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作家・島口大樹が読む、釣り文芸の古典『老人と海』

  • 2026.8.1
『老人と海』ヘミングウェイ/著、福田恆存/訳

なぜ老人は、釣れねども80日以上も海へ出続けたのか

『老人と海』 ヘミングウェイ

長い不漁の日々の末、老人はたった一人、海にたゆたい巨大カジキと対峙する──。そのシンプルな筋書きと潔い筆致によって世界的名著となったヘミングウェイの『老人と海』。1952年の発刊から半世紀以上を経て、98年生まれの作家、島口大樹さんはどんなふうに読むのだろうか。

『老人と海』ヘミングウェイ/著、福田恆存/訳
ヘミングウェイ/著、福田恆存/訳。老漁師のサンチャゴは84日間の不漁に見舞われていた。一縷の望みをかけて、再び一人で海へ漕ぎだした85日目、釣り綱に大物の手応えを感じる。それは巨大なカジキだった。本作の成功が、著者のノーベル文学賞受賞につながった。中公文庫/880円。

本作を読むのは2度目。7、8年ぶりに本棚の奥から引っ張り出してきました。あらすじは覚えていたつもりでしたが、なぜか、すべては老人・サンチャゴの夢の中での出来事だったかのようにオチを勘違いしていて。読み直してまったくの記憶違いに驚きました。ただ、抽象的な読後感が残ったのは、本作が寓話的であることによるのだろうと思います。

三人称の語り口で進む物語の多くを占めるのは、サンチャゴがカジキとの死闘を繰り広げる3日間の顛末です。海上の風景、釣り綱が揺れるさま、老人が負った傷に至るまで、描写のどれもが具体的かつ客観的。世俗的な要素は削ぎ落とされ、宗教的なモチーフや生殺与奪に逡巡するさまを介して描かれる人間の根源的な側面が、物語に寓話性や叙事詩的な印象を付与します。それが高く評価される一因でもあるのでしょう。

しかし、改めてごく素朴に読んだ時に立ち上がってきたのは、そうした普遍性よりも「サンチャゴはなぜ、80日以上も海に出続けられたのか」という主人公の個人性に即した問いでした。

今の感覚なら、84日間も一匹も釣れない日々が続けば、耐えられなかったり、職替えを考えたりします。もちろん“生きるためにやむを得ない”という視点は外せません。キューバの貧しい漁村では、釣り以外に職を得るのは難しいでしょうし、高齢ならなおさらです。ただ、本当にそれだけだったのだろうか、と。

そこで仮説として浮かんだのは、サンチャゴは海に居続けること自体に惹きつけられていたのではないかというもの。示唆をもたらすのは、随所に挟まれる風景描写の重層性です。層を成す一つが、過去の要素。

例えば、「水は、このあたりではもう真(ま)っ蒼(さお)で〜」(下写真)の箇所は、前半では今の風景が淡々と描写されます。しかし、「かれは満足だった」を起点に急にその景色がサンチャゴにとって意味のあるものだったとわかる。その見事な文の運びから、彼が蓄積してきた過去の無数の経験が窺えます。

そしてその風景の描写がヘミングウェイならではの簡潔さを帯びていればこそ、その当たり前の光景の中に勘を利かせるサンチャゴが、いかに熟練した釣り人であるかが際立ちます。

『老人と海』ヘミングウェイ/著、福田恆存/訳

海で過ごす時間こそが、生きることそのもの

もう一つ、可能性という要素も、描写に奥行きを加えます。本作で象徴的に描かれるのが、かつて共に航海をした少年の存在。サンチャゴは事あるごとに「あの子がいたらなあ」とぼやき、彼がいたかもしれない風景に思いを馳せるんです。

こうして一見簡潔な描写の中に、経験、過去に観た景色、可能性としての風景が凝縮され折り畳まれている。もしかしたら眼前の景色の中に自らの人生を確かめることがサンチャゴが海に出続けた動機であり、彼を彼たらしめていたのは海で過ごす時間そのものだったのかもしれません。

釣りは途方もない時間と忍耐を要するもの。合理性や有益性とは真逆にある行為だと思います。ですが本作で暗示されるように、海という人間社会の縁に立つことでしか得られない思考感覚や感慨はたしかにある。そう考えると、来る日も来る日も小船を漕ぎだす彼の並外れた辛抱強さにも、思わず納得させられます。

profile

島口大樹(作家)

しまぐち・だいき/1998年埼玉県生まれ。2021年の『鳥がぼくらは祈り、』でデビュー。2作目の「オン・ザ・プラネット」は芥川賞候補作に。失踪した父の写真に導かれ、横浜の町と歴史を辿る『ソロ・エコー』(講談社)が発売中。

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