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世界初の超伝導量子熱機関――燃料もピストンもない量子エンジンが回った

  • 2026.7.14
世界初の超伝導量子熱機関――燃料もピストンもない量子エンジンが回った
世界初の超伝導量子熱機関――燃料もピストンもない量子エンジンが回った / Credit: Heikka Valja / Aalto University

フィンランドのアールト大学(Aalto University)で行われた研究により、超伝導回路の上でサイクルをくり返す「量子熱機関」を動かし、実際に仕事を取り出すことに、世界で初めて成功しました。

驚くべきは、この極微のエンジンを動かしている原理が、自動車のガソリンエンジンと同じという点です。

産業革命から250年以上を経て、あの古典的な熱機関の心臓部が、原子よりも小さな世界でふたたび鼓動を始めたことになります。

筆頭著者のトゥオマス・ウースナッキ氏は「超伝導回路において、サイクル動作する量子熱機関を世界で初めて実験的に実証したものです」と述べています。

でも、燃料もピストンもないその世界で、彼らはいったいどうやってエンジンを「回した」のでしょうか?

研究の詳細は、2026年5月5日に『Nature Communications』にて発表されました。

目次

  • 量子の世界でエンジンが動き始めている
  • 超伝導回路の上で量子エンジンが動き出した
  • 蒸気機関の子孫が量子の未来を支える

量子の世界でエンジンが動き始めている

量子の世界でエンジンが動き始めている
量子の世界でエンジンが動き始めている / Credit:Canva

私たちの身の回りにあるエンジンがやっていることは、実はとてもシンプルです。

燃料を燃やして熱を生み、その熱の一部を「動く力」に変えている。

ただそれだけです。

蒸気機関車を走らせるのも、飛行機を飛ばすのも、発電所で電気をつくるのも、根っこの仕組みは同じ。

「熱い場所」から熱をもらい、仕事を取り出し、残りを「冷たい場所」に捨て、そしてまた「熱い場所」から熱をもらう——。

この繰り返しが、エンジンを動かし続けています。

こうした仕組みを「熱機関」と呼びます。

さて、ここで一つ問いが浮かびます。

この原理は、原子よりも小さな「量子の世界」でも通用するのでしょうか?

量子の世界は、私たちの日常とはずいぶん勝手が違います。

一つの粒子が2つの状態を同時にとったり、遠く離れた粒子どうしが不思議な形で結びついたりする。

そんな常識はずれの世界で、「熱を仕事に変える」という昔ながらの仕組みが成り立つのか、それを確かめるための研究が現在盛んに行われています。

その努力の結果、たった1個のイオンや原子を捕まえて、熱を与え、そこから仕事を取り出す——そんなごく小さな量子エンジンが、いくつかの実験で成功しました。

ただ、これらの実験は、いわば専用の実験装置の中だけで完結した孤立したエンジンでした。

量子エンジンを最も切望していた場所には、まだ手が届いていませんでした。

その場所とは、超伝導回路です。

GoogleやIBMなどが開発している量子コンピューターでは、この超伝導回路が心臓部として開発が行われています。

もし超伝導回路の上で量子エンジンを動かせたなら、話の意味合いは一気に変わります。

量子コンピュータと同じ土俵の上でエンジンが動く——ということは、将来そのエンジンをコンピュータの”内蔵パーツ”として組み込める道が開けるかもしれないからです。

同じ回路でできているからこそ、このエンジンは量子ビットのすぐ隣で、その世話係として働けると期待されています。

1個のイオンや原子を単純な量子エンジンにするのと、超伝導回路の上で動ける量子エンジンにするのとでは、その違いは、試験管の中の実験と、実際に使う機械の部品として組み込む研究くらいの開きがあります。

ところが、そう上手く話は進みませんでした。

この超伝導回路の上では、サイクルをくり返し回せる熱機関がどうしても実現できずにいたのです。

なぜでしょうか。

超伝導回路の中で働く量子の部品は、おそろしく繊細です。

ほんのわずかな熱の揺らぎや雑音が触れただけで、その状態はたちまち崩れてしまいます。

そんなまるでシャボン玉のように壊れやすい相手に、「いま温める」「いま冷やす」という熱の出し入れを、絶妙なタイミングで何度もくり返し正確に浴びせ続けなければなりません。

