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かつて会社員だった、“極妻”にも選ばれた「ベテラン女優」21歳で国内A級ライセンスを取得した「レーサー」とは

  • 2026.8.20
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高島礼子-2005年2月撮影(C)SANKEI

平日は会社へ行き、休日には車をサーキットへ運ぶ。給料は走行費やガソリン代、整備費に変わった。

高島礼子は、俳優になる前に会社員として働き、アマチュアレーサーとして走っていた。最初から芸能界を目指したのではなく、車を追った先で仕事が変わっていった。

19歳でサーキット、21歳でA級ライセンス

高校卒業後、高島は自動車関連会社に就職した。そして19歳のころ、友人に誘われて富士スピードウェイのレースや筑波サーキットの走行会へ行き、モータースポーツに熱中する。21歳では国内A級ライセンスを取得した。

ただし、レースには費用がかかる。車を運ぶトラックを借り、走行料を払い、ガソリンを入れ、整備もする。高島は後年、1カ月分の給料が軽く飛んだと振り返っている。実戦にも出たが、本人によれば結果はよくなかった。

それでも会社で働きながら走り続けた。高島にとって会社員生活は、安定した給料を得る時間であると同時に、次の休日にサーキットへ立つための時間でもあった。

やがて、レース資金を得るために会社を辞め、キャンペーンガールへ転じた。その時期も、平日は広告関係の事務局で働き、週末はレース会場に立つ生活だった。走る側からチームを支える側へ移っても、仕事と車は並んでいた。

転職情報誌のCMが、本当の転職を運んだ

1988年、高島は転職情報誌『とらばーゆ』のCMに出演した。それを見た松平健が事務所へ声をかけたことから、テレビ朝日系時代劇『暴れん坊将軍III』のオーディションにつながった。

高島には芝居の経験がなかった。ドラマに出るには、セリフだけでなく、着物での所作や殺陣も覚えなければならない。会社とサーキットを行き来していた人が、初めて立つ撮影所で一つずつ学んだ。

転職を扱う雑誌のCMは、出演者自身の転職の入口になった。次の職場は、演技未経験で入る時代劇の現場だった。

その後、1993年公開の映画『さまよえる脳髄』で映画初主演を務める。さらに1999年公開の『極道の妻たち 赤い殺意』では、岩下志麻、十朱幸代、三田佳子に続く4代目主演に選ばれた。2000年公開の映画『長崎ぶらぶら節』では、第24回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞している。

36年後、別の役で同じシリーズへ

2025年、高島はテレビ朝日系『新・暴れん坊将軍』に出演した。デビュー時は、将軍を陰から支える御庭番の梢。今回は町火消し「め組」の頭・辰五郎の妻、おさいを演じた。

同じシリーズでも、立つ場所は変わっていた。かつては所作も殺陣も知らない新人であり、36年後には町の暮らしを支える女性として現場へ戻った。

高島は後年、子どものころから芝居だけをしてきたのではないことを、今では自分の引き出しだと語っている。会社員、レーサー、キャンペーンガール。どれか一つを俳優のための訓練だったと決める必要はない。どれも本人が実際に選び、働いた時間である。

平日はOL、週末はサーキット。そこから始まった人が演技未経験で時代劇に入り、36年後、同じシリーズの暖簾をくぐった。


※記事は執筆時点の情報です

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