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「おしどり夫婦」ではなかった 歌舞伎俳優と元アナウンサーが語った意外な夫婦像

  • 2026.8.15
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2019年1月、十三代目市川團十郎白猿襲名発表会見より(C)SANKEI

「おしどり夫婦」ではなく、「おしくらまんじゅう夫婦」に。2010年7月、披露宴後の会見で飛び出した言葉は、華やかな門出を飾るだけのキャッチフレーズではなかった。互いに寄りかかり、押し返しながら支え合う。二人が語った夫婦像は、その後の時間を振り返る手がかりにもなっている。

市川海老蔵(現・十三代目市川團十郎白猿)は、キャスターとして活動していた小林麻央と2010年3月に結婚した。小林は日本テレビ系『NEWS ZERO』などで知られ、結婚後は長女と長男が誕生。2017年に小林と死別した後、市川は父として二人の子どもを育ててきた。

結婚会見から16年。夫婦で交わした言葉は、成長した子どもたちと同じ舞台に立つ現在まで、形を変えながら家族の中に残っている。

「おしくらまんじゅう夫婦」が示した距離

披露宴後の会見で「おしくらまんじゅう夫婦」という表現を紹介したのは小林だった。市川は、そっぽを向いているときもふれあい、なるべく離れないでいる関係でいたいと説明している。

同じ年の12月、市川は退院会見で、入院中に妻がそばにいて支えてくれたことへ感謝を口にした。晴れの日に掲げた夫婦像は、難しい時期にも具体的な言葉として現れていた。

一方、小林も2017年1月放送の日本テレビ系特番『市川海老蔵に、ござりまする。』で夫への思いを語っている。自分とは違う物差しで物事を見せ、苦しみの外にも世界があることを思い出させてくれる。その存在に感謝しながら、役者・市川海老蔵をパートナーとして支える機会を願っていた。

妻が夫を支え、夫も妻に別の景色を見せる。二人の公の言葉から浮かぶのは、一方向ではない支え合いだった。

死別後も家族の中に残る人

小林は乳がんの闘病を経て、2017年6月に亡くなった。翌日の会見で市川は、最期に「愛してる」と伝えられたこと、自分のどんな部分も愛してくれた存在だったことを語った。

広く知られた会見だが、その一言だけで二人の時間を美談にまとめることはできない。喪失の受け止め方も、残された家族の歩みも、外から簡単に「乗り越えた」と言えるものではないからだ。

2025年に放送された番組では、市川が子どもたちと小林の墓を訪れる姿が紹介された。市川は、家族はいまもつながっていて、小林が見守っていると感じるという趣旨を話している。

小林の存在を過去に閉じ込めるのではなく、現在の家族の中で語り続ける。それが、市川自身の言葉から見える死別後の距離感だ。

父と子どもたちが同じ舞台に立つ現在

長女の堀越麗禾は2014年に初お目見得し、2019年に四代目市川ぼたんを襲名。長男の堀越勸玄は2015年に初お目見得し、2022年に八代目市川新之助を襲名して初舞台を踏んだ。二人はいま、「團十郎の子ども」というだけでなく、それぞれの名前で活動している。

市川は2025年、子育ては周囲の助けを借りていると率直に明かした。歌舞伎の大きな名を背負う父であっても、家庭では一人ですべてを担う物語にせず、支援を受けながら本人たちの選択を見守っている。

2026年1月には、親子三人が『春興鏡獅子』で共演した。胡蝶の精を勤めたぼたんは、母にも見てもらえたらうれしいという思いを言葉にしている。さらに8月の『伝承への道』でも、團十郎、ぼたん、新之助は同じ公演に名を連ねている。

夫婦で始まった家族の時間が、そのまま舞台へ受け継がれたと断定はできない。それでも、父と二人の子どもがそれぞれの名で並び、母への思いも言葉にする現在には、この家族が重ねてきた年月が確かに映る。

「おしくらまんじゅう夫婦」と語った頃と、いまの家族の形は同じではない。けれど、誰か一人だけで立つのではなく、周囲の力を借り、互いの存在を感じながら前へ進むという姿は残っている。

結婚会見の言葉は、16年後のいま、親子三人の舞台を見つめるための静かな補助線になっている。


※記事は執筆時点の情報です

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