わらない。あの頃、誌面の向こうにいた人が、自分の意思で道を増やし、また戻ってきた。その姿を見られることがうれしいのだ。


※記事は執筆時点の情報です

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