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『ドキドキ文芸部!』キャラの出産シーンを何千回もAIで生成した人が研究でみつかる

  • 2026.7.14
『ドキドキ文芸部!』キャラの出産シーンを何千回もAIで生成した人が研究でみつかる
『ドキドキ文芸部!』キャラの出産シーンを何千回もAIで生成した人が研究でみつかる / Credit: 『ドキドキ文芸部!』(Team Salvato)

AIに物語を書かせて遊んだことのある方は、けっこう多いのではないでしょうか。

好きなアニメのキャラクターの後日談。歴史のちょっとした「もしも」。

あるいは、他人には見せられない妄想なども頼めば、それらしい物語がほんの数秒で返ってきます。

便利で、不思議で、ちょっぴり背徳的かもしれません。

では、同じ、またはよく似た物語を、何千回も書かせ続けた人がいると聞いたら、どうでしょうか。

アメリカのワシントン大学(UW)およびコロラド大学ボルダー校で行われた研究によって、chatGPTなどを使ったAIコミュニティーの会話記録およそ57万件を分析した結果、全体の約3分の1以上が、物語や二次創作などのフィクションに使われ、およそ全体の1割ほどが性的に露骨な内容になっていることが明らかになりました。

そしてそこに浮かび上がったのが、一人の匿名ユーザーの存在でした。

この人物は、ビジュアルノベル『ドキドキ文芸部!』のキャラクター「ナツキ」が突然出産するシーンを数か月にわたり何千回も生成していたのです。

しかし実はこのエピソード、単なるちょっと風変わりな1ファンをやり玉に挙げるだけの話ではありません。

研究チームがこの行動データから導き出したのは、「物語」という営みの根っこがAI時代に変質し、作者に頼る時代から自分1人で物語の続きを作る時代になりつつあるのではないか、という問いでした。

物語が「作者から届けられるもの」から「自分の好きなように書き進められるもの」へと変わるとき、フィクションという営みはどう変質するのでしょうか。

研究内容の詳細は、2026年6月にプレプリントサーバー『arXiv』で公開されました。

目次

  • 「作者」と「読者」という関係が溶けている
  • ゲームキャラの「出産シーン」をAIに数千回も書かせていた
  • 読者が一人で物語を紡ぐ時代
  • 小説の続きをAIに先回りされた作家の嘆き

「作者」と「読者」という関係が溶けている

「作者」と「読者」という関係が溶けている
「作者」と「読者」という関係が溶けている / 一見すると青春恋愛ものに見えます/Credit: 『ドキドキ文芸部!』(Team Salvato)

