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「全部無料でしょ!」サービスのお菓子を大量に持って帰ろうとする客。だが、バーテンダーの一言で態度が一変

  • 2026.7.22

籠の菓子が一気に減った

その宿では、滞在中の飲み物も軽食も料金に含まれます。夜になると、ロビーの奥でバーが開くのです。

カウンターの上には、小袋のお菓子を山にした籠。脇に、お茶漬けを作れるコーナーもあります。

私は隅の席でグラスを傾けていました。周りにはお酒を楽しむ大人が何組もいて、低い笑い声が続きます。

六十代くらいの女性が入ってきたのは、九時を回った頃です。

まっすぐ籠の前に立ち、迷わず手を突っ込みます。

「全部無料でしょ!」

大きな声ではありません。それでも、近くの何人かが顔を上げたのが分かりました。

手のひらに取れるだけ握って、上着のポケットへ。もう一度握って、反対のポケットへ。上着の両側が、こぶのように膨らみます。

女性の足は、そのままお茶漬けのコーナーへ。

お茶漬けの素の箱にも手を入れ、また鷲掴み。バッグの口を広げ、まとめて落とし込みます。

「部屋で食べるから」

誰に聞かれたわけでもないのに、そう言うのです。

カウンターの内側のバーテンダーは、その間、何も言いませんでした。グラスを拭きながら、籠のほうを一度見ただけです。

女性がバッグの口を閉めようとした、その時でした。

責めない言葉で、手が止まる

彼は布巾を置いて、カウンターの外へ出てきました。女性の正面ではなく、少し斜めに立ちます。

「お部屋でお召し上がりでしたら、お持ちしますのでお申し付けくださいね。こちらは補充の数を決めておりますので、後からいらっしゃるお客様のぶんも取っておきたいんです」

非難の言葉は一つも入っていません。それでも女性の手が、ぴたりと止まったのです。

「……後から来る人の分」

「はい。遅い時間にいらっしゃる方もおられますので」

女性はバッグをのぞき込み、それから上着に目を落としました。膨らんだポケットを、確かめるように押さえます。

「そう。それなら、返すわ」

ポケットから小袋を出して、籠へ戻し始めました。一つずつ、丁寧に。バッグからも、お茶漬けの素を取り出します。

残したのは、お菓子が二つと、お茶漬けが一つでした。

「これで足りるわね」

「十分でございます。お湯はお部屋のポットのもので大丈夫ですよ」

彼は最後まで、声の高さを変えませんでした。

女性が去ったあと、彼は減った籠に新しい袋を足していました。何事もなかったような手つきです。

次の日の朝、ロビーへ降りると、開店前のバーの前にあの女性が立っていました。

「おはようございます。よくお休みになれましたか」

彼のほうから、先に声をかけていたのです。

女性は何か言いかけて、やめました。代わりに、小さく頭を下げていきます。

宿の朝の、それは静かなやりとりでした。

※tendが独自に実施したアンケートで集めた、50代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています

※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。

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