この精密な温度コントロールこそが、大きな壁の一つでした。

そのため、これまで超伝導回路で示せていたのは、量子ビットを冷やしたり、熱を運んだり、あるいはサイクルの形をとらない熱のやりとりまででした。

車のエンジンも一度爆発して終わりでは、車は走りません。

エンジンのようなサイクルを完成させるには「加熱➔仕事➔冷却➔加熱・・・」のサイクルを何度も繰り返し回さなければなりません。

この壁を越えたのが、フィンランド・アールト大学のチームでした。

超伝導回路の上で量子エンジンが動き出した

超伝導回路の上で量子エンジンが動き出した
超伝導回路の上で量子エンジンが動き出した / 図の左(a)は実験に使われた本物のチップを顕微鏡でとらえたもの。(d)は一台の冷凍機が「温め役」と「冷やし役」を切り替えられるしくみを示した図。かける電圧をずらすと、電子が飛び移る(トンネルする)ときのふるまいが変わります。/Credit: Uusnäkki et al., Nature Communications (2026)

どうやって世界初の超伝導量子熱機関は実現したのでしょうか?

研究者たちが着目したのは、「量子回路冷凍機」という、小さいながらも変わった性質を持つ部品でした。

名前は「冷凍機」ですが、この装置のおもしろいところは、冷やすだけではないという点です。

電圧の設定を切り替えるだけで、相手を”冷やす”ことも”温める”こともできます。

蛇口をひねる向きでお湯も冷水も出せる混合水栓のように、たった一台が、電気の合図ひとつで「いまは温め役」「いまは冷やし役」と早変わりできるのです。

これまでの壁は、繊細な量子の部品に、ちょうどよい温度を、ちょうどよいタイミングでくり返し浴びせ続ける難しさにありました。

この量子回路冷凍機は、まさにそこを解く鍵でした。

温める設備と冷やす設備を別々に用意する必要がなく、一台で精密な温度の切り替えをまかなえるからです。

さて、これで熱機関に欠かせない「温める」と「冷やす」はそろいました。

では、肝心の”力を取り出す”部分はどうするのでしょうか。

車のエンジンでいえば、「膨張」と「圧縮」を受け持つ”働き手”が必要です。

ここで登場するのが、特殊な量子ビット(トランズモン量子ビット)です。

これは超伝導回路の上に作られた”人工の原子”のようなもので、熱を受け取ったり冷やされたりしながら、仕事を生み出す”働き手”になります。

車のエンジンで言えば、量子回路冷凍機が熱を加える役(燃焼)と、熱を捨てる役(排気・冷却)の両方を担当し、特殊な量子ビットが、シリンダーの中で膨らんだり縮んだりして力を生み出す気体の役割と言えます。

この人工の原子には、ちょっとおもしろい性質があります。

それは、決まった「音程」を持っている、ということです。

ギターの弦を強く張られた状態は高エネルギー(高い音)で、弦をゆるめると低エネルギー状態(低い音)になる——あのイメージに近いと思ってください。

この人工原子の”音程”も、外からの操作で上げ下げすることができます。

専門的には、この「音程」にあたるものを「周波数」と呼びます。

研究者たちは、この人工の原子にかける磁場の強さを電気信号で加減して、弦の張り方のレベル(音程)を上げ下げしました。

弦を緩めて音程を下げることは、エネルギーの放出(膨張)で、弦を張って音程を上げることは、エネルギーの注ぎ込み(圧縮)にあたります。

こうして、加熱と冷却、エネルギーの注ぎ込み(圧縮)と放出(膨張)、というサイクルに必要な要素がすべてそろいました。

これにより「温める➔エネルギーを吐き出す(膨張)➔冷やす➔エネルギーを注ぎ込む(圧縮)➔そしてまた温める・・・」というサイクルが量子回路冷凍機と磁場が交互に働いて、回せるようになったのです。

仕組みが完成すると、研究者たちは、精密にタイミングを合わせた電気の合図で、この四つの動きを人工の原子の上で最大3回くり返し——車のガソリンエンジンと同じ仕組みの熱サイクルを再現してみせました。