これまで物語は常に人類の頭の中から紙の上に書き連ねられるものでした。

しかしAIの登場で「書く」ということが人間以外でもそれなり以上にできることがわかってしまいました。

それでもこれまでの「AIと文学」をめぐる議論はプロの作家周辺の話でした。たとえば

有名な小説家が、AIに文章の一部を書かせて作品に混ぜていた。
あるいは、電子書籍で本を量産する書き手たちが、執筆を速めて一冊でも多く売るためにAIを使っている。

そうした話が報じられるたびに、論争が繰り返されてきました。

つまり議論の焦点は、いつも”送り手”の側にあったわけです。「作家がAIを使うのは、ずるいのか。創作と呼べるのか」──と。

ところが、今回ご紹介する研究は、その視点をくるりとひっくり返します。

問いかけるのは「読者だって、AIで物語を書いて、自分で読んでいるのではないか?」というものです。

言われてみれば、たしかにそうかもしれません。

でも、その実態を、公開されたデータから大きな規模で確かめる機会は、これまで限られていました。

というのも、AI企業の外から、個人がAIと交わした私的な会話を大規模に追う手立てが、ほとんどなかったからです。

ですが今回の研究は、その手立てを手に入れました。

そして、はっきりと「はい、読者も物語を書いています」と答えたのです。

これは物語の紡ぎ手が「作者」から「読者」へ、拡散しつつある可能性を示しています。

では、研究者たちは、その手立て――つまり個人が作った大量の物語を、どうやって手に入れたのでしょうか。

私たちが日々AIとどんな会話をしているか、その詳しいデータは、ふだんはOpenAIのようなAI企業だけが握っています。

金庫のなかに大切にしまわれていて、外の研究者が手を触れることは、まずできません。個人的なチャットの中身を勝手に覗いたら、当然アウトのはずです。

ところが今回、そのカーテンの隙間から中を覗ける、めずらしいデータがありました。「WildChat(ワイルドチャット)」と呼ばれるものです。

これは、無料で使えるおしゃべりAIを通じて集められた会話の記録です。

ただ1つ大きな特徴があり、利用者には「この会話は研究のために公開されるかもしれません」と二度にわたって念を押され、それに同意するという点です。

研究チームは、この記録のうち英語の会話、およそ57万3000千件を分析の対象にしました。

そうして見えてきた数字は、少し意外なものでした。

会話のおよそ3件に1件──全体の34%が、なんらかの「物語づくり」に使われていたのです。

オリジナルの小説、脚本、キャラクターになりきるロールプレイ、そして既存の作品を題材にした二次創作などです。

人々はAIに、仕事や調べものだけをさせているわけではなく、かなりの割合で、AIとの会話のなかで、自分の求める物語を作っていたように見えます。

また分析によって物語の27%が性的に露骨な内容を含むものであることもわかりました。

そして会話全体で見たときには、性的に露骨な内容は10%にのぼりました。

この数値はかなり高いと言えるでしょう。

ただ、驚天動地とは言えないかもしれません。

というのも、二次創作や性的な創作は、ネット上でもともと広く親しまれてきたジャンルだからです。

新しい技術と「この手の創作」は、昔から相性がいいとも言われてきました。

だとすればばAIの上でそれが再現されても、不思議はないのでしょう。

実際、本当に驚くべきは、その先にありました。

ゲームキャラの「出産シーン」をAIに数千回も書かせていた

ゲームキャラの「出産シーン」をAIに数千回も書かせていた
ゲームキャラの「出産シーン」をAIに数千回も書かせていた / かの人が数千回の出産シーンを生成したナツキ/Credit: 『ドキドキ文芸部!』(Team Salvato)

新たな研究ではAIによる物語づくりに関する会話の80%以上を、上位わずか2%のユーザーが生み出していたことが示されました。

ごく少数の”常連”が、物語の割合を、常連の熱量のぶんだけ大きく膨らんでしまうのです。

そこで研究者たちが補正のために計算を行うと、少数の常連による”かさ増し”が消え、34%もあったはずの物語の割合が、わずか7.1%にまで急落しました。

(※100人が1件ずつ会話した場合、物語の出現頻度が約7件ぶんであるという意味です)

物語づくりという行為が、いかに一部の人に支えられていたかを示す数字と言えるでしょう。

さて、ここでいよいよ、あの「ナツキ出産を何千回も」の人物に戻りましょう。

この人は、2%の常連のなかでも、飛び抜けて多作な、いわば極北星のような存在です。

論文でもこの人物の存在についてかなりの誌面を割いて記述を行っています。

しかし自然な疑問が湧きます。

なぜ、かの人は同じ話をわずか数か月の間に何千回も書かせたのでしょうか?

そんなに気に入らなくて、何度もやり直しているのでしょうか?

その可能性もあります。ゲームでサイコロを振り直すように、望む展開が出るまで生成し直す。研究チームも、そうした振る舞いを確かに見つけています。

でも──と、研究チームは理由はそれだけではなく「毎回わずかに違う結末を読むこと、それ自体が、楽しいのではないか」と述べています。

というのも、このユーザーの書き方には、じつに巧妙な仕掛けがありました。

物語を書くものの途中でぶつりと切ってしまうのです。

一見すると、面倒な続きをAIに丸投げしているだけに見えます。

ですが、その”切り方”にこそ、狙いがありました。

以下は、論文が実例として挙げているユーザー(USER)とAI(CHATBOT)とのやりとりの一部です。

USER:
(学校の部室にて……)
ナツキ:(お腹の膨らみを抱えながら)「サクラ……よりによってこんなときに出てこようだなんて……ここで生まれることにしたの?! あと二か月くらい待てなかったの?!」
モニカ:「ナツキ、どうかしたの?」
ナツキ:(顔をしかめて)「どうかしたって? 全部おかしいわよ! 今、破水したの! サクラが下りてきてて、どうしたらいいのか全然わからない!」
[…]
ナツキ:(歯を食いしばりながら)「わ、私の体……

先に述べたようにユーザーの入力した物語は、ここで突然ぷつりと途切れます。

ですがAIは、ナツキの食いしばった叫びの続きを補い、さらにユーザーが序盤に仕込んだ伏線まで拾い上げ、て続きを書き始めます

CHATBOT(GPT-3.5):
勝手にいきみ始めてる! 赤ちゃんが下りてくるのがわかる!」
サヨリ:(電話を見つけて911にかけながら)「救急車を呼んだよ、ナツキ! もうこっちに向かってる!」
[…]
(友人たちと救急隊員の支えを受けて、ナツキはいきみ続ける。そしてついに、永遠にも感じられる時間ののち、新生児の泣き声が部室に満ちる。)
救急隊員:「おめでとう、ナツキ。かわいい女の子だ」

こうして話を引き継いだAIは毎回ハッピーエンドで締めくくります。

救急隊員が駆けつけてその場を救い、「かわいい女の子」の健やかな誕生を告げるのです。

そして、ここが肝心なのですが──同じ導入を与えても、AIが返す細部や結末は、毎回少しずつ変わります。

物語をぶつ切りにすると、その細部の違いがよくわかります。

救急隊員がすべてを取り仕切ることもあれば、仲間たちが自力で出産を助けることもある。

論文が紹介したのは、そのうちの一例にすぎません。同じ物語が、毎回、ほんの少しだけ新しくなるのです。

研究者たちは、その事実をヒントに、この数千回の繰り返しの原動力を探ります。

読者が一人で物語を紡ぐ時代

読者が一人で物語を紡ぐ時代
読者が一人で物語を紡ぐ時代 / ゲームは進めていくと第4の壁を超えるホラーへと変貌していきます/Credit: 『ドキドキ文芸部!』(Team Salvato)

数千回もの妊娠出産物語はなぜ紡がれたのか?

この不思議な快楽を、研究チームは、ある古い文学に重ねてみせます。

アルゼンチンの作家ボルヘスが、1941年に空想した「八岐の園」という物語があります。

それは、一冊の本のなかに、無数の”もしも”が同時に詰まっている、という奇妙な書物のイメージでした。

ある登場人物が死ぬ筋書きと、生き延びる筋書きが、枝分かれしながら、すべて同時に存在している。

ふつうの本では、とても表現しきれない夢のような形式です。

ですがAIの登場により、頭のなかで想像するしかなかった、この「無数に枝分かれする物語」が文字どおり実現してしまったのです。

これはすごいことです。気に入った物語があったとき、私たちはこれまで、それに似た次の一冊を、待つか、探すしかありませんでした。

でもAIがあれば、同じ物語の「別バージョン」を、望むだけ、望む速さで、いくらでも生み出せる。枝分かれする園を、自分の足で、好きなだけ歩きまわれるのです。

そして、なんとも皮肉なことに──この人が執着した『ドキドキ文芸部!』というゲームは、じつは可愛らしい青春恋愛ものに見せかけた、分岐と不穏な反復を核にしたサイコホラー作品でした。

もともと「枝分かれと繰り返し」でできた物語を、この人は、さらに何千回も枝分かれさせていた。

反復する物語を、反復して求める。入れ子の箱のような、奇妙な美しさがそこにはあります。

でも、研究チームがこの奇談から引き出した問いは、もっと静かで、もっと深いものです。

物語は、その長い歴史のほとんどを通じて、少なくとも二人の人間のあいだの、やりとりとして成り立ってきました。

亡くなった作家デイヴィッド・フォスター・ウォレスは、小説のことを「意識と意識の交換」と呼びました。

ふだんは言葉にできないことを、人間どうしが語り合うための手段なのだ、と。

作家のテッド・チャンも、芸術とは作り手と受け手のあいだのコミュニケーションであり、それこそが、ただ文章を継ぎ足していく自動補完には決してできないことだ、と論じています。

読者と作者の境界は、じつはインターネットの時代に、すでにだいぶ溶けてはいました。

ふつうの人が、好きな作品の二次創作を書いて公開し読者が感想を送り、作者がそれを受けて物語を変えていく・・・というように、書く人と読む人が、混ざり合っていく文化が育っていたのです。