するとサイクルを通じて量子ビットから正味プラスの仕事が生じていることが確認されました。

熱力学の法則どおり、熱が仕事に変わっていたのです。

取り出せた仕事の量はごくわずかで、それ自体がすぐ何かの役に立つわけではありません。

それでもこれは「超伝導回路でも量子の熱機関がちゃんとサイクルで稼働する」ことを示す確かな証拠です。

ウースナッキ氏も「これは超伝導回路において、サイクル動作する量子熱機関を世界で初めて実験的に実証したものです。一つの制御可能な量子冷凍機を高温環境と低温環境の両方として使うことで、装置はよりシンプルで、より多用途なものになります」と述べています。

小さな一歩ですが、確かな一歩。

原理的には正しく動いている——そのことが、実験で裏付けられたのです。

蒸気機関の子孫が量子の未来を支える

蒸気機関の子孫が量子の未来を支える
蒸気機関の子孫が量子の未来を支える / Credit:Canva

なぜこの小さな量子エンジンが、量子コンピュータの未来にとって重要なのか。

それを理解するには、いま量子コンピュータの開発が直面している、ある切実な問題を知る必要があります。

「ついに何百量子ビットを達成!」

そんなニュースを見たことがある方もいるかもしれません。

ただ、そこで数えられている量子ビットは、一つひとつはとてもミスが多く、1個だけではまともな計算ができません。

そこで実際には、たくさんの量子ビットに同じ計算をさせ、互いに答え合わせをして、まちがいをその場で直すという工夫が行われているのです。

つまり数百個規模の量子ビットを束ねると、ようやく安心して使える”1個分”ができあがります。

専門的には、この束ねる前の一つひとつを「物理量子ビット」、束ねてできた”安心して使える1個分”を「論理量子ビット」と呼びます。

だから、ニュースが誇る「何百ビット」も「安心して使える1個分」に数え直すと、まだほんのわずかです。

本当に役立つ量子コンピュータをつくるには、量子ビットを今よりも桁違いに増やさなければなりません。

メットネン教授は「フィンランドの量子技術戦略は、2035年までに論理量子ビット1000個を備えた量子コンピュータの実現を目指しています。これにはおそらく、数十万個もの物理量子ビットが必要です」と述べています。

そして、ここで大きな問題が牙をむきます。

「ケーブルの数が爆発する」という問題です。

現在の超伝導量子コンピュータでは、量子ビットの操作や読み出しに、多くの場合、極低温の世界と室温の制御装置とをつなぐケーブルが必要です。

量子ビットが少ないうちは問題になりません。

しかし、桁違いに増やそうとした瞬間、話は一変します。

通常のコンピュータのチップなら耐えられる程度のノイズでも、量子ビットにとっては致命傷になりかねません。

数百万本ものケーブルは、室温の熱や雑音を極低温の世界に持ち込み、量子ビットの精度を保つうえで大きな課題になってしまうのです。

大きくしたいのに、大きくするほど、自分の首を絞めてしまう。

これが、量子コンピュータの「配線地獄」です。

ですがもし今回の量子エンジンが育ち、外からの合図なしに自分で動く”自律型”にまで進化したら——この膨大なケーブルを大きく減らせる可能性が見えてきます。

チップの上にエンジンが組み込まれ、室温とのあいだを行き来していた仕事の一部を、その場で片付けられるようになるかもしれないのです。

もちろん、今回の成果はその出発点となる原理の実証です。

今回の装置は外からの信号で動いており、配線を減らせることまで確かめたわけではありません。

それでも、この第一歩があってこそ、次の道が見えてきます。

熱を力に変える「熱機関」は、250年以上前、蒸気機関として産業革命の扉を開けました。

石炭を燃やし、機械を回し、世界のかたちを変えたあの装置です。

そして今、その遠い子孫が——燃料もピストンもなく、絶対零度近くでひっそりと動く極微のエンジンが——次の革命、すなわち量子コンピュータという新しい時代の”足元”を、静かに整えようとしているのかもしれません。

熱を力に変えるという、人類がもっとも古くから親しんできた営み。

それが、めぐりめぐって、もっとも新しい未来の入り口に立っているのです。

参考文献

World’s first superconducting quantum heat engine opens the path to larger quantum computers
https://www.aalto.fi/en/news/worlds-first-superconducting-quantum-heat-engine-opens-the-path-to-larger-quantum-computers

元論文

Initial demonstration of a quantum heat engine based on dissipation-engineered superconducting circuits
https://doi.org/10.1038/s41467-026-72651-x

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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