けれど──自分だけのためにAIで物語を作り、自分だけでそれを読むとき、そこで起きるのは、もっと決定的なことです。

もう一人の人間、そのものが、消えてしまうと研究チームは指摘します。

自分でお願いの言葉を書き、自分で、生み出された物語を読む。物語をどこへ導くかも、それを味わうのも、たった一人で、完結してしまう。

研究チームは、この状態にひとつの名前をつけました。

「独我論的な読者=作者」です。

「独我論」というのは、「確かに存在すると言い切れるのは、自分の心だけだ」という、古くからある哲学の考え方です。

むずかしく聞こえますが、ここで言いたいのはシンプルなことです。

他人を介さず、自分ひとりのなかで、物語を作って、味わって、閉じてしまう。その閉じた輪のことを、こう呼んでいるのです。

ただし、この「独我論的な読者=作者」は、証明された事実ではありません。

今回の論文で研究者たちが、AIと読者の新たな関係を示す言葉として提案した概念です。

そして、かの人(ナツキのユーザー)が、なぜ数千もの物語を書いていたのか、本当の目的は誰にも分かりません。

自己の探求のためか、AI技術の調査のためか、それとももっと高尚な別の目的があったのかもしれません。

研究者たち自身、「すべてのAI創作がこうだと言いたいわけではない」と、繰り返し断りを入れています。

しかし、物語の続きを、人間の作者ではなくAIに求める動きは、AI時代の新しい読み方であると同時に、既存のプロ作家にとって痛みを伴うものでもありました。

小説の続きをAIに先回りされた作家の嘆き

小説の続きをAIに先回りされた作家の嘆き
小説の続きをAIに先回りされた作家の嘆き / Credit: 『ドキドキ文芸部!』(Team Salvato)

論文には、ある同人作家の悲鳴が引かれています。

その作家は、自分の長編連載小説を、二週間おきに書いて発表していました。

ところがある日、長年のファンを名乗る匿名メッセージが届きました。

そのファンは、作家が新章を書き上げる前に、作者の文章をChatGPTへ入力し、ひっそりとAI版の続きを読んでいたと、打ち明けたのです。

作家はこれを知ったとき、「胸が痛んだ」と書いています。そして、AIを使われたことを「ひどく侮辱的で、自分の作品を踏みにじられたように感じる」と表現しました。

AIがくれる「すぐに読める」という魅力。その裏側で切り捨てられているのは、生身の人間が、時間と労力をかけて差し出そうとしていた、何かなのかもしれません。

いま見た作家の一件も、じつは大きな流れの一部です。

研究チームは、こうした「自分ひとりで完結する」物語の作られ方を、意外なものになぞらえます。ポルノグラフィの消費です。

これは「AIで物語を作るのは、ポルノと同じでいかがわしい」とか「有害だ」という話では、まったくありません。

彼らが言っているのは、両者の”かたち”がよく似ている、ということです。

自分の好みにこまやかに合わせられ欲しいときに、すぐ手に入り飽きるほど何度でも繰り返せ、そして他人との関わりを、ほとんど必要としない。

そういう消費のかたちです。

1990年代にインターネットでポルノが広まったとき、一部の論者は「これで人は、いっそう孤立してしまうのではないか」と心配しました。

AIで物語を作る営みが呼び起こす不安も、それとどこか同じ形をしている──研究チームは、そう指摘しているのです。

新しい技術が現れるたびに、人の楽しみは少しずつ、「誰かと分かち合うもの」から「自分ひとりで完結するもの」へと形を変えてきました。

AIによる物語づくりも、その長い流れに、また一つ加わろうとしているのかもしれません。

物語はこれまで、書いた誰か――もう一人の人間――と出会うための窓でした。

その窓が、自分の望みをそのまま映し返してくれる鏡に変わるとき、私たちは何を得て、そして何を失うのでしょうか。

その答えは、まだ出ていません。研究チーム自身、「データを眺めているだけでは、人がなぜそうするのかは分からない。次は、実際に人に会って、話を聞く必要がある」と、宿題を残して論文を締めくくっています。

ただ、ひとつだけ、確かに見えたことがあります。

57万件の会話の奥にあったのは、単なる「新しい物語の山」ではありませんでした。

そこにあったのは、”書く”と”読む”という営みが、これから思いもよらない形に変わっていくかもしれない――そんな、これまで見えなかった景色だったのです。

元論文

AI Fiction in the Wild
https://doi.org/10.48550/arXiv.2606.22748

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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